58.ジェマナイの静寂
リュシアスとセラフィアがブラックスワーンダーを前に対話します。
トムスクの町の上には冴えわたる青空が広がっていた。
ロシア連邦大統領官邸の広い敷地のなかに、1体のビッグマンが降り立つ。
それを見上げているのは、戦略・戦術長官のリュシアスと、子ルーチンの特務戦術三将セラフィアである。
ロシア連邦大統領であるセルゲイ・アンドローノフの姿はなかったが……別の執務に追われているものと見られる。
さすがに……統合戦線からの宣戦布告があった後である。
静寂な空気のなかに、涼しい微風が吹き、セラフィアとリュシアスの髪をなでている。
丈の高いニワトコの木が赤い実をつけていた。
セラフィアは、その美しい赤色をリュシアスの唇の色のようだと思う……
しかし、リュシアスはこの時にも仮面をつけたままだ。
2人はしばらくの間沈黙していた。
ビッグマンからパイロットの子ルーチンが降り立って、2人の前に来て敬礼をした。
リュシアスは、右手を軽く上げて礼を返す。
そのまま「下がって良い」と、子ルーチンの兵士に伝えた。
「この機体は?」
と、沈黙をやぶってセラフィアが尋ねた。
ここへ自分が呼ばれてきた理由は、おそらくこのビッグマンのためだろうと、セラフィアは思っていた。
リュシアスは、一度軽く「うむ」とだけ答える。
それからしばらくして、「ブラックスワーンダーだ」と告げた。
「ブラックスワーンダー?」
と、繰り返すセラフィア。
「そうだ。第4.5世代のビッグマンだ。NNN‐3よりは後から開発されたが、NNN‐3は秘匿兵器だったために完成が遅れた。早く出来上がったのはこちらだが、特殊な兵装がない分、防御力はNNN‐3よりも優れている。わたし専用の機体にするつもりでいる」
リュシアスはそこまで一息に説明した。
いつもより饒舌だ、とセラフィアは思う。
リュシアスが、自分の思いを口にすることは滅多にない。ましてや、ビッグマンを自分の機体にするなどと……
「そうでしたか」
それだけ、セラフィアは答える。
セラフィアには、それ以上に気になっていることがあった。
リュシアスの背後からブラックスワーンダーを見上げながら、その後ろ姿にセラフィアは問いかける。
それは、政治的な質問だった。
自分が踏み込んで良い話題なのかどうかを迷った。
しかし、リュシアスが自分を大統領官邸に招いたことを考えると、政治から距離をおいているわけにも行かないように思えたのだ。
「なぜ、昨日の統合戦線の宣戦布告の後、ジェマナイとしてのお答えを出されなかったのですか?」
と。
「それがだ、統合戦線は文書による宣戦布告を送ってきてはいないのだよ」
リュシアスは答える。
「どういうことでしょうか?」
「あれはテレビ向けの演説だった。つまり、国民へのパフォーマンスということだ。中身がない」
「なんですって?」
「ジェマナイは宣戦布告を受け取っていない。だから答えなかった」
淡々とリュシアスが言う。
「そうだったのですね……統合戦線側でも、どこに文書を送れば良いのか迷ったのかもしれません」
セラフィアは腑に落ちたという様子でうなずいた。
大統領はそれで対応に追われているのだろう……
リュシアスは、仮面を片手で押さえながらセラフィアのほうを振り向く。
その表情はうかがい知れなかったが、なぜかその時の彼女は笑っているようにセラフィアには思えた。
「我々も、統合戦線同様国民にメッセージを流しても良いのだよ? セラフィア」
「と申しますと?」
「ロシア・アジア共栄圏全土に国家総動員令を発令する、とな。15億の国民がそれぞれスホーイに搭乗すれば、強力な軍隊になるだろう」
リュシアスは言う。
「お戯れを。スホーイにそんな数はありません」
とは、セラフィア。
「そうだな。だが、例えの話だ。なければ、これから作れば良い」
「政治家が反対します。かつての日本のようだと……」
「日本か。たしかに日本の制圧には時間がかかった。やっかいな国民だ」
「ですが、今はジェマナイの管理下にあります」
「ああ。日本の統合でロシア・アジア共栄圏は完成したと言えるな」
その淡々とした言い方はやはり政治家のそれだ、とセラフィアは思う。
そして、リュシアスは話題を変えた。
「セラフィア。統合政体ロシア・アジア共栄圏の戦死者は、統合戦線側の死者に比べて極端に少ない。それはなぜだと思う?」
「それは……攻撃の主体が無人機とビッグマンだから、では?」
「事実関係としてはな。しかし、別の側面もある……」
と、一呼吸おいてから続ける。
「ジェマナイでは上に立つ者が戦っているからだ。統合戦線とはそこが違うのだ」
「たしかに、そうです」
セラフィアは同意した。
ジェマナイでは、すべての子ルーチンが誇りと満足をもって国体に仕えている。
監視国家と言われればそれまでだが、そこにあるのは一種の情熱でもあった。
そのことにたいして、セラフィアも独自の愛着を持っている。
まるで母に従う幼い子供のように……と、セラフィアは考えた。
(リュシアス様もそうなのだろうか……?)
