128.記憶喪失の斎賀
セラフィアが放置した斎賀が目を覚まします。
暗闇のなかで斎賀は目を開いた。
最初に目に入ったのは、月と星だった。砂漠の上に、それは煌々と照っている。
斎賀は思った、(俺は誰なのか……)と。
……そして、ここはどこなのだろうか?
見たところ、廃屋となった民家の軒先らしい。
雨が降ってもかろうじて防げるが、夜の冷気は防げない。
自分は、誰かから置き去りにされたのだろうか……
斎賀は周囲と自分自身の状況を確認してみる。
左腕と首が痛んだ。どうやら、自分は怪我をしているらしい……
しかし、誰が巻いたのか、首と左腕には簡易的な包帯が巻かれていた。
動かすと痛むが、起き上がれないほどではないらしい。
──もしかして、自分は死にかけていたのか? と、斎賀は訝った。
とすれば、なぜ自分はこんなところに置き去りにされているのだろう?
自分の体に触れてみて思ったのは……
(自分が着ているのは何かの作業服らしい。いや、戦闘服か……とすれば、自分は軍属?)
斎賀の鋭敏な脳が次第に状況を確定し始める。
自分は戦場で傷ついて、味方から置き去りにされたのだろう……とすると、自分はすでに死んでいると思われている可能性がある。
──とすれば、自分は自分の無事を味方陣営に報告しなくてはいけない。
(しかし、俺は一体誰なんだ……?)
斎賀は、自分自身の「斎賀真一」という名前も覚えていなかった。
今は、ただの怪我人Aである。しかもだいぶ重症の。
斎賀はそろそろと起き上がる。
どうやら、痛むのは左腕と首だけらしい。
うっすらと明るい月明かりのなかで、斎賀は左腕に巻かれた包帯に血がにじんでいるのを見て取った。
(俺は戦場で怪我をした。そして、味方は俺をおいて撤退した)
──それが、斎賀の出した結論だった。
(俺は運が良いのだろうか? それとも悪いのだろうか?)
と、斎賀は思うのだった。
──
斎賀をその場所に置き去りにしたのは、もちろんセラフィアである。
ネオス(子ルーチン)は人間よりも体力的に優れているから、成人男性の一人をかつぐくらいはなんでもない。
ライジングアースのコックピット・ハッチを開けて、斎賀ごと飛び降りた。
地面までは数メートルの距離があったが、ネオスにとっては平気である。
そのまま、斎賀を肩にかついで歩き出した。
いろいろな意味で、それは異様な光景だったろう。
ライジングアースとプライムローズが戦っていた戦闘区域には、すでに遺棄された廃屋が広がっているばかりだった。
この1世紀ほどの戦争によって荒廃し、また気候変動も影響して、人は都市部へと移動している。
ここも、そんな遺棄された村の一つだ。
家は数軒あるが、誰も人は住んではいない。
ジェマナイの作戦が予定通りに進めば、じきにここはジェマナイの監視下になる──と、セラフィアは思った。
バグダッドが2日で落ちるとも思えなかったが、一、二週間のうちには自軍の陣地となるだろう。
ジェマナイは、陸軍からもそれなりの人員を割いて、兵士を派遣してきている。
ジェマナイ陸軍の兵士は、ビッグマンのパイロットである特務軍の兵士とは違って、多くが人間だ。
そうした人間同士であれば、捕虜にたいして人道的な扱いもしてくれるだろうと、セラフィアは考えた。
いや、その考えは甘すぎたかもしれない。しかしこの場合、甘さとは希望である……
……
そして、そのセラフィアの勘は当たった。
その何時間か後、ジェマナイ陸軍の兵士たちが、ジープでこの集落を通りかかったのである。
廃村……と定めはついていたが、一応確認のために家々を確認してまわる。
統合軍かイラク軍の兵士が潜んでいないとも限らない。
そうであれば厄介だ。
ビッグマン部隊の活躍は別として、後方の補給基地を攻撃されては元も子もない。
そして……一人の士官が民家の軒先に1人の人の姿を発見した──
とっさに銃を身構えたのは、アレクサンドル・ペトローヴィチというロシア出身の兵士である。
「中尉! 人がいました。民家の軒先に倒れています」
と、アレクサンドル二曹は無線で通信する。
2秒後、ジェマナイの指揮車から返信があった。
「分かった。今行く。その人間は生きているのか?」
「分かりません。ですが、動けないようです……重傷を負っているものと思われます」
「統合軍の兵士なのか?」
「そのようですね。あるいは工作員でしょうか?」
「その可能性もあるな。警戒は怠るな」
「了解」
アレクサンドル二曹は銃を構えながら、ゆっくりと斎賀に近づいていく。
斎賀はぴくりともしない。依然として気を失ったままである。
しかし、ミューナイトが塗布したたんぱく質生成オイルのせいで、血の気はいくらか取り戻しているようだ……
あと必要なのは、水だった。
しかし、それは望むべくもない。
やがて、無線で答えていたセルゲイ・ヤーコフ二尉が指揮車を降りてやってきた。
「上級士官じゃないな。せいぜい中尉と言ったところか? 襟章を確認してみろ」
ヤーコフ中尉は、斎賀を見下ろしながらアレクサンドル二曹に指示する。
「了解しました。……スマホの情報と照らすと、統合軍の中尉のようです」
「馬鹿! 敵の襟章くらい覚えておけ? 場合によっては生死を左右するぞ?」
「分かりました。これからは……」
と言った瞬間、気を失っている斎賀が激しく咳き込んだ。
何かが喉に詰まったものらしい。
ヤーコフ二尉は顔色を変えない。
それから、「水くらい飲ませてやれ」とアレクサンドル二曹に言う。
「捕虜にする必要はないのでありますか?」
「その必要はない。重症だ、いずれ死ぬだろう。花でもあげておいてやれ」
「了解です」
そしてその水が、斎賀を救うことになったのだった……。
ジェマナイ陸軍の兵士たちは、ふたたびジープや輸送車に乗って走り去っていった。
これから、前線にバリケードでも作るのかもしれなかった。
そのほとんどは工兵であり、人間だった。
斎賀は、花と延命処置となる給水とともに、再び民家に取り残された。
夜が迫ってくる……
──
おそるおそる立ち上がった斎賀は、足は傷んでいないことを確認した。
どうやら歩ける……
そして、どこへ行くか?
そう思った瞬間、足元に生花と水筒があるのを見つける……
(俺を助けた兵士が置いていったものか?)
斎賀は思考を巡らせた。
(これは、見たことのない水筒だが……なら、俺は敵に助けられた?)
斎賀の思考は混乱した。
自分の傷の手当てをしたのは、味方ではなくて、敵兵なのだろうか?
としたら、自分はどのような状況下で戦っていたのだろうか……
疑問は尽きない。
(なんにしても、この水はたぶん自分を生き永らえさせる。まずは、俺が誰かを思い出すことだ)
そう、斎賀は心のなかに決意した。
(俺の国は、どうやらここから東にあるような気がする……)
そんな漠然とした思いを抱いて、斎賀は東へと砂漠を歩き始めた。
斎賀は意識を取り戻しましたが……




