第1話 追放、そして何もない土地へ
※この物語は、剣や魔法で無双する話ではありません。
追放された一人の男が、辺境で畑を耕し、
食べて、守って、続ける場所を作っていく話です。
派手な戦いは少なめですが、
「暮らしが少しずつ良くなる過程」を丁寧に描いています。
ゆっくり進む物語が好きな方、
村づくりや内政ものが好きな方に、
楽しんでいただければ幸いです。
荷車の車輪が、小石を噛んで乾いた音を立てた。揺れに合わせて、麻袋に詰めた干し肉と塩がかすかに鳴る。街道の両脇には冬枯れの草。空は高く、雲は薄い。季節の匂いだけが、やけに鮮明だった。
レオンは手綱を引き、馬の歩みを少しだけ緩めた。急ぐ理由はない。むしろ、急げば急ぐほど「行き先」が近づいてしまう。
荷台の上には、木箱が三つ。鍬が一本。鋸と金槌、釘。小さな鍋と、火打ち石。毛布は二枚。革袋に詰めた麦粉と、乾燥豆。あとは古びた帳面と、羽根ペン。
――辺境開拓の支給品としては、ひどく簡素だ。だが、彼は不思議と腹が立たなかった。
追放――そう呼ぶのがいちばん正しいのだろう。
命令書には「開拓任務」とあった。辺境伯家の三男、レオン・グレンに対し、放棄地の再開拓を命ずる、と。印章は立派で、文面も丁寧だった。あたかも名誉ある仕事に抜擢されたかのように。
しかし実態は、厄介払いだ。
父は最後まで目を合わせなかった。兄は「家のためだ」とだけ言った。継母は、淡い香のする扇で口元を隠し、「ご武運を」と微笑んだ。
家臣たちは忙しそうに動き、誰も見送らない。馬丁が荷車を門の外へ押し出す間、屋敷の廊下から聞こえたのは、宴の準備の音だった。
レオンはその時、意外なほど静かな自分に気づいた。
胸の奥に、冷えた石がひとつ落ちる感覚はあった。だが、燃え上がる怒りはない。叫ぶほどの悲しみもない。
――まあ、そうなるだろうな。
彼はずっと、屋敷の中で浮いていた。剣も、魔法も、兄ほどには伸びない。社交は苦手で、貴族らしい愛想もない。代わりに好きだったのは、土木の図面や、倉庫の在庫帳、農地の収穫記録――地味で、金にも名誉にも直結しないものばかりだ。
「役に立たない趣味」と笑われたことは数えきれない。
だから、家が彼を捨てるのは合理的だ。感情の入り込む余地がないほどに。
道は次第に荒れ、石畳が途切れた。ぬかるみは凍って硬くなり、馬の蹄が鈍い音を立てる。木々はまばらになり、風だけが強くなる。街道沿いの宿場も、いつの間にか姿を消した。
日が傾き始めた頃、前方に立つ標柱が見えた。
木製の、朽ちかけた柱。かつては文字が刻まれていたのだろうが、雨と風で削れ、判読できない。根元には、古い縄が絡まり、鳥の羽が散っていた。
レオンは荷車を止め、標柱の前で息を吐いた。
ここから先は「開拓地」。地図にすら薄い線でしか描かれていない、放棄された土地だ。
命令書に添付されていた地図を取り出す。紙は新しいが、内容は古い。川の流れが一本、森があり、小さな家が三つ描かれている。文字で「グレン旧村」と書かれていた。皮肉な名前だ。家名と同じ。
彼は指で線を辿り、目を細めた。
川がある。水があるなら、畑は作れる。森があるなら、木材も手に入る。問題は――そこに人がいないことだ。
荷車を進める。標柱を越えると、空気の匂いが変わった。湿り気が増え、土の香が混じる。遠くで水の流れる音がした。
しばらく進んで、彼は「それ」を見つけた。
草に埋もれた、石積みの基礎。崩れた柵。半分倒れた井戸の枠。家があった痕跡だ。だが屋根はなく、柱は折れ、壁は風に剥がされている。
