138.〈山荘〉にて
次第にパルチザンの組織になじんでいく斎賀です。
斎賀は、アーヴァーズ・エ・ハークの面々とともに〈山荘〉への道を歩いていた。
バグダッドでの戦闘が始まって以来、イラン国内でも戒厳令が敷かれている。
街を行く人々の数は少なかった。
目立つ自動車ではなく、徒歩で移動する。
それぞれのメンバーが距離を取って、だ。
斎賀は、すでにサラーブから拳銃を突き付けらることはなかった。
しかし、油断なく彼女は斎賀のことを見守っている。
どうやら、〈山荘〉へ着いてからも斎賀は仕事を任されそうなのだが……
自分が何者かも分からない今、彼らに匿ってもらえることは斎賀にとってもありがたかった。
なにしろ、自分の現在の敵が誰であるのかも分からないのである。
〈山荘〉は、イーラームの中心街から約6キロほど離れた場所にあった。
べつに、山中にその隠れ家があるわけではない。
ごく普通の住宅街のなかにある邸宅だった。
ただし、隣接する街区にこんもりとした森の繁る公園がある。
斎賀たちの一行は、まずその公園でアーヴァーズ・エ・ハークの同志と思われる人間に面通しをしてから、〈山荘〉へと入った。
斎賀は、その〈山荘〉で偽造されたパスポートを渡された。
そこには、「パク・ミンソク」という韓国系の名前が書かれている。
斎賀は、(俺は韓国語は話せないんだがな……)と、苦笑した。
それにしても、手回しの良いことである。すでに、すべての手続きがシステム化されている。
〈山荘〉に着いたサラーブは、斎賀に尋ねた。
「あなたは身分証明書はもっていないのか? 自分が誰だか分からないというのは、不便だろう」
流ちょうではあるが、ややぎこちない統合戦線の標準語である。
「それが、身分証明書はすべて抜き取られていた。財布も持っていない。あるのはスマホだけなんだが……」
「ログインすれば、自分が誰かという情報は分かるだろう?」
「いや。パスワードを思い出せない。それに、どうやら故障してもいるらしいんだ」
「そうか。それは厄介だな。ここでは医者を手配することはできないが、自分が何者か思い出すまで、ゆっくりしたらいい。あなたにとっても、きっとそのほうが安全だろうと思う。なにせ、イラン国内は今や親ジェマナイ派が席巻しているからな。統合軍の兵士は怪しまれる。コート以外に、替えの服も用意しよう」
「そうだな。そう願おうと思っている。俺にできることがあれば、なんでも言ってくれ。もっとも、今は記憶が怪しいんだが……」
「心配するな。あなたのハッキング能力は一流だ。すでに十分に役に立っている」
そんな会話である。
〈山荘〉での食事は、質素だがそれなりに充実していた。
缶詰のラム肉、ワイン、キャンベルのスープ。
それらを、簡易的な調理器で加熱して食べる。
斎賀は、まだハサン・ファルザーネ以外の名前を聞いていなかった。
コードネームは教えてくれるかもしれないが、果たして本名は明かされるだろうか? と、斎賀は思った。
しかし、メンバーは順に自分たちの名前を明かしていく。
これも、もともとが知的なグループだからだろう、と斎賀は考える。
まず、サラーブはナジーネ・ハミーディ。いたって標準的なイスラーム系の名前だ。出自に芸術家やテロリストといった怪しいところはないのだろう。どうやら、彼女がこの現場のリーダーらしい。
もう一人の女は、レイラ・ザンド。コードネームは「シャフレザード」。ナジーネを姉のように慕っている。ブルカは着用していないので、イラン国内では進歩的、あるいは反体制的な女性、という扱いなのだろう。
青年は、マフムード・カリミ。いや、青年というにはいささか年齢が高かったが、コードネームは「サング」。無口な戦闘員だ。後で聞いた話だが、彼はジェマナイに家族を殺されていた。その怒りが、この活動へと向かわせている。