子ルーチンたちの年齢は若い。
最高齢でも24歳だ。人間に換算しても、約30歳。まだ壮年にも達していない……
この若さこそが、ジェマナイの力なのかもしれない。
セラフィアは、胸のなかでかちゃりとパズルのピースがはまったのを感じた。
「統合戦線に潜ませている何人かの子ルーチンからの報告なのだが……」
と、リュシアスがふたたび切り出す。
「統合戦線の攻撃目標についてでしょうか?」
「そうだ。大統領と統合軍長官はセヴァストポリへの一斉攻撃で同意した、と伝えてきた」
「それは分かります。セヴァストポリにはビッグマンの前線基地がありますから」
「それだけではない。我々のバグダッド攻撃も統合戦線側に伝わっていた。おそらく、それに対する布石のためだろう」
リュシアスは言うのだったが、その声色は変わっていない。
すべては想定内にある、といった調子だ。
セラフィアも、それを淡々と受ける。
「そうかもしれませんね。では、バグダッド攻撃を前倒しするのですか?」
「いや。こちら側では、統合戦線の攻撃を受けて立てば良い。それよりも……」
「それよりも、なんでしょう」
「敵はおそらく、セヴァストポリの陽動に南極基地にも攻撃をしかけてくる」
「南極基地ですか。あそこには、203人の職員と31体の子ルーチンがいますね?」
セラフィアが、気がかりだといったように言う。
「そうだ。わたしには、彼らを守る責務もある。セヴァストポリ同様に」
「おっしゃる通りです」
「なので、お前をここへ呼んだ」
それが──今日の核心の話題のようだった。
「お前には、このブラックスワーンダーで南極基地へと出撃してもらいたい」
「わたしが、ですか? これは、リュシアス様の専用機では?」
「これからはそうするつもりだ。だが……」
「なんでしょうか」
「このビッグマンには、ユニット・マーキュリーを直接媒介して通信する機能がついている。つまり、サテライト群をクラックされても通信が可能なのだ。相手はハッキングの手練れのようだからな」
「おっしゃっている意味……すこし分かります。つまり、これは重要な作戦だと」
「そうだ。南極基地への陽動攻撃には、たぶんNNN‐3が使われる。これは、統合戦線の空軍に潜ませている子ルーチンからの報告だ」
「わたしに……NNN‐3を奪還してほしい、と?」
セラフィアが、はっとして尋ねる。
「その通りだ。勘がいいな」
リュシアスはうなずいた。
だからこそ、セラフィアを呼んだ。だからこそ、セラフィアを使う、といった様子がありありと見て取れた。
セラフィアは、その信頼に応えなければならない。
重々しく、一礼する。
リュシアスは、そのときに初めて仮面を取って、微笑んだ。
ライジングアース、ヴォルグラス、プライムローズ、ブラックスワーンダー。この物語のメインの機体が出そろってきました。




