明らかに高度に構造化された重力波
「マオシンも若いよね……二十八歳くらい?」
「うわ……ぴったりビンゴ。もしかして童貞?」
「えぇ……? まぁ、リアルでは童貞。Bダイブでなら卒業済み」なぜ童貞判定されたか分からず、ただ正直に返すことしかできない田中。
「ま、頑張りなよ」
「はいドッキング作業入りまーす、邪魔しないでくださーい」分が悪い会話を断ち切る田中。
その後、全く止まらない猫星のマシンガントークを聞きながらも、無事ドッキング作業が完了した。
「後は大丈夫だよね」
「シェイシェ! また会おうね田中~」
三節:信号
十三日目。
「いける喫煙所は全部いく」がモットーの田中は、仕事場からは遠い研究区付近の喫煙所に向かう。
扉を開けると、五十歳くらいの壮健かついかにも研究者のような男が、紙タバコを吸っている。整えられた短い白髪と、スチールグレーの上下服。背筋がピンと伸びていて大きく見えるが、一八〇センチほどだろう。
どこかで見た気がする……通路ですれ違ったか? いや……それにしても珍しい。田中にとって、カドモスでは初めて見る紙タバコ勢だ。
銘柄をチラチラ見るが、分からない。オーソドックスそうだ。男は何やらただならぬオーラ的なものを醸し出しているため、話しかけるのに躊躇した田中は一旦タバコを取り出し、火をつけた。
男も田中の紙タバコに少し目をやり、口を開いた。
「珍しいな、銘柄は?」風貌に違わない、渋く綺麗な英語。
「ラザーバックです」一吸い目を急いで吐き終えた田中は、少し動揺して返答する。
「最近のヤツか」
「ですね。あなたは?」
「ラッキーストライク、レギュラーの十一ミリ。君の銘柄より二百年ほど前に誕生した老舗だ」
「初耳です。有名ですか?」
「五十年くらいまではな」
「五十年……え、五十歳くらいに見えるんですけど、けっこうアンチエイジングしてます?」
「三日前に百歳」
「わお、二十世紀生まれ」
……百歳? もしかして、と思う田中。
「もしかして、宇宙物理学者のガブリエルさんですか?」
「ィグザクトリ」
圧倒的権威に、田中の心臓が高鳴る。しかしSNSでのあの言葉が気になる……。見たところ、ガブリエルのタバコはまだ二分ほど持ちそうだ。
「ガブリエルさん、一つ質問なんですけど、UMOって本当に自然現象じゃないんですか? いろんな説が出てますけど、あなたほどの方が『生命体だ』と確信を持つには、よっぽどな根拠があるのかなと」
早口で聞く田中。
沈黙。ガブリエルは一度タバコを吸い直す。
「直観」
もう一度タバコを吸い直すガブリエル。先ほどまでとは違う微妙な言い淀みを感じた田中は、ガブリエルの次の言葉を待つ。
「と言いたかった」
「言いたかった?」
「……君は、地球に帰って何をする? 遅くともあと二、三日だろう」
「うーん、特に決めてないですけど、ゲームですかね。ガブリエルさんは?」
またしても沈黙するガブリエル。もうすぐ吸い終わりそうだ。
「帰らない」
「えっ」
「と言ったら? 紙タバコの同志よ」
いや、そもそも全員帰りますよね? という当たり前の言葉をギリギリ飲み込む田中。
「ここに残ることでしかできない、重要な事があるとか?」
ガブリエルは首を縦にも横にも降らず、タバコの火を消した。
「一昨日のUMOの重力異常。明らかに高度に構造化された重力波を検出した」
「えっ……」構造化……ということは人工的ということか? と田中は雑に類推する。
「それ、言っていいんですか? 下っ端の僕に。大ニュースですよ」
「動機も銘柄もなんであれ、紙タバコの同志だ。これ以上は言えないがな」
そう言ってガブリエルは喫煙所を去る。
田中は二本目に火を灯し、振り返る。
まずUMOが自然現象ではない理由。直観以上の何か、おそらく最後に彼が言った構造化された重力波が根拠なんだろう。
そして、「地球に帰らない」という選択肢。そもそもこれは、本当か分からない。重力波信号のデータを地球に持ち帰り、解析すればいいだけだ。もし彼が残るのが本当というのなら、信号以上の何かがあるんじゃないか?
