第10話 なんて無能
深淵の森『ヴァングルフ』は広大な森です。森と言っても岩山があり、湿原があり、平野があります。
その森の中でも辺境都市『エルヴァーター』の住人たちが生活の糧としているのはほんの一部。
未だにその全貌が明らかにはなっておらず、未到達の場所もあると言われています。
その中でも『レバーラの湿原』は常時濃い霧に覆われた湿地帯です。人が通る場所には木の板を並べただけの橋があるものの、そこから一歩足を踏み外せば、底なし沼に陥るということになるのです。
「逆さね」
「逆さだな」
その湿原の入口にほど近い場所に、沼から突き出た二本の足が……イヌガミケ……ごっほん! 失礼しました。
「ああ! もう膝まで沈んでしまっているじゃねーか!」
バルトさんが焦っていた理由。それは石化した者たちが底なし沼に落ちてしまって、そのまま沈み込んでしまう時間を考慮してのことでした。
「これを引き上げれば宜しいですの?」
「魔女のねーちゃん! そんなことできるのか? 一応縄は持ってきたぞ」
バルトさんは長いロープを見せながら私に聞いてきましたが、私は魔女ですので一通りの魔法は使えますよ。
「必要ありません。『浮遊』」
物の運搬に便利な浮遊魔法を使います。
泥と水草と何かよくわからない物体と絡まって宙に浮き上がる二本の足。
「水に落ちかけている途中で石化したのか?」
クロードさんが言うように、右手を突き出した形で固まった人が出てきました。一応気を使ってゆっくりと上げたものの、破損があったらごめんなさいね。
「あれ。指が一本欠けているな」
「え……ゆっくりと引き上げたのだけど、何処かに当たってしまったのかしら?」
まっすぐ上に引き上げたから何処かに引っかかるというのは無かったはずです。
「それは後で自分で治させるから、別にいい!」
あら? 身を覆うローブぽいものを着てるのかと思えば、治療師の方でしたか。
それはよかったです。次から引き上げる人の治療を頼めるではないですか。
「まぁ、途中で杖を無くしたから、町に帰ってからだな。それまでは我慢してもらわねぇーと」
「杖ぐらい無くても治療ぐらいできますわよ」
私は絶望的な表情をした石像をそっと置きながら言います。なんだか、必死に生き足掻く人という題名でもつけれそうな石像ですわね。
「いや、普通は使えねぇからな」
「そもそも魔法の教育が、魔力を安定に放出するために、杖を使うことを推奨している。だから、杖なしで魔法は使えないだろう」
ただの傷薬を、石化している人にかけている私の耳におかしな言葉が入ってきました。
え? 杖なしで魔法を使う教育をしていないのですか?
日々の魔法にわざわざ杖を取り出すのですか?
「クロードさんって、普通に魔法を使っていましたよね?」
その時に杖なんて持っていませんでしたわよ。いいえ、聖騎士が普通の枠に入るかどうかという話でしょうか?
するとクロードさんは首元から鎖を引っ張り出してきました。その先には赤い魔石がついています。
首飾りですか?
「ハイヴァザール公爵家の紋入りの魔石だ。これが魔法の補助をしてくれている」
それは身分の証明と魔力の出力補助の機能を持つ首飾りと言っています?
ということは、魔力出力補助なしに魔法を使えないと……。
「魔法最盛期のアンラヴェラータ魔導王国は、上級魔法使いひとりで、戦況をひっくり返したというほど、魔法使いを育てることに力を注いていたはずです。それが……杖がないだけで、魔法が使えないなど……なんて無能」
「無能ですみません」
足元から謝罪の言葉が聞こえてきました。上半身が泥にまみれた人が地面に横たわっています。
あら? 本当に化石化が解かれているわ。普通の傷薬ですのに。
それも欠けた指も綺麗に治っています。
「ツヴァイ! 何処か痛いところはあるか?」
「バルトさん。俺、無能ですみません」
地面に横たわり、さめざめと泣いている泥に塗れた物体。
「違うぞ! ツヴァイが庇ってくれたお陰で俺が無事だったんだ!」
「俺が杖を手放さなかったら、不意打ちでもバジリスクなんかに負けなかったのに」
はぁ、ぐじぐじと鬱陶しいですわね。
私は魔物避けの火がともったカンテラを地面に置きます。
「だったら次、負けないようにすればいいのよ! これをあげるから、戻ってくるまで読んでおきなさい」
ついでに魔導書もカンテラの横に置きます。分厚い本ですが、魔法の基礎がかかれた本になります。
「魔女のねーちゃん。これ何処の国の文字だ?」
「古代文字っぽいな。聖王国で使われている神聖文字に似てなくもない」
……アンラヴェラータ魔導王国の文字が読めないですって! 魔法を使う者には基礎の基礎でしょう。
もしかして、この情報も今では古いのですか?
読めない本を渡しても仕方がありません。回収して、薄っぺらいノートを置きます。
「姉や兄に魔法を教えていたときにつかっていたものよ。これなら読めるでしょう」
姉二人と一番下の兄は、魔女である私に好意的でした。ですので、魔女が使う魔法の内、役に立ちそうなものをまとめたものになります。
しかしその本が地面から拾われてしまいました。
「俺が欲しい」
「クロードさんには必要ないでしょう」
首から下げている魔石があるのですから、杖のように手放して魔法が使えないという事態には陥らないと思います。
「無能なんだろう?」
「ん?……ちょっと口が滑ってしまっただけですので、気にしないでくださいね」
「言葉にしなくても、内心思っているということだよな。魔女の夫がそれでは駄目だろう?」
別に、そこは関係なくないですか?
「聖騎士様ってだけでも、俺達からすれば魔女のねーちゃんと同じぐらいにすげーんだけど」
バルトさんの言う通りですわよね。聖騎士って誰でもなれるわけではないですもの。