〈山荘〉内での斎賀の振る舞いは、単調だが充実したものだった。
まず、「シャヒーン」を使って衛星回線との通信を試みる。
それから、通信プロトコルを改ざんしてより安定したネット環境を整える。
斎賀は、アーヴァーズ・エ・ハークの通信網のすべてに介入した。
より秘匿性の高い通信プロトコルに変更して、メンバーの位置情報などを特定されにくくする。
そうした作業は、一日で済んだ。
斎賀は、すでにアーヴァーズ・エ・ハークのメンバーから信頼されていたのである。
斎賀は、ハッカーとして自分を認識していたが、それでも自分の「現在の立ち位置」を思い出すことはできなかった。
それに対して、ここにいるメンバーは斎賀の立場を十分に考慮してくれている。
少なくとも、ジェマナイから匿われる、という点においては斎賀の立ち位置は絶妙なポジションを占めていた。
なにしろ、アーヴァーズ・エ・ハーク自体がジェマナイからすれば「お尋ね者」であったからである。
斎賀がこのグループに溶け込むまでには、2日あれば十分だった。
情報工作員として生きてきた経験と直感が、彼らとの適切な距離を取らせる。
サラーブは慎重だが、信頼できるリーダー。
ナグシェは有能な長老。
シャフレザードは万能の工作員。
そして、サングは戦士。
小さなまとまりのあるグループとして、パルチザンとして、このメンバーは機能していた。それもかなり優れた手法で。
斎賀は、そのことに居心地の良さを感じていた。
そして、サラーブは尋ねる。
「ところで、あなたを呼ぶときの呼び方だが……偽造パスポート通りの名前でいいか?」
「そうだな、俺にもコードネームがほしい。そのほうが、あなたがたに馴染めると思う」
「それでは、オガーブではどうか? 統合戦線の標準語では、『鷲』という意味だ」
「オガーブ、いいな。気に入ったよ。じゃあ、俺はオガーブで頼む」
「了解した。通信ネットにも、その名前で登録しておこう」
それ以降、斎賀はアーヴァーズ・エ・ハーク内において「オガーブ」として活動することになった。
斎賀が、なぜそれほどまでに他メンバーに信頼されたのかは分からない。
しかし、アーヴァーズ・エ・ハークの現状が、斎賀をそのような立ち位置に立たせたのだと思われた。
逼迫したものはおのずと同志を求める──そんな原則によったのである。
──
それから一週間ほどが経った。
ジェマナイとイラク軍、統合軍との戦況は膠着していた。
当初、クリスマスまでにバグダッドを落とす、ともくろんでいたジェマナイの作戦は成功しそうになかった。
とくに、イラク陸軍の抵抗が激しい。
統合軍の航空機部隊の活躍も目覚ましかったが、ヴォルグラスとプライムローズを失ったジェマナイは、手をこまねいていると言えた。
そんな情報も、斎賀たちのもとには入ってくる。
果たして、イラクがジェマナイ領となるのがイランという国にとっては得策なのかどうか、即座には分からなかった。
アーヴァーズ・エ・ハークの内部でも意見が割れているらしい。
イラクを無力化してからジェマナイに対抗すべきなのか、イラクと歩調をとってジェマナイに対抗すべきなのか。
かつて、敵国として対峙したイラクと協力することは、即座には難しいように思われた。
イランは、現在でもイスラーム共和制を維持している。
冷戦期に米国化したイラクとの協力は、今にいたっても難しいのだった。
斎賀は、「現在の同志」たちとこんな会話を交わした。
「ナグシェ、これからあなたたちはどんな攻撃をジェマナイにしかけるつもりなのか?」
「ジェマナイそのものを解体する。それが、我々の目的だ……」
斎賀は押し黙った。
それは、簡単なことではないと即座に知れた。
しかし、不可能なことでもないと、そのときの斎賀には思われていた。
記憶喪失の斎賀の旅路は、これから長く続きそうです。




