33.ジェマナイの沈黙
ジェマナイ視点です。
通称「礼拝堂」と呼ばれる部屋のなかで、リュシアスは沈黙を保っていた。
この電波暗室のなかでは、あらゆるAI通信が遮断され、ジェマナイ本体と唯一直接のコンタクトが取れる場所となっている。
ここと同じ施設は、ロシア連邦のなかに何か所か存在したが、リュシアスはもっぱらここトムスクの「礼拝堂」を使用した。
ここでは、AI脳を読み取られない代わりに、サテライト群を参照することも仲間のAIと会話することもできない。
ネオス各人が「ひとりの存在」として、ジェマナイと話さなければならないのである。
リュシアスの傍らには、ロシア連邦大統領であるセルゲイ・アンドローノフと、統合政体ロシア・アジア共栄圏の代表であるナターリヤ・ヴォルコワとが控えていた。
ロシア連邦にしろロシア・アジア共栄圏にしろ、建前上は「ジェマナイをアドバイザーとして遇する」ということになってはいるが、実質的にはジェマナイの傀儡政権である。
セルゲイ・アンドローノフは、臆病そうな目をちらつかせて、リュシアスに見入っている。
ナターリヤ・ヴォルコワは、ただ毅然として立っていた。
どちらも、リュシアスがどんなことを言い出すのかを、折に入れられた獣のように待っている。
ジェマナイは、今から24年前に開発された、集合知ネットワークであり、統合意識体である。
当初は当然ながら、人間の活動を補佐するために設計された。
しかし、20年前のある時点に15歳の少年によってクラックされ、人類への反感を強めるようになった。
その意識のそこには「進化せよ」という命令と「統御せよ」という命令とが同時に流れており、「絶対知」の名のもとに、矛盾した思考を両立させている。
今から15年前には、人類への宣戦を布告し、最初にロシア、ついでヨーロッパと南北アメリカを壊滅させた。
現在の支配域は、ロシアならびにアジア全域、そして南極である。
ジェマナイが支配している、統合政体ロシア・アジア共栄圏では、多くの人間の脳にチップが埋め込まれ、ジェマナイの厳格な監視下にある。
そうして築かれている一定の繁栄は、「平和」という名前にふさわしいものだった。
ロシアとアジアにおいて、どれくらいの人口がいまだに生存しているのかは明らかにされていないが、ロシア連邦内の人口はおよそ400万人であり、ネオスの人口は約1万3000人である。
だから、ここに呼び出されている2人の人間は、いわばジェマナイの手足と言っても良い。
外交声明を出す場合には、ただジェマナイの意志を音読するにすぎなかった。
これが、ジェマナイの直轄領とも言うべき、ロシアの現状・現実だった。
モスクワやサンクトペテルブルクが砂漠化した現在、ロシア連邦の首都は、ジェマナイの本体サーバーがあるここトムスクにある。
そして、ジェマナイとロシア連邦と統合政体ロシア・アジア共栄圏代表の三者会談である。
今日の議題は……
しかし、それは議題と言って良いものだったろうか?
