24.雑貨店「クローバー堂」
閑話休題の章と見せかけて……。
しかし、ミューナイトの憂鬱はそれで吹っ切れたわけではなかった。
未来への希望は、未来への絶望の写し鏡だったと……ミューナイトは後で知ることになる。
任務終了の3日後、ミューナイトは行きつけの雑貨店である「クローバー堂」へと出かけていった。
休日の服装は、彼女もおしゃれである。
ひざ丈のワンピースに、ウェストポーチをつけて、左肩にはトートバッグを下げている。
「クローバー堂」は、マリアンヌ・ミュゼという老婦人が経営している。
主にバスまわりの小物から、ハーブ・ティー、筆記用具やメモ帳など、女子が好きそうなものを売っているのだ。
ミューナイトがとくに気に入っていたのは、「ライカラン」というぬいぐるみだった。
なんでも、アフリカのどこかの言葉で「妖精」を意味するらしい。
マリアンヌは、ミューナイトを見かけると、「あら、こんにちは」と挨拶をした。
店主として、型通りの挨拶である。
が、そこには「あたたかさ」があると、ミューナイトは感じていた。
こんな雑貨店に買い物に来る客であれば、さぞかし穏やかな心の持ち主なのだろう。
そして、自分はそんな場にはそぐわない……
雰囲気にそれが出ないかと、彼女は心配した。
「おはようございます。マリアンヌさん」
と、ミューナイト。
「いらっしゃい。今日はお仕事お休みなのね?」
「ええ、今日は非番……休みです。また、お邪魔していいですか?」
「どうぞ、ゆっくりしていって。珍しいハーブティーも入荷したし、試しに飲んでみる?」
「わあ、いいんですか? いただきます」
そう無邪気に答えるところは、思春期の人間の女性のようにも見えた。
……
「それで、ミューナイトちゃんは苗字はなんというの?」
マリアンヌが、ハーブティーのカップを手にもっているミューナイトに尋ねる。
ミューナイトはすでに支払いをすませたぬいぐるみのライカランに触れて、その肌触りに癒されていた。
くるくるした目が、穏やかにこちらを見つめている。
「苗字は、ないんです。以前になんどかお話しましたけれど……」
ミューナイトは気まずそうに、視線をそらした。
「あら、そうだったかしら? 苗字がないなんて不思議ねえ。忘れちゃったのかしら?」
「はい、そうみたいです。わたし、忘れっぽいから」
「まあ。苗字を忘れちゃだめねえ。大切な家族の思い出なんだから」
マリアンヌは、ミューナイトがネオスだということを分かっていない。
以前、彼女の年齢を聞いて「15歳」と答えられたことから、それ以来ずっと彼女を人間だと思っている。
ミューナイトは、エルダーフラワーのハーブティーを飲みながら、店の外を眺めていた。そうしていると、気づまりな気分も晴れていくように思える。
「エルダーも、このごろではちっとも入ってこなくなっちゃってね……やっぱり戦争のせいなのかしら?」
マリアンヌが言った。
「ええ……たぶん」
ミューナイトはあいまいにごまかす。
「いっそのこと、アフリカで育てちゃったらどうなのかしら?」
マリアンヌは言葉を続ける。
「ええ。でも、産地とかあるんじゃないかな?」
ミューナイトは、言葉を継ぐのに苦労した。
その「戦争」を引き起こしているのが、自分たちだとは、彼女は明かしたくなかった。
マリアンヌは、彼女の気配には気づかずにいる。
思い切って、ミューナイトは自分の胸のうちにある思いを、雑貨店の店主にぶつけてみた。
「マリアンヌさん、わたしね……仕事でどうしてもしたくないことができちゃって。でも、仕事だからしないといけなくって。それで、今すごく悩んでいるの」
「あらあら、あなたもう仕事をしているの?」
と、マリアンヌは驚く。先ほど「お仕事お休み」と言ったことは忘れているようだ。
答えがあるまでに、しばらくの間があった。
「そうねえ。仕事だと、したくないことでも、しないといけない。でも、本当に心の底からしたくないことだったら、きっぱり断ってしまってもいいんじゃないかしら? ……だけど、人は生きるために、ご飯を食べるために、仕事をしているでしょう? だから、時にはやりたくないことでも、しかたなくしないといけないの。そういうとき、あなたはどんな仕事を断ってもいいのか、どんな仕事は断ってはいけないのか、だんだんに分かっていくと思うわ。それが、働くということだし、生きるということだから」
長い言葉だったし、良い言葉だった。
ミューナイトは、その一語一語をかみしめた。
理性として、そういうことを認識していなかったわけではない。彼女は軍人だ。
だが、この老婦人の生きた言葉──61年の歳月を積み重ねた言葉としてそれを聞くと、それはミューナイトに違った重さをもったものとして降りかかってくるのだった。
(どんな仕事を断ってもいいのか、どんな仕事は断ってはいけないのか)
と、心のうちで繰り返す。
「なんだか、哲学者みたいですね。マリアンヌさん」
ミューナイトは言う。
「哲学者だなんて、そんな! わたしは、ただ自分の思ったことを言っただけよ? あなたは何か深い悩みを持っているの?」
「いいえ、わたしはべつに。ぜんぜん。でも、これから大変になるんじゃないかなあって……」
「そうよ。人間、年を取ったら楽になるって思われているけれど、年を取ると大変。次から次へと新しい問題が表れてくるの。でも、それは今のあなたは気にしなくっていいのよ? あなたは、自分の目の前にある問題に、きちんと向かい合えばいいの」
マリアンヌの言葉は含蓄に満ちていた。
彼女が今までどんな人生を生きてきたのかは、知らない。
ただ、夫と死別して、子供たちは別の場所に住んでいるということを聞いていた。
彼女は、今61歳である。
そしてその子供たちとも、今はなかなか会えないらしい……
「わたし、ちょっと元気が出てきましたよ、マリアンヌさん」
「まあ、ハーブティーのせいかしら?」
雑貨店の店主がおどけて言った。
ミューナイトは、胸の底でこそばゆい思いを抱える。
その時だった。
からん、とドアベルを鳴らして、1人の女性客が入ってきた。
「まあまあ、オリヴェテさん……今日は、例の入浴剤ですか?」
「いやだわ、マリアンヌさん。他のお客さんもいるのに」
オリヴェテ、と呼ばれた女性は、ミューナイトのほうに視線を投げてきた。
何歳くらいだろうか? たぶん50歳そこそこだと思うけれど……ミューナイトは素早く思考を巡らせた。
「今日はね、ライカランのぬいぐるみを探しにきたの。どこでも入手困難なんでしょう?」
と、婦人が言う。
「そうなんですよ。ライカランは売れっ子ですからね。オリヴェテさんのお気に入り?」
とは、雑貨店の店主。
「いいえ。娘がね。孫のために、ひとつほしいって」
「まあまあ、そうですか」
そんな、なにげない会話をしている。
軍人として、普段から警戒する心理に慣れているミューナイトは、そのありきたりな会話に緊張を解いた。
「こちらは?」
さきほど入ってきた婦人が、店主に尋ねる。
「ミューナイトですよ。苗字はなんと言ったかしらね……」
「アレクトです」
と、とっさにミューナイトは嘘をついた。
「そう。ミューナイト・アレクト……。ミス・アレクトね?」
初老の婦人が、いかにも教育を受けたらしいふうの女性の口調で、そう尋ねた。
またキーパーソンになる人物登場です。




