92.自由の木(2)
次第にヒートアップしていくヴァレンタインです。口調は淡々としていますが……
(いよいよ話が怪しくなってきた。「正しい戦争?」「消し去る?」……この男は狂信者なの?)
マリアは、ウィンストン・エヴリール──ヴァレンタインに再び疑いの目を向けた。
しかし、彼の語っていることは正しいような気もする。
──ネオスが世界人類の支配を企てているのは間違いないことだろう。
現在のところ、ネオスはこの統合戦線にも3000人しかいない。
だが、それもやがて何万、何億とふくれあがっていくはずだ……
いや? もしかしたらそうはならないのか?
ネオスたちは人間の人口を極限まで減らして、対等な立場を取ろうとするのだろうか?
……ありえない。
あってはいけない。
そんな煩悶がマリアの心のなかをかけめぐる。
そしていつしか、(自分はこの男の命令に従わなければいけない)と思うようになっていた。
「この男」とは、実にカドリール・ヴァレンタインのことである。
技術革新省の情報戦略局技術参事であり、統合軍の動向を裏から操っている人物であった。
「我々は、バグダッドが制圧される前に、ジェマナイ領にもう一度攻め込まなければいけません。これは絶対です」
と、ヴァレンタインは語った。
それは、彼の本音だった。
そして、この場で唯一ついた本音でもあった……。
(そうだ、メイサ・ヤハンでは優柔不断すぎる。もっと強力な大統領を……)
と、マリアは思う。
軍の実情に疎い彼女は、まずは政治家から変えなければいけないと思ったのである。
あの男──エヴリールは、まさか大統領の弾劾裁判を実行するために、わたしたちを呼んだのかしら?
街頭ビラでも配らせて、署名活動をしろと?
(滑稽だわ。もっと簡単な手があるのに……)
政治家を人として見ていないマリアは、そんな恐ろしいことを考えた。
つまり、メイサ・ヤハンの暗殺である。
しかし、これはエヴリール=ヴァレンタインの考えとも一致していた。
彼は、こんなことを話し始めたのである……
「これは、現在のところ極秘の計画です。しかし、皆さんにはお話ししましょう。皆さんもご存じの通り、『自由の木』には『行動部局』と呼ばれる部局があります。まあ……『行動』と言えば聞こえは優しいですが、実のところ、これはテロ組織なのです。実際に武装も行っています。当局は、実はそれを黙認しているのですよ……。当局、つまり統合戦線の官僚たちは……わたしも含めてですが、『自由の木』が、今後完全な政治組織に変貌するものと考えています」
それは意外な発言だった。
──「自由の木」が過激な部分もあるグループだということは知っていたけれど、それはあくまでも言論の上でのみだと思っていた。
……マリアは、次第にこの男の話に惹かれ始めていた。
自分にもなにか役に立てることがあるのではないか、と考えていたのである。
──もしかして、わたしたちに政権政党として政治に参加しろと?
