2.モスクワ潜入
いよいよ主人公二人の登場です。しばらくこの二人の視点で動きます。
監察車の車輪が震え、エンジンの音が斎賀真一の腹に響いた。
モスクワは一面の廃墟である……
ただクレムリンだけを残して、モスクワは砂の平原となっている。ジェマナイの粒子気化爆弾によって攻撃された跡地だ。赤の広場を中心として、半径10キロ以内の土地が、砂漠と化した。今から13年前のことだ。
監察車を降りた斎賀は、どこかに人間のにおいのするものはないかと、あたりを見まわした。
しかし、ところどころで地面から顔を出している排水管のほかには、「生きた」ものは見つかりそうにもなかった。
斎賀は、思わず自分の手の匂いを嗅ぐ。
人間のにおいだ。ネオスのそれとは違う……
と、その傍らにひとりの少女が降り立った。
少女……? なのだろうか?
その肌は透き通って、まるで植物をおもわせる光沢を宿している。
「サイガ?」
と、少女は言う。
「お前はまだ監察車に乗っていろ? 輸送機が合流するまでには、だいぶ時間がある」
「わたし……ミューナイトっていう名前を、ここに刻みたいの」
「おかしなことを考える奴だな? ロシアが復興しても、もうモスクワに人は戻らない……」
そう言って、斎賀は足元にある平らなコンクリートの瓦礫を拾い上げた。
ためらいながらも、それを少女に差し出す。
少女の名前は、ミューナイト。
統合戦線アフリカ機構の統合軍二曹である。
人間ではなく、遺伝子レベルで生成された新生人類の少女で、実年齢は15歳。
しかし、外見は人間相当で16歳ほどと若い……
本当であれば、20歳程度に見えていても良いはずなのだ。
ミューナイトは、手をいちどこすり合わせた後、斎賀から瓦礫を受け取った。
そこに、手にもっていたドライバーで文字を書きつけていく。
「M・U・E・N・I・T・E」
「気は済んだか?」
斎賀は髪をかき上げる。
少女──ミューナイトは、うつろな眼差しでそれを見つめていた。
……ネオスにはよくあることだ。
AI脳は、何かを分析しようとすると、一定期間フリーズしたような状態におちいる。
しかし、それは回路が急速に稼働している証であり、超高速度の演算をAIで行っている。
斎賀は、(俺は今、ミューに分析されているのか……)と、心のなかで思った。
そんな不安が伝わったように、ミューナイトもふと、その虚ろな表情を止める。
そして、上空に目をやった。
そこには、統合戦線が設立される前、人類とジェマナイとの戦争が始まる以前からある、サテライト群がある。
サテライト群とは、衛星軌道上にある、独立AIネットワークのことだ。
28年前から設置されている。
当初は、マザー・セントラルという集合知ネットワークを補完する目的で作られたが、現在では独立稼働したAIネットの一つとなっている。
地上の詳細な観察をすることができ、都市にいるネズミレベルの存在を感知できる。
しかし、それらはデータとしてはどこにも流されずに、ただ情報の海を漂っている。
ミューナイトはいわば、その情報システムをハッキングしているわけだ……
ミューナイトの瞳が「何か」をとらえた。
「ミュー、なにか分かったのか? お前の勘は鋭い。小型輸送機のノクティルカが到着するまえに、お前の情報分析を聞いておきたい」
「サイガ? あなたは……信じるということを、どう思う?」
ミューナイトがぽつりとつぶやく。
「おかしなことを言うやつだな? 信じる? どういうことだ? ノクティルカの到着を信じるっていうことか?」
「そうじゃないの。信じる、ということの本質を知りたい」
そういうミューナイトに、斎賀はいらいらとしながらも静かな言葉を返す。
「今はそんな時間じゃないが……信じるということは、考えるということをやめたときに残るものだ」
斎賀は不器用に言葉をつむいでいく。
「なんだか哲学的……。たしかに、作戦前に話すことではないようね?」
「当たり前だ!」
「でも……じゃあ、わたしはまだ『信じる』ということができていないのね? だって、まだAI脳で演算しているのだから……」
「演算、とか言うな。お前は考えている、それだけでいい」
「了解……」
ミューナイトはしばらくの間だまった。斎賀の言うことはもちろんよく分かる。今は、考え事に没頭している時間じゃない。
しかし、自分のネオスとしての勘は、そこにただならないものが迫っていることも、予感している。
(そのことをどうしても斎賀に伝えたい……)と、ミューナイトは思うのだった。
「でも、信じられないものを……信じてみたいの」
「なんだ、それは? 今は集中しろ。ノクティルカが来ることを信じるんだ」
「了解。わかった。雑談はもうしないことにする」
「分かってくれて、うれしいよ」
斎賀は、ほっと息をついた。
ミューナイトと接していると、ときどきこのガイノイドがネオスなのか、人間なのかわからなくなる時がある。
ネオスとは本来、人間の召使として作られている。
人間が命じればなんでもこなすし、それを失敗することもごく稀だ。
つまりは、人間にとっての便利な道具なのだが、斎賀はそのことが信じられない。
ミューナイトを見ていると、ネオスには人間と同じような魂が宿っているのではないか、と疑ってしまう。
それは、敵側の子ルーチンについても同じことだ。
彼らは、戦いも、戦死も、厭わない。
戦場では強力な武器だ。
しかし、それだけではない、と思わされることがある。実際あのとき……
斎賀は記憶の奥のほうを探った。
それは、苦々しい思い出だった。思い出したくもない。
「ちぇっ」
と、斎賀は舌打ちをする。
それをミューナイトが見とがめて、首をかしげる。その仕種は……
いや、もうすぐ輸送機のノクティルカが到着する。
しかし、ここへやってくるのはそれだけではない、ということもミューナイトは感知していた。
ネオスというのはアンドロイドとガイノイドのこと。子ルーチンとはジェマナイ側のネオスのことです。今後の物語では、人間・ネオス(子ルーチン)・AIの関係性がカギになってきます。




