火星圏、遂に
二節:異常
カドモス到着から二日目。
ヴゥゥゥン、ヴゥゥゥン。
ん……なんか体が痛いな。おなか側に締め付けられるような感覚。そうか、固定用ベルトか。毎日これはきついな。
世界標準時の朝十時。二時間後から作業開始だ。ヘッドからのメッセージは無い。ただ何があるか分からないので、すぐに部屋を出て一服してから制御室に向かう。
「おはようございます、ヘッド」
「おはよう田中。ジョブディスの変更は無いが、今後は物資の搬出は限定的だ。地球側でナノグレイやその他の物資の積み込みはしてくれるらしい。というか火星圏側だけでは元々足りん」
「了解。じゃあ乗客案内メインですね」
「そうだな。ただ、輸送船側の作業員がかなり疲弊してそうなのが懸念だ。ローテは回しているそうだが、乗客がいない地球から火星への航行はふつう五日のところ一・五日で飛ばしてきているらしい」
「かかるGがヤバそうっすね」
「だな。もしかすると、ドッキングが解除されるまでの輸送船内のオペレーションも依頼されるかもしれない。その時も対応は頼む」
「了解」
その後は昨日と同じように、滞りの無い物資搬出と、滞りしかない乗客対応を進め、輸送船内のオペレーションも少し肩代わりして作業を完了した。航行計画では、今後もちょうど一日に一便の予定となる。
4日目。合計4回目の出航を終えたあと、事件は起きた。
ピンポーン
【艦長室より各種管理室に連絡。UMOの重力効果が突発的に増加した。航行計画を再編する。各所には一時間以内に指示を出す、以上だ。よろしく】
「艦長……?」ヘッドが苦い顔をする。
「こういうのも結構あったんですか?」田中がヘッドに質問する。艦長は確かマーク・バロウズだったな……と田中は反芻する。
「いや、このアナウンスは初めてだ。艦長の肉声という時点で、なかなかの緊急事態の可能性が高い。ただどのくらい航行計画が変わるか分からんな。ひとまず待機だ」
五分後、管理室用の電話が鳴る。
「もしもし、こちらロボット管理室」
「マークだ。航行計画の変更を端的に伝える。まずハルモニアとカドモス間シャトルの入出港間隔は一日三便から五便に変更。次にカドモスと地球圏の輸送船の入出港間隔は一日一便から二日で三便に変更。積載人数はそれぞれ五百人と二千五百人に拡大する。ここまでで質問は?」
「大丈夫です艦長」
「シャトルと輸送船の艦内改修およびそのための物資輸送は、ハルモニアと地球それぞれでやってくれるそうだ。なのでノイド制御室は、基本的には乗客の荷物移動と乗客対応に専念してくれ。航行ダイヤは追って秘書より共有する」
「イェス、サー」
ガチャ。
「ヘッド。千人から二千五百人って、輸送船大丈夫ですか?」
隣で聞いていた田中が質問する。
「艦長がやれといったらやるしかないな。幸い物資輸送は基本的には対応しなくていいそうだ。にしても乗客対応が鬼だな。二日で七千五百人が入れ替わることになる」
「この状況下でも昨日今日みたいに変な客がきたら、捌けない……」
「あぁ、ノイドのキャラクター設定をいじって、有無を言わさず搭乗させるようにしないとな。とりあえず明日から激務だぞ。今日は帰って早く休め」
「了解」
田中は部屋に戻り、何をするでもなく就寝した。
五日目。
小惑星が飛来しないことを祈りながら、再編後の業務を始めるヘッドと田中。ひとまず田中のみで乗客対応をして、ヘッドは他部署への応援や連絡、必要であれば田中のヘルプに入る役割分担となった。
乗客対応をするノイドの基本人格を高圧的に調整し、以前よりも乗客が従順になる。人間対応要請は乗客人数比でゼロではないがかなり減少し、田中でも十分対応可能となった。
