第38話 それは一択しかありませんわ
強すぎて振り向けないですわ。
そもそもどうやって、ここに来ましたの? もしかして、昨日の転移のときに何か印でもつけられてしまいましたの?
しかし、何か言わないといけません。私は何もしていませんと言わないと……あの? そもそも、どういうことが駄目だったのでしょうか?
「おや? マリーじゃないか。どうしたのかのぅ?」
サイさんが、私の背後に立つ幻惑の魔女の存在に気づいてくれました。良かったですわ。
私は何もしていないと、証明してくれますわよね?
「あなた〜! 会いたかったわ〜!」
そんなサイさんに、群青色の髪をなびかせて駆け寄る幻惑の魔女。恋する乙女のように、声色が先程と全く違いました。
「シルヴィア。もしかしてあれが?」
私の背後に突然現れた謎の女性を警戒して、クロードさんは剣を手に掛けようとしていたので、私は慌てて首を横に振ってその行動を止めたのです。
そして私の耳元で、コソコソと幻惑の魔女のことを聞いてきました。
「サイさんの奥様です」
たぶん何か勘違いしていると思うのです。私はサイさんからお願いされたことしかしていませんから。
「今朝も会ったがのぅ。フォッフォッフォッ」
「だって〜! あんなゴミムシの面倒をみないといけないなんて〜! いっそのことぶっ殺して……」
あのお歴々の魔女たちへの悪態は、もしかしてここに繋がっていたりしませんわよね。
しかしゴミムシって……仮にも契約婚をして、呪いを引き受けた方なのですよね?
「まぁまぁ、落ち着くが良い。魔女さんや。マリーの分の朝ごはんも作ってくれんかのぅ。そちらの聖騎士殿の分もじゃ」
「はい」
私はキッチンに向かうためカウンターの一部を上げたところで、再び肩を掴まれてしまいました。
「あの人に手料理を出すなんて、三百年早いのよ」
ひっ! さっきまでサイさんの側にいたではないですか!
それも肩がギリギリと痛いです。
「あの……手料理というものではないですよ」
勇気を出して振り返りながら言います。
が、瞳孔が開いた目を向けられていました。怖いです。
「マリーや。こっちに来てサンドイッチができるのを待っているとよい」
「はい! あなた!」
肩から手が離れ、蝶のように身を翻してサイさんのところに行く幻惑の魔女。
ありがとうございます。サイさん。
魔女同士の争いごとは禁忌ですから、良かったですわ。
私は大きくため息を吐いてから、カウンターの内側に入ります。
まさか、帝国から簡単に行き来しているとは、これはきっと幻惑の魔女の魔法なのでしょう。
そして、いただいたパンを全てサンドイッチにして、四人がけのテーブルの上に置きました。
既にサイさんと幻惑の魔女が隣同士で席についていますので、私は必然的にクロードさんの隣に座ります。
『リーン』
その時、店の扉が開く音が聞こえ、そちらを見れば……あら、商業ギルドの方ですわ。きっと納品する商品を受け取りに来て……
「ひっ! マリアンヌ様! し……失礼しました! 出直してきます!」
「あの……」
私が引き留めようと声を掛けるも、バタンと勢いよく扉が閉じられてしまいました。
あの……納品の商品を持って帰って欲しいのですが……私はちらりと幻惑の魔女に視線を向けます。
食べやすい大きさに切られたサンドイッチを、サイさんに食べさせている姿が私の目に映りました。
なんというか、孫と祖父と言っていい年齢差です。
この町でのマリアンヌという方の立場が、普通ではありませんわね。領主の叔母というには、町の人の態度がおかしいですよね。
「あの? それで、どの様なご用件なのでしょうか?」
取り敢えず、ここに来た用件を尋ねてみます。
「は? 人の旦那と仲良くしておいて、それを聞くの?」
先程までニコニコだった幻惑の魔女が、一瞬にして表情を変え、軽蔑した視線を私に向けてきました。
本当にその理由で来ましたの?
もしかしてあの魔女の招待状は、直接私のところに転移をするための手段だったと言わないですわよね。
「フォッフォッフォッ。禁厭の魔女さんの作るものは、よく効くからのぅ」
サイさーん! そこはただの世話人と言ってください!
「……コロス。コロス。コロス。ディーに必要とされる女なんて、この世からいなくなればいいのよ」
ひっ! そんなことを言っていたら、この町の女性のほとんどは居なくなってしまうではないですか。
下町の顔役であるサイさんはいろんな人から頼りにされていますのに。
「それは困るな。俺の妻に手を出すというなら俺が相手になるが?」
そこに、サンドイッチを両手でもってバクバクと無言で食べていたクロードさんが言ってきました。
「マリーや。聖騎士は相性が悪いから、喧嘩は勧めんのぅ」
「あなた。喧嘩じゃないわ。コロスかコロスかの問題よ」
それでは、私が殺される一択しかありませんわ!