マリアの心は混乱した。エヴリールの話の核心が見えないのである。
だが、その混乱は予想のさらに上を行く彼の言葉で、かき消された。
その瞬間、マリアは雷光に打たれたようだった。
「わたしたちは現在、極左であり、反戦派の代表的な人物であるアド・ルーメンの最高賢者アルハジ・ムタリブ氏の失脚を考えています。……ですが、ただ失脚するわけではありません。この世から消えてもらうのです。なぜなら、アド・ルーメンに今後自由な活動を許してはならないからです。最高賢者が崇高な死に見舞われたならば、アド・ルーメンは求心力を失うでしょう。ご存じのように、アド・ルーメンは政権政党にも多額の献金をしています。……つまり、これは政治の一環なのです」
自分にとってことさら都合の良い言葉を、ヴァレンタインは選んで使った。
政治を動かしているのは宗教ではない。
それよりもさらに深いところにある民意だ。
国家宗教を壊滅に追い込んだところで、政治が変わるわけではない。
彼は純粋に、デモンストレーションのためにアルハジ・ムタリブの暗殺を画策しているのである。
彼は、単にゲームの一つの駒にすぎなかった。
アルハジ・ムタリブは仮想のチェス盤上で、あるいはヴァレンタインの掌のうえで運命と手をとって踊るのである。
「一人の人間の死は悲しいことです。しかし、数万、数億の人間の死はさらに悲しいことです。このアルスレーテも2か月前に爆撃されました。そこでは、21万3000人の死者が出たのです。これは、統合戦線の過去1年間の死者の3倍強です。こんな暴挙を許してはなりません。幸いなことに、大統領であるメイサ・ヤハンはついに主戦派に舵を切りました。わたしは心からほっとしましたよ……。彼女こそ、今までの我々の第一の攻撃目標だったのです。ですが、大統領がテロに倒れたとなれば、国が弱くなる……」
見事な政治的卓見だった。
為政者の地位は奪わず、文化的なアイコンを抹消する。
そのことによって、世論の流れは確実に変わるはずだった。
最初は巨大な同情が巻き起こるかもしれない。
しかし、それはやがて同じく主戦派の巨大な熱意に飲み込まれる。
人はそういうものだ……と、ヴァレンタインは計算しつくしていた。
そして、それはその通りになったのである。
メイサ・ヤハンが空爆から3週間を経て主戦派に鞍替えしたのも、その証拠だった。
時間が経つほど、人間の情熱というのは募るものなのである。
(最高賢者を抹殺?? なんて恐ろしいことを……。でも、エヴリールの言っていることは正しいわ。人間一人の命は、人間100万人の命に比べればとても軽い。偉大な仕事をしているからって、命の重さが重いわけじゃない。彼一人を倒せば……統合戦線の空気感は、ジェマナイやネオスを許さないものへと変わる。教師をしていた自分には分かる。子供たちの意見がいかに多数派に支配されていくか……)
マリアは考えた。
そして、自分もその作戦に参加しなければ、という使命を次第に感じ始めていた。
それがまさに、ヴァレンタインの計算だったのだが……
彼女のほうでは、その出会いはあくまでも偶然のものだったと思っている。
そして、その死までその考えは変わらなかった。
「しかし、ここで障害になることがあります。それは……」
と、ヴァレンタインは話すのをためらっているかのように言いよどむ。
「統合戦線もジェマナイと同様の恐ろしい武力を手にしてしまったということです」
ヴァレンタインはそこでいったん言葉を切る。
会場内がふたたびざわめいた。
「それは、先日統合戦線がジェマナイから奪取したビッグマンです。このビッグマン、ライジングアースと呼ばれていますが、これは恐ろしい洗脳兵器なのです。半径数百メートルにわたって音と光を発し、そこにいる人間の心理を書き換えてしまうのです。これを、ジェマナイは我々人類を最終的な統御下におくために開発しました。統合戦線はそれを奪ったのです……恐ろしいことです」
──なんて非人道的な、とマリアは思う。
(洗脳兵器ですって? それは人間の尊厳を奪う兵器だわ)
と、いつかの斎賀と同じ考えを抱く。
「そのパイロットが、このネオスの少女です」
ヴァレンタインは、そのとき手にもっていた簡易スクリーンに一枚の写真を写しだした。
そこに移っていた少女こそ……ミューナイトであった。
マリアは愕然とした。
それは、彼女が知っているミューナイト・アレクトだった。
15歳なのにすでに働いていると言った彼女。
公務員の仕事をしていると言った彼女。
ネオスなら当然だ。
公務員とは、彼女にとって「軍務」のことだ。
(なぜ、自分はそのことに気づかなかったのかしら……)
マリアは、自分の目の不見識を呪った。
(あの少女がネオス? ……なら、わたしは彼女を許さない)
それは、相手の死をもいとわない強烈な思いだった。
……ヴァレンタインは続けて言った。
「このミューナイトという少女を、現在のところ『自由の木』は排除対象とはしていません。なぜなら、ジェマナイとの戦いには必要だからです。ですが、この戦争が終わった後、すべてのネオスとすべてのビッグマンには消えてもらいます」
冷徹すぎる──冷酷と言っても良い声だった。
マリア・オリヴェテはミューナイトを潜在的な敵とみなしました。




