8.ムルマンスクの祈り
とうとうムルマンスクに潜入しました。
まあ、こういうのは漫画的で良いんです。
ムルマンスク郊外に斎賀たちがパラシュート降下してから、24時間が経っていた。
周辺監視をしたうえで、野営。
時が経つほど、ムルマンスクの警備は厳戒なものになっているに違いなかった。
だが……今は準備の時間が必要だ。
「ミュー、光学迷彩の装備は?」
と、斎賀は確認する。
「やだな。もちろん、常備している。もう1日経っているのよ?」
ミューの口調はあっけらかんとしていた。
「そうだな……お前と顔を合わせたのは、この24時間で3度目だから、忘れていた。俺も、光学迷彩用のウェストパケットは用意してある。上層部は……いざとなればお前を捨ててでも、と言っていた。ビッグマンが俺に操縦できるはずもないが……」
斎賀が、半ば強引に話をもっていく。
この一昼夜、歩き回っていてへとへとだった。
だから、よけいなミューナイトの反論に耳を貸したくない……
「あなたは、ロンドンで会ってからずっと平静でいたけれど、今は焦っているの?」
ミューナイトは、けげんに尋ねる。
「そうかもしれない。敵のビッグマンを奪うのだから、緊張もする」
それが、斎賀の答えだった。
この24時間のあいだに、まずは脱出の経路を確保した。
万が一ビッグマンを確保できなかった場合、自分たちは自力で逃走をはかる必要がある。
統合戦線にしても、優秀なハッカーとネオスを犠牲にすることまでは、考えていない。
イングレスαは何機が撃墜されたようだったが、それでも司令部は「生きて帰れ」と命じていた。
(そうだな。俺もミューを生かすことを、第一に考えなければ……)
そっと、斎賀はミューナイトの様子をうかがった。
この24時間、ミューナイトは一睡もしていない。
時おり、胸のパケット・ボックスを確認している。
彼女独自の、マインド・メンテナンスをしているのだろう……
そういうところは、やはり人間とは違っていた。
(問題は俺だな……)と、斎賀は思った。
ミューナイトは、生体反応を抑えるために、体温を25度に設定している。
しかし、斎賀自身はクマとでも間違えられるのでなければ、確実に侵入者として衛星に補足されるはずだ。
斎賀のまいたジャミング・ウィルスのアルゴリズムは、初期計算では4日間有効なはずだったが……それも、現在のサテライト群のアルゴリズムのアップデートを考えれば、怪しいものだ。1日半というのが、正確かもしれない。
この一昼夜の間、斎賀はムルマンスク基地の周辺にジャミング・ポットを設置してまわっていた。
このジャミング・ポットは、サテライト群が有効になると同時に機能し始める。
ジャミング・ポットは、衛星が最初に地上にビームを落とした瞬間に「応答ネット」を張る仕組みなのだ。
すなわち、先に光学迷彩の網を張れば、その「影」の中で動ける。
これがなければ、彼らの光学迷彩は機能しない。
つまり。この1日半は、彼らにとって危険であると同時に安全なのだった。
北の空に薄い緑のヴェールが広がり、オーロラがゆっくり踊っていた。
光が二人の顔を撫でるたび、夜はほんの少しだけ柔らかくなった。
ミューナイトはやぶれたスーツのほころびを気にして、手でいじっている。
そうしている様子は、ごく普通の少女だ。
斎賀は、そんなミューナイトを見ていると、不思議な感覚にとらわれた。
(ほんとうに15歳の子供みたいだ……)
しかし、人造人間ネオスは人間の1.3倍のスピードで成長する。
本来であれば、現在ミューナイトは人間の20歳前後の成熟した女性の姿と心であるはずだった。
……それにしては、ミューナイトの容姿は「若すぎる」、幼いと言っても良い。
斎賀は、夕べの焚火の跡に近づいた。
