107.バグダッド攻防戦(10)
とうとう斎賀がシエスタたちに合流しますが……
翌朝は快晴だった。
と言っても、バグダッドはいつも快晴である。
シエスタは、ライジングアースの移動にちょっとしたトラブルがあって、アレキサンドリアで半日を過ごした、ということを知らされた。
(なんだよ、サイガ。遅いじゃないか!)
などと、心のなかでぶうたれる。
しかし、そんな不満も心理的な余裕があってこそ生まれるものかもしれなかった。
昨晩……ジェマナイはすべてのビッグマンを撤収させた。
夜中の間は、ジェマナイ陸軍の戦車と迫撃砲だけがバグダッドに攻勢をかけていた。
しかし、戦車や迫撃砲程度の戦力であれば、イラク陸軍が押し返せる。
結果として、バグダッド市内は4%程度の損害を受けただけで、持ちこたえていた。
初日の戦闘がこれだけの成果を得たということは、良い兆候である。
攻めているジェマナイの側でも、損耗は出ている。
それが大きければ大きいほど、バグダッドからの撤退の日にちは近くなる。
シエスタは、あくびをして歯を磨いた。
毎朝の習慣である。
この戦闘下では不謹慎かもしれなかったが、逆にこれがないと一日がしゅんとなってしまう。
鏡に向かって、満面の笑顔で微笑む。
ファンデーションをつけた後、唇に濃い色のルージュを引いた。
同僚からは止めておけ、と言われることもあるが、習慣は変えられない。
とにかく、赤いルージュさえ引けば気もちが引き締まるのだ。
「亡霊女神」の称号は、ただおざなりに任務をこなしていただけでは得られないのである。
午前4時からはチーム・ンデゲが発進している、という通達を受けている。
自分たちの出撃は、午前10時からだ。
その前にブリーフィングがある、とシエスタは知らされていた。
今日も、「バグダッドを死ぬ気で守れ」という訓示が出されるのだろう。
しかし、それよりも必要なことは「死ぬな、生きて帰れ」ということなのではないかと、シエスタは思った。
しかし、その思いは的外れでもある。
上層部は、それほど前線の兵士たちにたいして無情な考えを抱いてはいなかったからである。
もし、シエスタが出世したら、それは分かることだった。
驚いたことに、午前のブリーフィングには斎賀とミューナイトが出席していた。
今日の深更にバグダッドについたのだろう。
それからは、仮眠はとっても睡眠はとっていないはずだった。
それを……今日の作戦に参加させるのか?
シエスタは、斎賀たちとは遠い席に座りながら、憤りを感じるのを覚えた。
ブリーフィングが終わる。
人波に押されて、斎賀たちに近づけない。
斎賀とミューナイトとは、シエスタよりも先にブリーフィング・ルームを出ていった。
そして、そのそばには一人のネオスがいた。
(声をかけそこなったじゃないか)
と、シエスタは融通の利かない上層部を呪った。
──
「サイガ、ジェマナイの攻撃はアレキサンドリアだけだったのか?」
ブリーフィングを終えたミューナイトが斎賀に尋ねる。
「いや、ワルシャワ郊外も爆撃を受けたらしい。あとは、アメリカの空軍施設に攻撃があった。ジェマナイは全面的に統合戦線に攻勢をかけてきている」
とは、斎賀の答えである。
「じゃあ、わたしたちがバグダッドにいるだけじゃ、問題は解決しないじゃないか」
「その通りだ。だが、ビッグマンが出てきているのは、ここだけだ。他の戦線にビッグマンが投入された、という報告はない」
「つまり……どういうことなんだ?」
「ジェマナイはバグダッドを落とすことに集中しているってことだ。ここが、メインの戦場なんだよ」
「やっぱりな……でも、妙だとは思わないか?」
ミューナイトは、いぶかる斎賀に尋ねた。
「ジェマナイには50体近くのビッグマンがある。もっと……総攻撃みたいなものをかけてきても……」
「いや、それはないな。ジェマナイはアジア圏を抑えるのに苦労している。都市制圧のために、最低限のビッグマンは離れられないんだろう」
「それは、例えばインドとか……」
「あとは日本だな。ジェマナイ内部の政治体制は不透明だが、必ずしも治安が楽に維持できているわけではないらしい」
「アジンバルのように独立を目指す勢力も出てくると?」
「それは大いにありうる」
斎賀は、考え深げにつぶやいた。
「それで、わたしたちはこれからどうすれば良いんだ?」
と、ミューナイト。
「まずは、ヴォルグラスを抑えないといけない。他のビッグマンは、なんとか戦車隊とイングレスαで対処可能だが、奴だけは手ごわい……」
「なるほどな。また、あのビッグマンと戦わないといけないんだな?」
「そうだ」
「それと、プライムローズという機体もある。アルスレーテ空爆に出てきていた奴だ」
「たしかに。……あれは相当熟練のパイロットだった。油断はできないな」
「……その通りだと思います」
と、口にしたのはユーランディアだった。
彼は、ずっと斎賀たちの傍らでその話を聞いていたのだ。
QR‐Xには強力なクラッキング能力がある。
それは、アレキサンドリア上空での戦いで証明済みだ。
斎賀は、統合戦線の上層部はその戦いを見越していたのではないのか、とも思った。
つまり、QR‐Xに試験的な戦いをさせたのだ。
ジェマナイ自体も謎だったが、統合戦線にも深い闇があることを斎賀は見抜いていた。
「ユーランディア、君はミューナイトを救いたいと言ったな? それはどういう意味においてだ?」
「あらゆる意味においてです、サイガ中尉」
ユーランディアは、いくぶん頬を紅潮させながら言う。
「そうか。なら良いんだ。ユーマナイズは味方も危険にさらす可能性がある。それを、十分に承知しておいてくれ」
「了解しました」
「ところで、これからは君とチームを組むことになるんだ、ユーランディア。だから、今握手をしておきたい」
斎賀は言った。
「もちろんです。良いチームにしましょう」
と、手を差し出すユーランディア。
斎賀は、その手を固く握った。
一方で、ミューナイトは、
「サイガ。わたしたちは握手なんてしたことないぞ?」
と、ぼやく。
たしかにそうだった。
「まあ、それはセクハラになるからな」
「ユーランディアと握手したんだ、わたしとも握手してくれ」
「そうだな」
そして、斎賀、ミューナイト、ユーランディアのそれぞれがあらためて握手を交わす。
それは、戦場でのひと時の癒しだったかもしれない。
斎賀は、このユーランディアというネオスを信頼し始めていた。
まだ年齢は14歳だが、十分に戦力になる。
オーストラリア共和国でも有能だったに違いないが、統合戦線ではさらに活躍の場があるだろう。
彼がジェマナイを憎んでいるかどうか、ということを斎賀は知らなかった。
亡命の目的も詳しくは聞いていない。
しかし、彼になら自分の背中を預けられると思う。
それだけの実力と自信が、ユーランディアにはあった。
「ミューナイトを守る」という言葉は嘘ではないだろう。
これもなにかの縁(=えにし)なのかもしれない、と斎賀は考えた。
そして、その考えがちょっと日本的すぎるかもしれない、とも……
いずれにせよ、ライジングアースとQR‐Xとは協働できる。それは確実だった。
出撃の時刻は間もなくである。
ただ、
(俺はまたシエスタとはすれ違いなんだろうか……)
そんな思いも、斎賀の胸をかすめた。
斎賀はミューナイトと握手します。これが何かの予兆のようにならないと良いのですが。