一方で、収容人口が一気に増えた居住区および出航ゲート内での問題が噴出。この状況を見て、艦長マークが緊急事態宣言を発令。沈静化のため、条件付きでゴム弾と麻酔銃の使用を行うとカドモス中にアナウンス。その警告でも止まらない問題に対しては実際に銃が使われたらしい。治安維持用のノイドはノイド制御室ではなく保安室の管轄なので、田中が操作することは無い。
九日目の出航後。
「悪い知らせと良い知らせがある。田中、どっちから知りたい。良い知らせだな、よし」
疲れ切ったヘッドが頭をさすりながら田中に話しかけた。
「火星は、太陽系から脱出せずに済んだ」
「あー、ってことは…」
「そう、火星がUMOにほぼ完全に捕まり、衛星化した」
「あぁぁ」
「しかし!」
「しかし?」
「さらに良い知らせが!」
「おぉ?」
「今のままだと、二か月以内に火星が潮汐力で、海王星のように崩壊する可能性はほぼない」
「おぉ!」
「しかし!」
「まだ?!」
「UMOがひきつれてきた小惑星と、そいつらが衝突したことによる小さな岩石群が、このUMOで無数に公転をしている。言いたいことはわかるな?」
「それらがカドモスに直撃するリスク…」
「イェス」
「はぁぁ」
UMOと接近した火星には、三種類のシナリオがあった。
一つ目は、土星と同じように太陽系を脱出するシナリオ。これは、以下のステップおよび条件で実現される。まずUMOが、火星の公転軌道の「先」に位置する。火星にとっては進行方向に巨大質量があるという位置関係。すると火星はその重力の影響で「加速」。そして運動速度が太陽およびUMOの重力をふりきったとき、火星は太陽系から脱出する。
二つ目は、木星と同じようにUMOの衛星となるもの。これは一つ目より条件は緩く、火星とUMOがどのような位置関係であっても、起こりうる。
三つ目は、海王星と同じように火星が崩壊すること。これは、一つ目とは逆に、火星の公転方向と逆側にUMOが位置し、さらに諸条件によって火星の速度が「減速」しきったときに起こる。「減速」すると、ブラックホールのようにUMOの中心にどんどん引き寄せられ、楕円形に変形し、無数の残片となる。この場合はカドモスも宇宙の藻屑となる。
この三シナリオの中で最も「死に近い」のはもちろん三番目だが、最も「マシ」なのが一つ目か二つ目かは、カドモスにいる人たちの中でも意見が分かれていた。
一つ目の「脱出シナリオ」のメリットは、人類の滅亡リスクを下げられること。UMOがおそらく太陽と衝突することを踏まえると、その衝撃によって地球もほぼ確定で消滅する。しかし、太陽系を脱出した火星圏に人類が残れば、その衝突被害が低減され、人類が存続できるかもしれない。
二つ目の「衛星化シナリオ」のメリットは、今火星圏にいる人類を地球に送り届けやすくなる、地球との通信が保たれるといったことだ。ヘッドは二つ目の衛星化シナリオを支持していたが、どうやら理想通りそうなったようだ。
とはいえ乗客対応の疲れ、小惑星飛来リスクの増加。あまりの情報量に疲れ切った田中は自室に戻り、ひとまず寝た。
十日目。
乗客対応中、小惑星残片などが大量に飛来した。数が多すぎるため全回避は不可能と判断したフライトコントロールは、一部の小さな小惑星残片は衝突を免れないとアナウンスした。
ガウゥゥゥゥン。
「ンンンンン!」かなりの衝撃が体を襲い、呻く田中。小さな小惑星残片がカドモスに衝突したようだ。
「いってぇぇぇ」ヘッドも目を細める。
「ヘッド、カドモスの表面自体は大丈夫なんですか? ナノグレイで表面装甲してるといっても」
「こういう可能性を考慮して、表面装甲用のナノグレイを追加したそうだ。内部の瞬間的な揺れは置いといて、表面は大丈夫なんじゃないか? ちょ待てよ。もしかして……」
ヘッドはグラスの視界をあちらこちらと見ながら、体にかかる慣性を気にせずに手を動かし始めた。
「ヘッド、危ない」田中の警告にヘッドは答えない。
「やっぱりか……ヤバいぞ」ヘッドがため息をついた。