焚火といっても、人工光線による疑似的な加熱装置である。
その器具は、コードネームで「コッコ」と呼ばれている。
言葉の起源を、斎賀は知らない。
「ミュー、コッコの種はまだあるか?」
「あるわ、サイガ。温まりたいの?」
ミューナイトは、素直な口調でそう斎賀に返した。
「コッコを点けても、暖かくはならない。ただ、食事をしないかと思って……」
「そう言えば、昨日から何もたべていないね」
「お前はロンドンからだろう?」
斎賀は、ミューナイトを気遣うそぶりをした。
たしかに、ネオスは人間と比べて、空腹を感じるのにも時間がかかる。しかし、斎賀は空腹だった。
ミューナイトは背嚢のなかからツナと人造卵を取り出すと、それを器用にコッコの人工火で調理しはじめた。
手慣れている。
斎賀は、そんな様子を意外なふうに見つめていたが、ネオスにしては当然のことだ。
ネオスはあらゆる人間の生活術を知っているから、ちょっとしたサバイバルであれば難なくこなすことができる。
無知なのは、むしろ斎賀のほうだった。
斎賀とミューナイトは、彼女の調子した質素な食事で腹をみたす。
しばらく、斎賀はミューナイトを見つめながらじっとしていた。
「腹がふくれると、緊張も解けるんだな……」
笑いながら、話しかける。
しかし、ミューナイトは冷静だった。
「戦術下では、むしろ緊張していたほうが良い成果を残せる。この潜入作戦では、緊張状態が続くほうがいいと思うが?」
「いや。腹がへっていては、いざというときに力が出ない。それでは困るだろう?」
「なるほど。なっとくだ」
ミューナイトは、そう言ってそれ以上の反論をしなかった。
「サイガ……。あなたは、どうしてこの潜入作戦に参加したの?」
「俺か?」
斎賀は一瞬動揺した。
斎賀のなかにも、統合戦線に対する思い、ジェマナイに対する思い、というものはある。
しかし、それが一作戦に影を落とすものかというと、それは微妙だった。
『この作戦を成功させて、統合戦線を勝利に導きたいからだ』
──斎賀は、ただそう言えばよかったはずだった。
しかし、そうは言わなかった。
その代わりに、斎賀はこんなことを言った。
「ミューは、この人類とAIとの戦争をどう思っている? というか、AIと人類とはどう違うんだ?」
それは、哲学的な問いだった。
ミューナイトはしばらくの間、考えていた。
「わたしは、わたしのなかにもAI脳がある。だから、AIを他人とは考えない。それはわたしの中にあるもの」
「それはたしかにそうなんだが……ジェマナイは、明らかに俺たちとは異質な知性体だ」
斎賀は、ミューナイトの言葉に追いすがった。
「それはそうだけれど、ジェマナイも生きている」
ミューナイトの口調は、むしろ感傷的だ。
「生きていると、お前は感じるのか?」
「いや、ごめん、サイガ。わたしの言い方が曖昧だった。ジェマナイは、独自の論理で活動している」
「それで?」
「そこには、倫理もあれば、正義もあると思うの」
ミューナイトが考え込むようにしながら、答える。
「敵に同情するのか?」
と、斎賀。
「そうじゃないけれど、ジェマナイも、なんというか……変えられると思う」
「変えられる、か。それは、ジェマナイが人類に優しくなるっていうことか? より悪くなるのじゃないといいけどな」
斎賀は精いっぱいの皮肉を言った。
二日目の夜のとばりが下りてきた。
斎賀は、簡易的な寝袋を下にしいて横たわった。
ミューナイトは、コッコのそばに座っている。
その両足が、ぱちぱちというコッコの火を移していた。
「まだ、ジャミングは切れていない。眠ろう……ミューナイト」
斎賀の言葉に、ミューナイトがゆっくりとうなずいた。
ライジングアースが出てくるまでにはまだもう少しあります。




