第51話 闇を満たす大地の裂け目
「これ、凄い。私がこんなに速く走れるなんて……」
予定にはない食事に時間をとってしまったので、スピードアップのため先頭を行くカイトさんは、風を切る速さで進んでいます。
「この視力。慣れるまでは違和感がありましたが、これは便利ですね。余計な魔物との接触を避けられます」
結局、カイトさんもレイラさんも私の食事を食べたのです。
最初は、見え方や体のバランス感覚に戸惑っておられました。しかし高ランク冒険者として名高いグランディーア兄妹です。
すぐに慣れて、その能力を使いこなしていました。
「そうだろう? シルヴィアの料理は最高だよな」
そして、鍋の中身をほぼ一人で食べきったクロードさん。それにはグランディーア兄妹もドン引きでした。
そのクロードさんの後ろを、鈍器に腰を下ろして飛行する私。
風通しの良くなった森を進むには、いいペースです。これほどの速さなら、小物なら追いつくこともできません。
「魔女の店主殿。このまま進んでも、ガンディス渓谷に入るのは日が暮れてからになりますよ。ルートを変更するなら今のうちです」
確かにこの先でガンディス渓谷かベトリズ山道に別れます。普通は目の前に見える山を行くのになだらかな山道ルートを選ぶのです。
しかし敢えて私は渓谷を目指すのです。
「魔物が、川沿いから襲ってきたときは大変だったと聞いたことがあったから、念の為よ」
深淵の森『ヴァングルフ』は辺境都市『エルヴァーター』に色々な恵みを与えています。
人々の生活用水もその一つです。
飲水は地下から汲み上げています。ですが、それ以外で使用する水は、森の中を流れている川から水路を引いて町の中に通しているのです。
だから『ヴァングルフ』に流れている川から魔物に侵入されたときは大事になったとサイさんから聞いたことがありました。なので、確認をしに行くだけです。
問題がなければそれで構いません。
「言われればそうですね。水門があるものの、グエンデラ平原の魔物では紙装甲の防壁と言っていいでしょう」
そこまでは言っていませんわ。
そして、今まで通ってきた森と平原を隔てる小高い山々が前方にそそり立っています。
岩肌から流れ落ちる大量の水が滝となり、大地を切り裂き、深い谷となっている場所が、ガンディス渓谷です。
「なぁ。この先に目的のグエンデラ平原があるんだよな?この水量は何処からでてきているんだ?」
すでに日は落ち、赤き空と闇を纏った空がせめぎ合っています。
赤く染まった空を背景に上から大量の水が落ちてきているのがわかります。
ルートとしては、徐々に移動していっている滝が削っていった岩肌を登るのです。
「正確にはこれは山ではなくて、この上にグエンデラ平原がありますね」
はい、この水はグエンデラ平原から流れ出ている水なのです。
そして、その水が落ちて削った大地は底が見えないほど深い闇が広がっています。
「ときどきですが、滝に落ちた魔物が森の浅瀬の方に来ることがあるそうです」
「いや、この深さ。落ちたら普通に死ぬだろう」
横にある渓谷というか大地の亀裂を覗き込むクロードさん。
暗いですわね。
「さてどうでしょうか? 一度あったことは二度と起こらないというのであれば、それでいいのです。あと、この谷底に生えている光る水草が欲しいので、摂りに行ってきますね」
「そちらが目的でしたか。それであれば初めからそうおっしゃってくださればよかったのに」
その水草は別にここでなくても採れるので、目的かと言われると苦笑いを浮かべるしかありませんわね。
「シルヴィア。それは危険だ。そもそもあの大量に流れている水の川底に、どうやって行くつもりだ」
やはりクロードさんに止められてしまいましたか。心配性ですね。
「クロードさん。夜は魔女の時間ですよ。たかが変哲もない水ぐらい割ってせき止めればいいこと」
「しかし、魔物がいるかもしれないのだろう?」
「そうですね。川には魔魚がいますし、魔魚は脂がのって焼くとおいしいですよ」
すると何処からともなく、お腹が鳴る音が聞こえてきました。
……もう鍋いっぱいのお肉を消費してしまったのですか。
聖獣使いは、食事の確保が大変そうですね。
勇者討伐に行かれたときは、どうしていたのでしょう。
さて蛇が出るか鬼が出るか。
私は深き闇を満たした大地の割れ目を覗き込みます。
「夕闇が世界を支配するとき、聖は鳴りを潜め闇の世界から身を隠し、魔はまだ眠りの淵にいる。ただ、聖とも魔とも判別つかぬ我らがこの地を統べろう」
未だに月は昇らず、魔の力が満ちる時間にはまだ早く、魔女の時間ではない。しかし、見習い魔女はそれには当たらないという力の増強の文言を唱えます。
「大地の裂け目に窅然たる闇を満たす糠星よ。散れ!」
底が見えない谷底に空間全てが光源のように光で満たします。影で見えない場所をなくすためです。
大気が光っているように明るくなった大地の裂け目は大きく深く、谷のには激流と言っていい川が存在していました。
「凄い!」
「これは鷹の目の効果があってこそでしょうね。昼間に来てもここまでははっきりみえません」
「シルヴィア。本当に行くつもりなのか?」
あの? 皆さん谷底を覗き込んでいますが、まだ呪文は終わっていませんよ。
これはただの前置きですので、あまり前に行かないでください。