気になる。こういうときはアナントだ。この話題ならアイツも気になるだろう。
プルル。
「何」
「おっすアナント、いま暇? ヤバイ話聞いた」
「概要」
「えーと、ガブリエルさんが、高度に構造化された重力波を検出したって言ってた」
「……ホントに?」田中の観測史上、最も怪訝そうなアナントの声。
「マジ。喫煙所で聞いた。しかももう一個ある」
「なになに」田中の観測史上、初めて言葉を重ねるアナント。
「いやまった、確定じゃないなこれ。なるべくそのまま伝えると、あの人、『もし、地球に帰らないとしたら?』みたいな問いかけをしてきたんだよな」
「あー」
「反応薄っ。いや、なんというか、帰らないってことあんの?」
「んー」
「アナント、もしかして何か知ってる?」
アナントの沈黙。ただし電話を切らないということは、無視ではなく言葉を考えているということだろう。
「田中、地球に帰ったらこの話誰かにする?」
そりゃまぁ……という言葉を飲み込み、その発言の意図を脳フル回転で推測する田中。
まず、アナントは直接的で無駄のないコミュニケーションを好む。雑談……少なくとも僕が思いつくような話題には興味が無いはず。その上で、僕からの質問に対してイエスもノーも無く逆質問。異例中の異例だ。なぜだ? ダメだ、分からん。こうなればさらに逆質問だ。
「もし、友達に自慢しまくるって言ったら?」
「しない方がいい、って言う」
「なんで?」
またしても沈黙。
「そういえばカドモスに来る前、約束したよね。今日の夜、一緒に酒を飲もう。田中の部屋の場所あとで送っといてね」
「えっ? あぁまぁいいけど」
なんだ? 明らかにおかしい。どうする……。多少のリスクヘッジはしたいな。
「そうだ、中国側の衛星からフライトコントローラが応援に来てさ、なんか面白そうなヤツだから呼んでいい?」
「いいよ」
「OK! じゃあまた」
夜。アナントが田中の部屋を訪れる。
「おつかれー」扉を開け声をかける田中。
「うん。フライトコントローラの人はもういる?」
「まだ」
「OK」
「酒持ってきた?」
「完璧」そういってバッグからボトルを三本取り出すアナント。
「めちゃくちゃ持ってくるじゃん」
「重さ的には地球での一本分と同じくらいだからね」
「ナイス」
入るや否や早速ボトルを空けるアナント。田中も呼応し、乾杯をする。
「そういえばさ、田中って、ホントに田中だよね? 田中塵、二十五歳」
「何、怖いって」
「なんか田中のこと気になって調べたんだけどさ、いろいろデータが欠けてたんだよね」
「あれじゃね? 火星圏のデータセンターに繋いでるからじゃない?」
「たしかにね。あれ、なんか顔についてるよ」
「えっ、どこだ。てか何が」
「ちょっと触るね」
アナントの手が伸びる。普段と挙動が違いすぎるアナントに違和感を覚えた田中は、その手を静止した。
「ちょっと待て、なんか今日おかしくね? あの話してから、なんか」
「仕事疲れすぎただけ。逆に何? 触られたくないわけ?」
「え、もしかしてゲイ?」
「バイ」
「バイか~」
プルル。二人の沈黙を破る着信音。
「おっ、猫星だ」
扉を開けると、満面の笑みの猫星。
「ニーハオ田中! もう一人いるんだよね? しかも酒って最高じゃん!」
田中とほぼ同じ目線で、身長は一七〇センチほど。ぱっと見は華奢だが、筋肉もありそうだ。黒髪ボブは肩まであり、本当に猫のような顔をしている。服はライムグリーンの長袖に、オレンジ色のズボンを履いていて色が賑やかだ。
「おう。というか誘ったらノータイムOKだったよな。仕事大丈夫なのか?」
「他のフライトコントローラが、明日帰るから今日は仕事やりきりたいって」猫星が部屋に入りながら返す。
「そりゃ運が良かった。猫星は帰るのは最終日?」
「そうだね! まぁ一回、本国の衛星に戻るけど。……えっ?!」
猫星が、無造作に座るアナントを見て目を丸くした。アナントの方は、初対面の人に対する警戒の目を向ける。
「あれ、もしかしてそこ知り合い?」
「うーん、前前前世までは、多分毎回マブ達!」
「らしいがアナント」
アナントは首をかしげて答えない。
「はぁぁぁぁ」猫星が壁に顔を向け、ため息をつく。
「どうしたどうした」
「めっちゃ可愛い」小声で田中にだけ聞こえるように言う猫星。