26.マリア・オリヴェテ
マリア・オリヴェテは物語の重要なキーパーソンの一人となります。
その婦人は、「マリア・オリヴェテ」と名乗った。
ミューナイトの心が、フラッシュバックを起こす。
……それは小さな死にすぎなかった。
統合戦線アフリカ機構では、毎年7万人の人間とネオスが戦闘で命を落としている。
戦争の初期には、人類側に毎年数億の死者が出た。
戦争は、今から15年前に始まった。
統合戦線アフリカ機構が誕生したのは、今から13年前である。
戦争の開始後、ジェマナイの粒子気化爆弾による攻撃によって、ヨーロッパとアメリカの主な都市は廃墟と化した。
その当時、アフリカ大陸の国家は、赤道以北に位置する北アフリカ共和国と、以南に位置する南アフリカ連合とに分かれていたが、その二つが合併する形で、統合戦線アフリカ機構が誕生した。
ヨーロッパやアメリカからの亡命者も多かった。
統合戦線アフリカ機構の人口は、現在6.5億人である。ネオスの人口は3000人。
毎年1万人に1人の人間とネオスが命を落としている計算になる。
しかし、その死は違っていた。
潜入工作員であるネオスのマリアは、ミューナイトの任務中にムルマンスクで死んだ。
ミューナイトとの思念通信の最中に捕縛され、「もう遅い」という言葉とともに殺されたのだ。
ミューナイトのAI脳には、そのときの彼女の「思念」がはっきりと記憶されていた。
苦しそうな断末魔の思考──それは、消すことができない。
ミューナイトにあっても、マインド・メンテナンスの際に記憶を改ざんすることはできるが、断片化した記憶が残り続けるだろう……
その「声」は、ミューナイトの思考回路をクラックしたのも同然なのだった。
(……どうすることもできなかった)
1人のネオスの死は、その後のライジングアースの凶悪な武装とともに、ミューナイトの心に消えない傷を作った。
自分の無力と、自分の罪。
ミューナイトは、自分が戦争を続けてもいい人間なのかどうかを、思い迷った。
そして、そのマリアと同じ名前の人間が、目の前にいる……
マリアという名前の人間は、いくらでもいる。
しかし、そのマリア・オリヴェテは、ミューナイトが任務後初めて顔を合わせた「マリア」だった。それが特別なのである。
そして、マリアは後々の彼女の心にもずっと残り続ける人物だった。
マリア・オリヴェテは、何気ない話から始めた。
「ミューナイトさんは、今日は学校はお休みなの?」
「いいえ、わたし学校には行っていません。働いています」
ミューナイトは、時折そうするようなそっけない答え方をした。
自分について深く知ろうとしてくる人間が、苦手なのである。
それは、自分がネオスなのに見た目が若い、ということも関係していた。
本来であれば、自分は今人間相当で20歳の大人として見えているはずだった……
「まあ、その年で? 親御さんに何かあったの?」
マリアが、驚いた様子で言う。
「いえ。そういうわけでは……ただ。わたし若く見られるんです」
ミューナイトは、いつものように説明に苦労する。
自分がネオスだと明かすことは、少なかった。
外見と精神の年齢が一致しないのである。
「あなた、今何歳?」
と、マリアは尋ねる。
「15歳です」
「だったら、働くには若すぎるわ。まさか、いかがわしい仕事ではないでしょうね? そういうの、あなたのためにならないわよ?」
マリアは厳しい表情を作ってみせる。
「いえ。そういうことじゃ……。きちんとした仕事です。でも、つらいこともあって」
マリア・オリヴェテは、ミューナイトの隣の椅子に座って、やはりマリアンヌから勧められたハーブ・ティーを飲んでいる。
人を見ると警戒する癖がついているミューナイトも、婦人の目を見ていると心が安らぐような気がした。
それほど、マリアの面立ちは平和を象ったような様子をしていた。
孫のためにぬいぐるみを買いに来た、というのもいかにもその性格を表しているように思われる。
「仕事でつらいことがあったときには、泣いてしまうのがいいのよ?」
マリアが、そう優しく口にした。
ミューナイトをさとすような口調だった。
「わたし、実際に泣いてしまったんです。もう大人なのに……」
ミューナイトは打ち明ける。
「あらあら。あなたはまだ子供よ? 子供なのにそんなつらい経験をしたんでしょう? 泣くのが当然よ。わたしの娘もね? わたしが夫をなくしたとき、泣いたわ。まだ16歳だったの。あなたよりも年上ね……いくら大人びたふうを普段装っていたとしても、悲しいできごとはまっすぐにその心に伝わってしまうんだって、わたしそのときに思ったわ。それ以来ね、人が泣くことをけっして咎めなくなったの」
それは、含蓄のある言葉だった。
ミューナイトの心にすとんと落ちてくる。
自分が、人間相当では20歳くらいの精神を持っている、ということをミューナイトは言わなかった。
言えなかった。
マリアの優しい視線に触れていると、自分の懊悩がちっぽけなもののように思えてくる。
でも、泣いてもいいんだ──そう思うことは行幸だった。自分はネオスなのに……
「こんなにいい天気なんだから……」
と、マリアはもっていたカップをかたりとテーブルに置く。
「建物のなかにばかりいるのは、もったいないわ。ぬいぐるみも買ったことだし、すこし外を歩かない?」
そんなふうにミューナイトを誘う。
ミューナイトは、そのときも自分がすこし涙を流しているのを知った……
──
木漏れ日がさんさんと差していた。
アルスレーテは緑の多い市(=まち)である。
ミューナイトとマリアとは並んで歩いている。
「外を歩こう」とは言ったものの、マリアはミューナイトに話しかけるわけでもなかった。
ただ、ときおりマリアは太陽の光を仰ぎながら、気もちの良さそうな表情を見せている。
「はあ、暑いわね?」
と、独り言を言ったりした。
そうして、20分ほどの時間が経過しただろうか?
突然、マリアは、
「こんなところにも、ツバメが巣を作っている……」
と言った。
ミューナイトの肩を叩いて、道のかたわらにある廃工場らしい建物のほうを指さしてみせる。
廃工場の排気ダクトの付近に、言われた通り、いくつかのツバメの巣が作られていた。
ツバメの姿は見えない。季節ではないのだ。
「春になれば、またツバメが巣に帰ってくるのね……」
そうかもしれなかった。
「このへんもすっかり気候が変わってしまったけれど。変わらないのは、生き物の営みね。ミューナイト、あなたはそう思わない?」
マリアが優しく尋ねる。
手には、さっき買ったライカランのぬいぐるみを抱いている。
ミューナイトはよく分からなかった。
自分はまだ15年しか生きていない。そのことが、これほどまでに経験の不足を示すのだろうか、と思った。
ミューナイトは、まだツバメが春先に巣で子育てをするところも、その雛たちが巣立つところも、見たことがない。
ネオスとしての精神がいくら成長していても、経験がそれに追いつくわけではないのだということを、そのときに痛いほど知った。
「ねえ、あなたはどんな仕事をしているの?」
と、マリアは重ねて尋ねた。
「公共の……公務員です」
とだけ、ミューナイトはどうにか答えた。軍人だ、ということは、この女性には告げてはいけないような気が、なんとなくしたのだった。
それを明かせば、その女性の世界を壊してしまいそうな、そんな気がしてならなかった。
次章に続きます。




