第32話 幻惑の魔女
昼と夜が場所によって違うという説明が面倒くさく、しれっと流して私は自分の部屋に戻ってきました。
このまま寝てしまいたいところですが、昨日サイさんから受取った魔女の招待状を開きましょう。
空間から、一枚の封筒を取り出します。群青色の封筒で、『幻惑の魔女』の封蝋がしてあります。
その封蝋を切り、封筒を開けました。
すると中から煙と共に、太陽が沈んだ夜の空を思わせる蝶が現れたではありませんか。
星を散りばめたような羽をはためかせ、私の周りをぐるぐる回っていきます。
鱗粉のような粉が宙を舞いながら、一定の形に流れて行っていますので、恐らくこれは転移陣。
これこそ『幻惑の魔女』の魔法なのでしょう。人を惑わす魔女。いっときの夢を見せてくれる魔女。そして死者に会わせてくれる魔女。
幻惑の魔女には色々な異名がつきまといます。
「ようこそ。禁厭の魔女。そしてはじめまして」
気がつけば、貴族の屋敷のような雰囲気の部屋に私は立っていました。
天井には大きなシャンデリアがあり、晩餐でも開かれるのかという大きなテーブル。煌々と明かりがともされたテーブルの末席に、私を喚び出した魔女と思われる人物がいました。
封筒の色に象徴されたように群青色の長い髪に、夏の空を思わせる青い瞳。椅子から立ち上がる姿も貴族の教育が行き届いた美しい動きです。
そして何より、そのモノが魔女を示す額の魔石。深い霧の色を思わせる『紫苑色』の魔石が際立っています。
「はじめまして、幻惑の魔女。魔女の家を貸していただき、感謝しております」
魔女同士は本来の名ではなく、魔女の名で呼び合います。名というのはモノを縛る力がある言葉ですので、魔女同士で名乗ることはありません。
「別に構わないわ。貴女を喚んだのは、今世界中で起こっていることに対する集まりよ」
「集まり?」
集まりというのはどういうことでしょう?私は個人的に呼ばれたということではないのでしょうか?
「貴女も受け入れたのでしょう?」
そう言って幻惑の魔女は顔にかかる右側の髪を耳にかけました。
青い契約痕。私ほど大きくはありませんが、右耳から頬にかけて青い炎のような紋様が刻まれていました。
「青炎竜」
「そう、世界中にばらまかれた異界の勇者の怨嗟の呪よ」
やはり、これは魔女たちの中でも問題になっていたようです。
私に手を出すなと釘を差しに呼んだということなのでしょう。
「今から、魔女どもが来る。それも皆青炎竜を受け入れた者たちよ」
魔女どもって……言いたくなるのもわかりますが、それは未来の自分にかかってきますので、言わないほうがよろしいのではないのでしょうか。
「『水月の魔女』『天河の魔女』『鎮星の魔女』が来られる。心づもりしておくように」
ああ、私が見習い魔女ですので、事前にどの魔女が来られるか教えてくださったのですね。
「ありがとうございます。『水月の魔女』『天河の魔女』の知識は持ち合わせていますので、驚くことはありませんわ」
「そう、なら良かった。以前喚んだ見習い魔女は酷い有り様だったからね」
確かに魔女と言っても横の繋がりはありません。滅多に会うこともありませんし、魔女の集会に顔を出さない魔女も多いです。
「それでは、こちらに喚びましょう」
「あ……その前に一つお伺いしたいことが」
「何?」
凄く邪険そうな目を向けられてしまいました。しかし、聞いておかないといけません。
「あのレメーリアというパン屋のケーキは私も買ってもいいのでしょうか!」
「は?」
「ケーキって普通では売っていませんわよね。貴族だった頃には食べることができていたのですが、魔女として暮らし始めてケーキが食べられないのがとても残念だったのです。でも、今日レメーリアというお店のケーキを食べて、とても『ちょっと待って』……」
はっ! ケーキを食べたい思いが全面に出てしまっていました。
「別に私が店を独占しているわけではないので、好きに買えばいいのよ」
「ありがとうございます」
「あ……別に貴女にお礼を言われる筋合いはないわよ」
「サイさんにも日頃からお世話になっていますし、私『エルヴァーター』に来てとても充実した日々を暮しているのです」
すると幻惑の魔女はフッと笑みを浮かべました。とても優しい笑みです。
「魔女というだけで、忌避されるのであれば、魔女が過ごしやすい場所を作ればいいのよ。それだけよ」
その言葉の中には貴族のマリーアンヌとして暮らしていたものの、魔女というだけで、周りから色々言われてきたのだろうと予想できました。
だから、目の前の魔女は親しい者たちと辺境の地を開拓して、居場所を作ったのかもしれません。




