万能素材「ナノグレイ」の搬出入
【小惑星残片の回避のため、五分後から約三分間、加速運動を行います。お近くの固定ベルトで体を固定してください】
「直径二十mのお祝いの品だ」
ハミルトンがウインクする。
「さすがに当たらないですよね? 回避するなら」
「残念ながらそうだな」
「よかったぁ」
「とりあえず荷物をあそこに固定しとけ。そのあと、ドア近くにある人間用のベルトで体を固定する」
スキンヘッドのイケおじが指さした先に、荷物を固定できるベルトがある。
急いでスーツケースとリュックを固定して、自分もベルトを締める。
「ハミルトンさんは?」
「ヘッドでいい。そう呼ばれている。俺は慣れてるからギリギリまで仕事……と思ったがやめておこう。まず田中と話すべきだな」
そういってヘッドも田中の隣で体を固定させる。
「送ったファイルは全部頭につっこんだか?」
「つっこみました」
「グッド」
艦内が小刻みに揺れる。
「もう始まったんですか?」
「いや、これは予備動作だ」
ピンポーン。
【十五秒後に行動を開始します。10、9】
「けっこう揺れます?」
「さぁ、出力の程度によるなぁ。マックスはジェットコースター超えだが」
「マジすか? めっちゃ楽しみです」
「宇宙適正あるなお前」
【2、1、0】
グググっと体が左斜め前に引っ張られる。だが、ジェットコースターほどではない。
「うおっ。でもマシですね」
「どうだろうな」
グンッっと同方向に引っ張られる。一・五Gくらいはあるんじゃないか?
「ううぉっ。加速?」
「どうだ、気分は」
「宇宙っぽくていいですね、これ」
「もしかして宇宙初めて?」
「イェス」
「それでこの時期に火星は頭イッてるな」
「ありがとうございます」
「ハハッ、まぁ、もうすぐコレは終わる」
ハミルトンの言う通り、徐々に慣性が小さくなり、最後は元の速度に戻るためか、逆方向に慣性が働く。
【回避行動が完了しました。固定を外していただいて大丈夫です】
「よし田中、さっそく仕事だ」
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物質の形や性質を自由に操ることは、古来より人類の理想だった。
古代ギリシア神話では、神々の武具が神秘的に形を変えた。
魔術は、物質世界を改変した。
錬金術では、卑金属を貴金属に変換することが目指された。
十九世紀、鉄やプラスチックが様々な用途に化けはじめる。
二十世紀前半には、合金の形状記憶効果が発見される。
そして一九五九年、「ナノスケールを見ろ」という象徴的な言葉とともに、物質を原子レベルの大きさで制御する思想が誕生。同時期に提唱された分子マシンやナノマシンなどの概念が、その夢に具体性を与えた。
しかしそこから二〇二〇年代まで、特定用途のための材料科学研究に多くの資金が投下され、いわゆるプログラマブルマターの研究は下火となっていた。
二〇三〇年代、時間変化を含めた4Dプリンティング技術の研究は進み、形状記憶性・製造自動化性の領域で普及。
二〇四〇年代、人工超知能と量子コンピュータにより、「プログラマブルマター」の製造技術および運用方法の理論的裏付けが完了。研究室レベルで試作品が誕生した。その後、需要の大きい軍事・医療分野におけるプログラマブルマターの応用研究が進む。
二〇五〇~六〇年代は、GAIと同様プログラマブルマターの幻滅期となる。製造・運用コスト問題だけでなく、国際規格の合意が進まない状況。火星軌道上ステーションの運用開始に象徴されるように、各国政府と営利企業の目は宇宙に向けられる。
しかし二〇七〇年代、小惑星帯における採掘開始が追い風となる。金属材料の供給量が跳ね上がり、製造コストが劇的に低下。軍事・医療・都市にて部分的に採用され、多くの人々の目にとまる。そして企業連合が命名した「ナノグレイ」という名称が、プログラマブルマターの一般名称として受容される。
