95.ミューナイトの祈り
ふたたびミューナイト視点です。
そのころクローバー堂では……
ミューナイトが夕方の遅い時間まで、店主のマリアンヌと話し込んでいた。
ハーブティーをごちそうしてもらった後は、ケーキまで出してもらう。
「いやだなあ、マリアンヌさん。これじゃあ、まるで喫茶店に居座っているお客さんみたい……」
ミューナイトはおどけて言う。
それに対してマリアンヌは、
「いやねえ。あなたみたいな常連さんには、もっともっとお店に来てもらって、店の売り上げを伸ばしてもらわないといけないのよ?」
そう返して微笑んだ。
本当に優しい笑みである。
「でも……マリアさん、今日も来ませんでしたね?」
「あらあら。わたしは、オリヴェテさんが来店する日を指折り数えているわけじゃないのよ? あの人も忙しいんだから」
「そうですね。わたしの休日と合うほうが偶然ですよね」
ミューナイトは首をかしげて、照れながら言った。
それを、マリアンヌは優しく見守る。
しかし……そのミューナイトの表情に一瞬の陰がさしたのを、マリアンヌは見てとった。
マリア・オリヴェテの名前を出したミューナイトは、ムルマンスクで死なせてしまったネオスのマリアのことを思い出したのである。
「どうしたの、ミューナイト? 何か気になることがあるの?」
「いえ……なんでもないんです。ただ……」
「ただ、何? なんでも遠慮せずに言って。こう見えても年だけは取っているんだから、若い人の心はわかるつもりよ?」
「ええ……でも、ちょっと特殊で」
と、ミューナイトは言いよどんだ。
数秒間沈黙していたが、勇気を出してこう言う。
「じつはわたし……わたしの行動がきっかけで、ある人を死なせてしまったんです」
それは、重い言葉だった。
マリアンヌもはっとする。
「誰かを死なせた? あなたが直接関係しているの?」
「いいえ、違います。わたしは間接的に……その人を死に追いやってしまった。それで、心が痛むんです」
「まあまあ、あなたのその年で……それは大変なことだわ」
マリアンヌは心の底から驚いて言った。
でも、こう諭した。
「人には、それぞれの人生があるの。あなたは、例えばその人に向かって『死ね』って言ったわけではないんでしょう? なにかのつながりがあったことはたしかよ。それが、あなたの生とその人の死とを結び付けた。でもそれは、どうにもしようがない必然なの。あなたが後悔したり、懺悔したりする理由はないわ?」
それは実に含蓄のある、深い言葉だった。
60余年の人生で、人の死をも見てきただろう人の言葉であって、15年しか生きていないミューナイトにはただ想像するしかない。
ミューナイトは、いつしか涙を流していた。
「あれ、おかしいな……」
と、ミューナイト。
その頬を透明な滴が伝っていた。
「泣いているのね、ミューナイト。……お泣きなさい? あなたは好きなときに泣いていいの。あなたはまだ少女なんだから。大人のように利口になる必要はないのよ。素直にその感情を表していいの……そう、本当につらかったのね、その人の死が」
「はい。はい……マリアンヌさんの言う通りです。わたし……」
「そこから先は、しーっ、よ? 自分を責めすぎてはだめ。誰かを頼りすぎてもだめ。人の死は静かに受け止めるものなの」
マリアンヌは唇に手を当てた。
「マリアンヌさん。その人を追悼する方法は、何かありますか?」
ミューナイトは、ひとつの決意の表情で尋ねた。
「それは、あなた。その人のお墓参りをすれば良いんじゃないの?」
「それが、その人のお墓はないんです」
「まあ! それじゃあ……そうねえ」
と、マリアンヌは迷う。
「こういうのはどうかしら、あなたの部屋のなかに、なにかその人の思い出につながるものを置いて、それに向かって祈るの……」
「それは良いですね。でも……その人の思い出の品もないわ?」
「じゃあ、そうねえ。ストーンなんかを用意して、お香も用意して、その人のお墓に見立てるのはどうかしら?」
マリアンヌは穏やかな表情で言う。
まさに年の功、というアドバイスだった。
少女の心理や、死者を悼む気もちというものを知っている。
そして、その「祈り」によって人の心がいかに救われるかも知っている。
「マリアンヌさんは、今ストーンって言ったの?」
ミューナイトが尋ねた。
「ええ。例えばうちのお店にもあるけれど……かんらん石のストーンなんかはどうかしら? そんなに高くないし、オリーブのような美しい緑色に光るの。お香なら、何種類もうちの店にあるわ。そうねえ……ムスクのお香なんかあげるのはどうかしら? 心と体を浄化してくれるお香なの。お祈りにはぴったりよ?」
「マリアンヌさんのお店にはなんでもあるんですね! わたし、それをいただきます」
ミューナイトは顔全体を笑顔でほころばせて、マリアンヌに言った。
すこし前の涙は、まだ顎のあたりを伝っているけれど、瞳からは流れていない。
「なんでもっていうわけではないけれどね……人の生活を豊かにしてくれるようなものは、一通りそろっているわね」
と、マリアンヌ。
「それでこそクローバー堂です。まさに幸福の印」
ミューナイトは明るい声で言う。
今までミューナイトにあった後悔は、希望へと形を変えつつあった。
もちろん、彼女はそんなことを知ってはいなかったが。
人と話す、ということがどれほど貴重なことなのかを、今ミューナイトは思い知っていた。
そして、ムルマンスクで死んだマリアを追悼する方法がある、ということを知ってほっとしていた。
それは、彼女がこの後も責任をもって生きていくためであり、死者の重荷を背負うためでもあった。
たぶん、ミューナイトは本能的に演算結果として、この出来事を処理していた。
人の生はそれぞれつながっている。
そして、そこに懺悔や悔悟の余地はない。
ただ、つながりだけがあるのだ。
そして、そのつながり自体が重い。
心のなかで何かを祈れば、それは必ず対象のもとへと届く。
そう思わせるきっかけが、今日の会話のなかにはあった。
ミューナイトは知らなかった。
そのとき、もう一人のマリアであるマリア・オリヴェテが、テロ計画へと巻き込まれつつあることを。
そして、ジェマナイが本格的に統合戦線に攻め入ってこようとしていることを。
ミューナイトはただ、「良い休日だった」と思った。
それは正当な思いだった。
しかし、政治と歴史の渦のなかでは簡単に吹き飛ばされてしまうような、そんな思いだった。
そして、ミューナイトはこの日のことをその後も決して忘れることはなかった。
祈るということをマリアンヌから教わったミューナイトでした。




