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地上戦機ライジングアース  作者: クマコとアイ
第五部

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90/96

90.マリア・オリヴェテのふたつの顔

マリア・オリヴェテの日常回です。

 隠れ家喫茶の朝は、そんなに早いというわけではない。

 マリア・オリヴェテはだいたい午前8時くらいに店に降りてくる。

 それから、ポット・シチューやパスタ・ソースの仕込みをするのだ。


 午前9時半になると、店の掃除を始める。

 まず、テーブルの上に椅子をすべて上げ、床に掃除機をかける。

 これは、入念に行う。

 塵一つでも床に落ちていたら、恥ずかしいと思うからだ。

 そして、この掃除という作業はマリアにとって癒しでもある。

 掃除機の軽いうなり音を聞くたびに、マリアは世界が洗われているのを感じる。

 そして、床をすべてピカピカにした後は、椅子をもとに戻して、テーブルの清掃。

 テーブルクロスの上に丁寧に布巾をかける。

 ときにはコーヒーのしみなどを見つけることもあるが、それは客の愛着のせいだとマリアは考えている。

 いくらでも汚してくれてかまわないのだ。

 しかし、それを翌日に持ち越すことはない……


 11時直前になると、店の看板をOPENにする。

 チョークで、その日のおすすめメニューを看板に書き込む。

 ちょっとしたチョーク・アートもそえる。

 マリアは絵は下手だったが、味のある絵を描くと客たちには評判だ。

 それで、マリアも心をくすぐられる。


 11時半に配達の人間が来た。

 マリアは、ダルエスサラームあたりへ新鮮な魚を仕入れに行くこともあるが、それは店を閉めた日のことである。

 軽く会釈とあいさつを交わして、配達人の届け物を受け取る。

 それを確かめると、ぼちぼち客がやってくる時間だ……マリアはカウンターに立つ。

 そして、雑誌などを読みながら、客が来るのを待っているのだった。


 マリアの一人娘、クレールは滅諦に店に顔を見せなかった。

 今はシングルマザーとして、娘のトゥーランドットを育てている。

「お母さんにはお母さんの仕事があるんだから。わたしがそれを邪魔しちゃったら悪いでしょう?」

 というのが、クレールの口癖だった。

 しかし、自分の娘は自分よりも夫のマルコに似ている、とマリアは思う。

(夫はわたしのことはほったらかしだった。でも、それがわたしには心地良かった……)

 マリアは、深い感慨にふけることもある。

 その時に思い出すのは、決まってダルエスサラームでの教員時代のことだ。

 子供たちは可愛かった。

 マリアは、彼ら生徒たちを小さな大人のように扱った。

 時には敬語で話しかけ、子供たちの自尊心の発達をうながすのだ。

 当時の教え子からは、今でも時折手紙が来る……


 今日は珍しく、クレールが店に降りてきた。

 一人娘をあやしながらである。

 店には、ぽつりぽつりと客が訪れてきていた。

 クレールも、マリアを手伝ってコーヒーを淹れたりしている。

 とても助かる、とマリアは思った。

 マリアの年齢は高齢ということでもなかったけれど、次第にこまかなことに対する注意力や体力が失われてきている。

 とくに、怒ったり悲しんだりするとだめだ。

 こうして娘が手伝ってくれていると、マリアは心の底からほっとする。

 一日にはりが出てくるように感じられるのだ。


「お母さん、今日はお客さん多い方?」

 などとクレールは聞く。

「まあ、ぼちぼちよ」

 と。マリアは答えるのだったが、それはいつもの会話だった。

 クレールは店の売り上げを心配しているのだが、マリアにとっては売り上げは二の次である。

 自分が働けているということが嬉しいし、客たちの笑顔を見ると生きている実感がわいてくる。


 マリアと客たちとの会話はこんな感じだった。

「あら、アレクセイさん? 今日はコーヒーじゃなくってビールなんですか?」

「ああ。女房が病気になってね……。10年間禁酒していたんだが、不思議なことにこうなると呑みたくなってしまった」

「アルコールは心の友ですよ。過ぎなければ、心も体も潤してくれます」

「そうだな。まあ、今日だけだな。明日からはまたコーヒーを注文するよ」

「どちらでも。『ぶどうの生る季節』はいつでも、お客様目線で対応しますから!」

「ありがたいね。こんな場所があることは……」

 アレクセイ・ブランドは、心労を溶かすように、そう答えた。


 店には、ネオス嫌いの人間たちも集まってくる。

 それはいつのころだったろうか……

 例えば、ユークレナ・モディという青年は熱血な反ネオス主義者だった。

 彼は、熱くなってこんなふうに語る。

「ジェマナイはネオスが支配している国家じゃないか! あの、リュシアスっていう不気味な女を知っているか? 仮面の女で、統合戦線を滅ぼそうとしている。これは、AIによる独裁政権だ!」

 ……そのたびに、マリアは優しくなだめ諭すのだった。


 午後2時くらいになると、だんだんに客の数は少なくなってくる。

 ここから3時くらいまでは、だいたいマリアの休憩の時間と言っても良い。

 また、カウンターの傍らで雑誌を読みふける。

 時折は、「自由の木」の広報誌に目を通すこともあった。

 このグループでの活動は、マリアのもう一つの生きがいだった。


 ある日、店に謎の男が現れた。

 スーツの襟がわずかに乱れていて、システム・エンジニアのような自由さをまとっている。

 年齢は……そう、30歳くらいだろうか。

 彼は、マリアに名刺を差し出した──そこには、「ジョージ・ワイマール」という名前。

 彼は、統合戦線の今後について若者たちと語り、何かを手渡していた。

 パンフレットだろうか? 檄文だろうか?

 いずれにしても、ジェマナイ嫌いであることは想像がついた。

 MVモデリング・ヴィジョンの映像に見入りながら、時折その映像に批評を加えている。

 ……

 彼が店にいたのは1時間ほど……でも、なぜかマリアは忘れられなかった。

 彼は、店に置かれていた「自由の木」の広報誌にも目をとめた。

「あなたは……このグループの参加者?」

 と、軽い口調で尋ねる。まるで、市民の活動を軽蔑しているかのように……

 でも、真実は違った。

 彼は、「後で自分に電話してくれ」と言う。

 なんでも相談に乗るから、と。

 マリアはあいまいに笑って、「ご縁があれば」とだけ答えた。

 その客は帰っていった。

 しかし、彼がMVに加えていた批評に、マリアは不思議と納得することがあった。

 いやな男だが、悪人ではないのだろう。と、マリアは思う。

 ……

 それから……数か月は経っていただろうか?

 マリアは、疲れていると不思議にこの男のことを思い出すのだった。


 クレールは、

「じゃあ、お母さん。わたしは娘に食事をさせてくるから……」

 と言って、2階にあがっていった。

「わかったわ。手伝ってくれてありがとう」

「ううん、なんでもないことよ?」

 そしてマリアは一人になる。

 これからしばらくは本当に自由な時間で、娘にも気を使わなくて済む。

 そう、思った。

 しかし、その静謐は一本の電話によって破られたのだった。

 マリアははっとした。──なにかの予感に憑かれたように。


 電話の声の主は……例の男だった。

 ジョージ・ワイマール。

 そして言った。

「あなたに明日、グリーンロードの3番街まで来てほしいのです」

彼女の運命はだんだんに狂っていきます。これも戦争のせい……

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