曖昧な動機と中途半端な推測でも後悔しない男
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二〇七五年。田中塵は日本国の平凡な家庭に生まれる。小学校、中学校、高校、大学と全て国公立でストレート進学。飛び級はない。
だいたいのことは器用にこなせたが、やりたいことが多すぎて専門性は身につかなかった。大学卒業後は、ニーズが高まりつつあったノイド操作員の職につく。
「人類の次へ行く」という突飛な目的に思い至ったのは二〇九九年の暮れ。「どのように実現するか?」まで具体化できていないのに、なぜか田中の身体が動く。その直後、二一〇〇年一月に半分ノリで火星行きを決める。
「今がチャンス」
田中の直観がそう囁いた。もともと能動的な情報収集が趣味な田中は、火星圏から地球圏に帰還する人間が増えつつあることを察知していた。二一〇〇年の間に、火星に行けなくなるリスクも考えられる。そのリスクが顕在化したら、最後に火星を見たいという人が殺到してチケットが高騰したり満席になったりする。だから、「地球→火星」のニーズが顕在化してないうちに行く。時代の先取り。先行者利益をとりにいく。今しかない。
とはいえ火星に行くまでの金がない。そこで、交通費を支給してくれる火星圏の企業を探した。新規事業をやる余力と動機がありそうな会社をリストアップ。事業プランは固まっていないが、ひとまずDMを送り、一社から契約をとりつけた。
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「もったいないな……」
過去を遡った結果、田中の口からその言葉がこぼれた。しっかりタバコを吸いきってから、田中は部屋に戻った。
輸送船4日目。
ウォッチの振動で起きる。さて、改めて考えよう。いや、一回休憩するか。仰向けのまま、スマートグラスを起動する。メッセージアプリの通知が謎に多いな。返しとくか。
” 田中、いま火星やばいらしいけど大丈夫? ”
” ニュース見た? 帰ってきた方がいいんじゃね ”
なんだ? もうニュースが地球に届いたのか? 直近のニュースを調べよう。輸送船のサーバーがホストしてるサイトで……トップにそれらしきニュースがある。
「UMOに重力異常。国際宇宙連合が地球帰還ミッションを開始」
これか。投稿は三時間前。二次サイトにも転載されている頃だろう。
改めてメッセージアプリを見返す。火星に行かない方がいいんじゃないか、という旨ばっかりだ。まぁ、そうだよな。そうなるよな。
じゃあ、行こう。そこまで言われたら行くしかない。
「アナント」
アナントは答えずに手で虚空をいじっている。
「僕もいく」
「ふーん、一応理由」手を止めず、アナントが聞き返す。
「人類の次へ行くため」とカッコつけてみたが、行くなと言われたら行く自分の天邪鬼精神にも気づく。
「ふーん」
「あと、火星圏でどうしてもタバコを吸いたい」
「酒は?」
「たまにお前の部屋に飲みに行く。逆にタバコは?」
「吸わない」
「OK」
少し朗らかだが、無駄のない返事をしてアナントは黙った。田中は承認メールを送って寝た。
四時間後。起きてすぐメールを開く田中。
「【連絡】カドモスにおけるジョブディスクリプションの承認について」
田中は息を大きく吸った。
「田中へ
ジョブディスクリプションの変更承認、感謝する。
では、これからの動きを共有する。
まず、カドモスに着くまでに、以下を完了させること。
①カドモスの構造およびロボット制御室の制御可能範囲のインプット
②緊急避難ミッションの航行タイムラインと田中の担当範囲のインプット
③カドモス専用のロボット制御ソフトのチュートリアル完了
それぞれに該当するファイルを合計六つ添付している。
また、カドモスに到着次第、まずロボット制御室に向かうこと。スーツケースも持ってきて構わない。
PS
改めて、感謝する。
激務が予定されるが、素晴らしい経験となることを約束する」
ジョブ開始が四月一日で、カドモスに到着する前? と思っていたが、そういうことか。事前準備。カドモスに到着次第すぐ動けるようにするためだな。
「アナント」
いつもの通り声をかける。いきなり要件を言うのではなく、名前を読んで聞く準備をさせる……というか意識の数%をこちらに向けてもらうのがアナントのトリセツだ。
「アナントってどこ所属だっけ」
「ハードウェア制御室」
「どんなジョブディスになった? 僕は期間が四月末までで、報酬は十万ドル」
「期間は一緒。報酬は二十万ドルだね」
「マジ? なにこの格差」
「ジョブ内容は、通常時はフライトコントロールとかロボット制御室とか、各部署への応援。異常時……小惑星衝突とかでどこか壊れたときは、その修復」
「おわぁ……もしかして有能? 僕、ノイド制御室だけなんだけど」
「多分、田中ができることは全部できる」
「なんでそんなに色々できるんだ?」
「さぁ? サイバー系好きだからね。深ぼっていくとハードウェアに行きついたってだけ」
「かなわないなぁ。でも頼もしい、よろしく」
「三百万」
「ん?」
「この二か月の間に、火星系に近づくUMO公転中の小惑星の数」
「ほぉ。ほぉ?」
「五万」
「えーと」
「三百万個のうち、火星圏に突入しそうな小惑星の数」
「ふむ、つまり」
「応援は期待しないでね。よっぽどフライトコントローラが優秀じゃないと、小惑星との衝突は避けられない」
「待って、ヤバイじゃん。やっぱやめようかな行くの」
「え、それ知らず承認したの?」
「いや逆に、どうやって知ったんだよ」
「公式三次元マップから自作ソフトでざっくり計算してみた」
「そりゃ僕が知れるはずないな。でも、それを知ってても行くんだ。なんで?」
「この数字に惹かれて。あと、多分死ぬことは無いしね」
「お……OK」
うーんどうしよう。でも勇んで承認出しちゃったしな……。行こう。最悪、二週間で泣きついて地球に返してもらおう。一旦行ってみればいい。まずはインプットを始めよう。
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二一〇〇年現在、人間の脳を直接操作する技術は脳=BRAINの頭文字「B」を冠して、以下のように大別される。
①Bスキャン:脳の情報を取り出す。セキュリティチェック、ヘルスチェックなどに用いられる。
②Bチューン:五感は現実に留めたまま、感覚や感情を部分的かつリアルタイムで調整する。酔い・痛みなどの軽減、睡眠導入、感情のコントロールなどに用いられる。
③Bコネクト:脳と外部システムを繋ぐ。ノイドを含む各種機械の遠隔操作、AI接続などに用いられる。
④Bロード:まとまった情報を脳に直接取り込む。学校教育など学習全般に用いられる。
⑤Bダイブ:現実の感覚を全てシャットアウトし、仮想空間に没入する。フルダイブとも言われ、ゲーム・エンタメ・リハビリなどに用いられる。
各種類に対して厳格な国際規格があり、合法性に照らして三つのレベルがある。
・Ⅰ:法律上問題なく、医療機関・公的機関・大企業が正式に運用している。一般市民にも広く普及している。
・Ⅱ:地域によっては合法。非推奨だが効果は大きいため、実質的に黙認されているものが多い。過剰かつ高頻度なBチューン利用、安全基準を超えたBロード速度、アダルト系Bダイブなどが該当する。
・Ⅲ:ほぼ全ての地域で違法。ウイルスソフトを仕込んだBロード用コンテンツ、非接触型のBCI(Brain Computer Interface)機器全般の所持などが該当する。
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