32.亡命者
不穏な亡命者が統合戦線を訪れます。
QR‐Xのコックピットのなかで、ユーランディアはうめいていた。
人差し指を、コンソールのコムナイト・グリッドに差し入れたままだ。
Qubit(QR‐Xの中央管制コンピュータ)は、「異常なし」との情報を吐き出しつづけている。
今は、サウジアラビアの砂漠の上空にいる。
ユーランディアは、眼下の地面を見渡した。
アラビア半島が小さく見える。
オーストラリア大陸とどちらが大きいのだろうか……と、ユーランディアは埒もないことを考えた。
統合戦線からの通信には、Qubitが自動で答えていた。
──未確認機、こちらは連合哨戒機。あなたは制限空域に進入している。直ちに所属と目的を明示せよ。
──連合哨戒機へ。こちら……空軍機、QR‐X02号。……を求む。繰り返す、……燃料危険域。攻撃するな。
ユーランディアは窓の外を目視した。
イングレスαと思われる機体が、QR‐Xの2キロメートル圏内を旋回して飛行していた。
攻撃態勢にはないと思われるが、捕捉されているのはたしかだ。
Qubitがレッド・アラートを出している。
しかし、どういう命令なのか、そのイングレスαはバグダッド方面に向かって飛び去っていった……
レッド・アラートが止む。
(たしかにバグダッドだろう。バグダッドには統合戦線の後方基地があり、イングレスαの大部隊が駐留している……)
そう、ユーランディアはあいまいな意識のなかで思った。
どうも、Qubitと接続していると、ネオスとしての自我が取り崩されていくような感じがする。
たしかに、この亡命はわたしの仕業なのだが……
気を失いそうになる自分を、ユーランディアは叱咤して意識を保った。
機体はヒマラヤ山脈の上空を飛行中に、急激に西に軸先を切った。
イランの上空に到達するまで、1時間半。
その間、ユーランディアは(自分は何をしているのだろう?)と考え続けていた。
オーストラリア空軍の最新鋭機に搭乗して任務中に、彼は、突如(亡命しなければ……)と考えたのだった。
QR‐Xに搭乗しての任務は順調だった。
かつてのネパールに位置しているアジンバル公国の航空基地を偵察する。
上空から確認し、何枚かの写真を撮影して本国に送った。
電子データは送信されていたが、自動計測ではない、パイロットの判断による報告は貴重だ。
ユーランディアが見た限りでは、アジンバル公国にもすでに何機かのビッグマンが配備されているようだった。
アジンバル公国は、本格的にこの戦争に参画しようとしている。
そこまでが、ユーランディアの確かな記憶だ。
(ネオスの自分が記憶があいまいになるなど……)
それは、調整不足のせいではないようだった。
1週間前にマインド・メンテナンスは受けている。
カウンセラーとの面談の結果も問題なしだった。
しかし……なるほど。
わたしはアジンバル公国の情勢を見て、(亡命するのは今だ……)と考えたわけか。
朧な記憶を探った。
ヘルメットのなかで、額が汗をかいている。
それにしても、気が遠くなる……
パイロットが飛行中に意識をあいまいにするなど、あってはならないことのはずだった。
しかし、今の自分は「自分」というものを保つのがやっとだという気がしている……
ケニアを超えて、タンザニアが見えてきた。
あの……キリマンジャロの麓に、アルスレーテがある。
統合戦線アフリカ機構の首都が。
そう思うと……ほっとした。
ここまで来た甲斐がある。
自分の目的を見失わずに済みそうだ……
リッチモンドからタンザニアまで、1万1000キロの距離を飛行してきた。
ヒマラヤを経由してきたことを考えると、もっとだろう。
──燃料はもう残り僅か。
アルスレーテの空港までたどり着けるか、ぎりぎりの距離だ。
(命がけだ……)
ユーランディアは思う。
ネオスとして、死を恐れるわけではなかった。
しかし、これが「危機意識」というものなのかと、ユーランディアは朧な意識のなかで思った。
(自分は目的を果たさなければならない。それには、統合戦線への亡命は必須だ!)
改めて思った。
──
レーダーにいくつかの機影が映る。
アルスレーテの空港から飛び立ったイングレスαだろう。
いや、エル・グレコかもしれない……
あるいは、統合戦線がジェマナイから強奪したビッグマンか?
と。その時……
「EMERGENCY」のサインがコンソールに点滅した。
もう、燃料がない。
ユーランディアは、必死の思いで通信機のスイッチをオンにした。
「こちらは、オーストラリア共和国空軍リッチモンド基地所属、空軍少尉ユーランディア。乗機QR‐Xとともに、統合戦線への亡命を希望する。繰り返す、こちらはオーストラリア共和国空軍……」
……機体のすぐそばをイングレスαが超音速で通過する。
噂通りの良い機体だ……と、ユーランディアは思った。
(自分が亡命したら、あれらの機体とともに戦うのか……)
やっとの思いで、意識にそんなことを刻み込む。
──
QR‐Xは、オーストラリア共和国空軍で極秘開発されていた、対AI、哨戒・電子戦機だった。
航続距離はおよそ1万3000キロ。
ステルス性能があり、小型戦闘機並みの最大速度も出せる。
バグダッドからの哨戒機を回避できたのも、この性能のおかげだ。
この機体を、統合戦線のビッグマンの支援機とする……自分の計画だ。
それは、遠大な計画のようにも思えた。
共和国の一空軍少尉である自分が考えるようなことではない。
しかし、ネオスとして、ネオスの暴走は阻止しなければならない。
ジェマナイは──今この時も、本国や自分の脅威であり続けている。
(目的を達成するためならば、国を捨てよう……)
そのことに……迷いはない。
QR‐Xのコンソールには、以下のようなサインが表示されていた。
《 //rebooting : pilot_condition (normal) 》
《 //initializing : Qubit (ready) 》
《 connecting to Satellite-Group : stand-by 》
《 landing to Arsrete-North Airport...... 》
今、コックピット内は、ユーランディアの静かな息以外は無音だった。
ただ、コンソールや天井に埋め込まれたLEDだけが、無機質な光を放っていた。
QR‐Xは、たしかに意志を持っている。
その静けさが、ユーランディアの心をむしばんでいた。
──
「未確認機は、至急アルスレーテ北空港へ着陸せよ。着陸に当たっては管制官が誘導する。繰り返す、未確認機は、至急着陸せよ」
1機のイングレスαに乗っているパイロットが、QR‐Xに最接近して告げた。
シエスタは、ヘルメットのなかで深く息をついた。
それが、不吉な前兆でなければ良いのだが、と願いながら。
QR‐Xはこの後しばらく出てきませんが、物語後半でカギになる機体です。