人が住むには、あまりに心もとない。
レオンは荷車を止め、地面に降りた。靴底が、少し柔らかい土を踏む。しゃがんで土を掴むと、粒が細かい。指先にしっとりとまとわりつく。腐葉土の匂い。悪くない。
彼は小さく頷いた。
土が死んでいない。なら、やりようはある。
周囲を見回す。川は確かに近い。木々は遠すぎない。風は強いが、地形的に風除けを作れそうだ。平地もある。なにより、害獣の気配が薄い。魔物の痕跡も、今のところ見当たらない。
彼は立ち上がり、倒れた家の残骸へ近づいた。床板の一部がまだ使えそうだ。釘を抜いて再利用できる。柱は腐っているが、薪にはなる。屋根材は……ほとんどない。なら、まずは雨露をしのげる小屋を作る必要がある。
頭の中で、作業の順番が自然と並んだ。
(拠点の確保。次に水。畑。保存。道具の整備。……人が来るなら、ルールも)
誰に教わったわけでもない。彼は昔から、物事を「手順」に分解する癖があった。全体を見て、必要な要素を抜き出して、順に潰していく。屋敷の人間には理解されない癖だが、こういう場所では、きっと役に立つ。
レオンは荷台から毛布を一枚下ろし、地面に敷いた。木箱をその上に置き、鍋と火打ち石を取り出す。辺りには枯れ枝がいくらでも落ちている。火種を作り、鍋に湯を沸かす。乾燥豆を放り込み、塩を少し。
湯気が立ち上るのを眺めながら、彼は無意識に笑っていた。
笑うつもりなどなかったのに、口角が上がる。
――静かだ。
屋敷の廊下の騒がしさも、社交のざわめきも、兄たちの見下す声も、ここにはない。風と水と、火の音だけ。
追放されたはずなのに、息がしやすい。
豆が柔らかくなった頃、薄暗くなってきた。空は紫色に沈み、森の影が長く伸びる。夜は冷えるだろう。今日は無理をしない。毛布を二枚重ね、木箱を枕代わりにして眠るしかない。
レオンは鍋を抱え、温かい豆の汁を啜った。身体の内側から、じわりと熱が広がる。貧しい食事だ。だが、腹に入れば十分だ。
食べ終えると、彼は帳面を開いた。白紙のページに、今日見たものを簡単に書きつける。
川の位置。風向き。土の質。残材の量。近くの森の樹種。危険の有無。
書きながら、ふと手が止まった。
命令書の最後の一文が、脳裏をよぎる。
――なお、本任務に関し、支援は期待しないこと。
彼はペン先を見つめ、そして肩をすくめた。
期待していない。最初から。
外が暗くなり、星が一つ、また一つと浮かんだ。空が広い。ここは、どこまでも広い。
レオンは帳面を閉じ、火を落とした。残り火の赤が、小さく脈打つ。冷えた風が頬を撫で、草がさやさやと鳴った。
毛布にくるまりながら、彼は小さく息を吐く。
怖くないわけではない。明日からの労働は重い。失敗すれば、冬を越せないかもしれない。人が来なければ、ずっと一人だ。
それでも――。
彼は夜空を見上げ、静かに言った。
「……やることは、山ほどあるな」
言葉にした瞬間、胸の中の冷えた石が、少しだけ軽くなった気がした。
明日、まずは小屋の骨組みを作る。次に水路を引く。畑を一枚、いや二枚。種は少ないが、増やせる。保存方法も試せる。道具は作れる。工夫次第で、いくらでも。
レオンは目を閉じた。
風の音が、遠くの川の音が、子守歌みたいに重なる。
ここが、彼の新しい「家」になる。
そう思ったところで、眠りが落ちてきた。
そして――闇の向こう、森の縁で。
誰かが、こちらを見ている気配がした。
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