二〇八〇年代になると、AR広告などデジタル空間を演算するためのコスト削減効果もナノグレイが兼ねる。後半には小惑星帯採掘の減退をうけ供給コストが上がったものの、むしろ地球内で空間を効率運用するための第一手段として需要が伸びた。
二〇九〇年代には規格が世界的に統合され、制御プロトコルが標準化される。EU圏を除く多くの大都市圏では、建材基盤以外はほぼ全てがナノグレイで構成されるようになった。ある作家が、表面的な灰色と内から漏れる橙色、そして自律的に変化する光景をみて「ナノフラックス」と名付けたが、この名称が特に普及することは無かった。
二一〇〇年現在、日本では災害リスク対応の目的もふまえ、大阪市を含む大都市圏で運用されている。とはいえ地方や農村部では費用対効果の観点から導入が限定的であり、「灰色のメガロポリス」と「自然色の地方」というコントラストが際立つ。地方ではむしろオフグリッド化が進み、一定数の人口の受け皿になっている。
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「僕が乗ってきた輸送船の改修ですよね?」田中が確認を取る。
「その通り。通常定員が約三百人のところを千人まで乗せるための改修作業だ」
「了解。僕の業務スコープを確認させてください。えぇと、ナノグレイ一トンの搬出と、ドッキング区近くにある各種物資の搬出」
「すまんが追加だ。乗客案内も同時並行で頼む。俺がハルモニア側との物資輸送周りで緊急タスクが入ってしまった」
「まじすか。マネジメントAIに、もう今回の目標と操作権限は与えてます?」
「いや、まだだ。そこから頼む。搬出は今から一時間以内で組んでくれ。待機中のノイドの八十%は使ってもいい」
マネジメントAIとは、複数のノイドを特定の目標のために自律的にマネジメントするAI。今から田中はそのAIに、「ナノグレイとその他物資の搬出作業を一時間以内に完了させる」という目標、および操作可能なノイドを選択して指示する必要がある。
「了解。乗客案内の方は?」
「一旦放置でいい。人間の対応が必要な事案がでてきたら、部屋に通知が鳴る」
「了解」
「何してる」
「えっ」
「縛られたまま仕事するのか? ドMか?」
田中はまだベルトを外していなかった。そのため、壁に立ってベルトを締めたまま真面目な仕事の話をしていたことになる。
「忘れてました。締め心地いいですねこれ、自然でした。別にドMじゃないですよ」
ヘッドは返答せず、仕事に戻る。
田中もベルトを外し、ヘッドとは離れた席に座る。そして自分のグラスを外し、机に置いてある業務用のグラスを手に取る。高機能かつ業務用であるため、田中個人のものより1.5倍ほど重い。期待でにやけつつ、必要なアプリを開く。
視界左上には、カドモスのリアルタイム3Dマップ。制御室で制御可能なノイドが点で表示されている。待機中のノイドの点は灰色、それ以外にはそれぞれのタスクに応じた色が割り振られている。灰色の点をタップすると、マップ右上に待機中のノイドの数が三十三体と表示される。
視界左下には、待機中のノイドを一覧表示させたリストを開く。
視界右上にはマネジメントAIの制御ウィンドウ。マネジメントAIに指示を与えるための画面だ。
そして視界中央下に仮想キーボード。とはいえ基本は音声入力になる。
まずはマネジメントAIの設定を始めるために、制御画面の音声入力をオンにする。
「今から一時間以内に、現在待機中のノイドの最大八十%を使って、ナノグレイ1トンとその他必要物資を輸送船に積載したい。まず、実現可能性のシミュレーションを頼む」
すると、右上の制御ウィンドウがログを流し始める。
” リクエストを解析中 ”
” ノイドのDBにアクセス中 ”
” 対象の輸送船を確認中 ”
“ 輸送船_1034に積載する物資を確認中 ”