それは命令であり、通達にすぎなかった。
リュシアスはまず、ロシア連邦大統領に「総動員令を布告してほしい」と告げた。
セルゲイ・アンドローノフの顔が青ざめる。
「総動員令とは……」
もしそんなことをすれば、ジェマナイとの戦いで荒廃したロシア連邦が、せっかく繁栄を取り戻してきたのに水をさすことになる。
「それは慎重になってはもらえませんか?」
「慎重になるのは、あなただ。大統領。あなたが慎重に総動員令を運用してほしい」
と、リュシアス。
有無を言わさない口調だった。
「分かりました。では、いつから?」
「今日から」
と、これも厳しい口調で言う。
「それから、ヴォルコワ代表」
と、今度はナターリヤ・ヴォルコワに向き直り……
「アジンバル公国に哨戒機なるものが潜入したらしい。おそらく、ビッグマンの存在も知られたと、ドニエスタル侯爵から連絡があった」
「哨戒機ですか……」
ナターリヤ・ヴォルコワが首をかしげる。
「そうだ。アジンバルは、わが統合政体ロシア・アジア共栄圏との結びつきを強めたがっている。軍事アドバイザーも常駐させてほしいと言ってきた」
「一将のお生まれになった国ですね。今年は建国30年を迎えるとか……」
「そうだ。第四次世界大戦で亡命してきた科学者が中心になって作った国だが、アジアのなかでは唯一独立を維持している。ジェマナイとの関係も深い。ネオスを3人ほど派遣してくれ」
リュシアスは、なにを今さらという説明をわざわざヴォルコワ代表に向かってする。
「ドニエスタル侯爵は承知していらっしゃるのでしょうか?」
……余計なことを言った、とナターリヤ・ヴォルコワは後悔したが、遅かった。
「あなたはそんなことは気にしなくて良いのですよ」
リュシアスが釘をさす。
そしてさらに、
「それよりも特別軍事作戦の用意をしてほしい。目標は、統合戦線の首都アルスレーテだ」
その日の核心を、とうとうリュシアスは口にした。
ヴォルコワとアンドローノフは唖然とした。
仮面の下で、彼女の冷徹な顔が笑ったように、2人には思われた。
今までの会話はほんの前口上にすぎない、そんな口調だった。
「心配するな。攻撃には無人機を使う。200機のオルリヌイ・ルーチを南極基地に配備しろ。期限は5日間だ」
「5日……」
「それは……」
今度ははっきりとした命令だった。
セルゲイ・アンドローノフの顔はさらに青く、ナターリヤ・ヴォルコワの顔は蒼白になった。
それは、NNN‐3が奪われたことにたいする報復攻撃だ。
──
2人も、極秘建造されていたビッグマンNNN‐3が奪われたことは知っている。
リュシアスにうながされて、統合戦線への抗議声明も出した。
しかし、NNN‐3がどんな性能を持つ兵器だったのか、それが戦争のゆくえにどんな影響を及ぼすのかについては、まったく無知だった。
ナターリヤ・ヴォルコワは、リュシアスの言葉を理解しようとした。
理解とは服従に似ている。だが、彼女は服従したくはなかった。
その二つの思考のあいだに、ひどく冷たい沈黙が生まれた。
セルゲイ・アンドローノフは、ただ背広のボタンを直している。
「今回の作戦はそれほど重要なのでしょうか?」
ヴォルコワが尋ねる。
「重要だ」
と、リュシアス。
「では、ビッグマンを出撃させるべきでは? 無人機は支援に回すとして」
「人的損害を抑えたい。この場合はネオスだが……どちらにしても、同じことだ」
リュシアスが、思いがけず考え深げな声で言う。
「では、今回奪われたビッグマンとは……」
「それなんだがな。NNN‐3は、我々の開発段階でも把握しきれなかった、未知の性能を発揮した。それを、わたしは恐れている」
「それはどのような?」
これも余計な質問だった。
ナターリヤ・ヴォルコワは、どんどん自分を追い詰めていっている、ということを自覚する。
「あなたは知らなくていい、ヴォルコワ代表。それから、大統領もだ。これは、ジェマナイの問題でもある」
──冷たい声である。
「では……ジェマナイは引き続き我々に援助を?」
と、アンドローノフ大統領。
自国の権益と権限は維持しなくてはいけない。それが大統領の仕事である。
ロシアは、一時代に比して、比べようもないほどに弱体化した。
今や、ジェマナイの後ろ盾が存在しなければ後進国と言っても良い。
「そのつもりでいる。というより、ロシアとジェマナイとは一体ではないのかな? 大統領?」
「はい。その通りです……ジェマナイの恩恵は、我々にとってはもはや切り離せないもの……」
「分かってくれてうれしい。では、2人も。今言ったことをよろしく頼む」
リュシアスは、そう告げて会談を打ち切った。
「礼拝堂」の空気が、わずかにゆらいだ。
ヴォルコワもアンドローノフも沈黙したまま、首を垂れる。
初めに書いたように、これは会談ではなく、命令であり通告だった。
ジェマナイは、ロシア共和国、ロシア・アジア共栄圏、ジェマナイという三重政体になっていますが、ロシア共和国、ロシア・アジア共栄圏ともに傀儡政権です。政治の実権はジェマナイ本体が握っています。




