4.灯火
「大天使?」
体力をかなり消耗しているのか、いくつか述べた彼女は瞼を静かに閉じた。
「あ……ちょっと……」
警察を呼ぶべきか、近くの住宅に助けを求めるべきか悩んでいた。彼はあたりを見渡すと通行人は誰もいないのである。
『人がいない……というか風も音も……』
大通りを外れた道路ではあったが、すぐそこには線路があり、この時間であれば、自動車や通行人が付近を通行してしるため、奏多は焦りとともに不気味さを感じていた。
「少々、人払いをしたからな……君がそう考える……いや、感じるのも至極当然だ」
奏多は守護天使と自称する女性に体を向けていた真後ろから、その声は聞こえた。
その声に反応し、体をそちらに向けるとちょうど、西日の向きと重なり、目を細める奏多。
そこに立っていた人物は、男性のようだった。大柄でスーツ姿、黒色のネクタイが奏多にそこはかとない忌避を喚起させた。
橙色に染め上げられた夕日に目が慣れはじめると、その男の容姿に目を奪われた。
夕日でわからなかったが、彼の髪入りはオレンジ色に近い金髪、それ以上に目立ったのがその美貌である。この世のものではないような清廉さを兼ね備えた男前だった。映画やドラマであれば、主演俳優を任せられるだろうその面構え。年齢は20~30歳程度であろうか。
「……天使」
奏多は自然と言葉を発した。
「ご名答。私は天使だ。依代で現界しているから、本当の姿は見せられないけれど」
天使と言えば、西洋の絵画で描き出されるような、白い衣服に大きな二枚の羽を纏った人間が想像されるだろうが、彼の衣服はスーツ。普通の会社員と変わらないが道端に突っ伏した傷だらけの彼女の述べた『大天使』という言葉が指すのは目の前にいる彼であろうということは彼の言葉からも発せられた通り、間違いないだろう。
中性的な雰囲気であったが、その声は低く、よく通り、体の幹に響くものだった。
「……よくわからないですが僕になにか用事ですか?」
現界、依代……いくつかの聞き覚えのない単語が理解を遮る。
「ああ、話が早くて助かる。まぁ用事というといささか、ニュアンスが違うというか……我々の目的と言った方が適しているのだと思うが……」
「何をやっているんだ……時間を考えろ」
そう言うともう一人の男の声が聞こえた。
「こういうのは、慣れていないんだ。それに彼の心情を察しろ。突飛推しもない状況だ」
奏多の視界にはそのもう一人の声が聞こえるまでは、相対する金髪の人物しか認識できていなかったが、どこから、いやいつからか、もう一人の男が金髪の男につっけんどんに言葉をかけた。やや長髪でヘヤセットを施した黒髪、どこか軽佻さがうかがえる話し方。言葉は荒い印象を受けるがこちらの男もどこか気品さを伺わせた。彼も『大天使様方』の一人だろうと奏多は察した。
「その配慮は意味のないことだ。これからその身柄を回収するのだからそれだけの事だ」
その言葉を理解できないでいたが、身体の奥底に冷たい一筋の線が流れ来る感覚が行動を制約、支配する。
奏多は拳に力を入れる。手は熱を帯びはじめ、その体に宿すパイロキネシスの力をいつでも発動できるようにと。
「無駄だ。抵抗するとむしろ苦痛を与えてしまう可能性がある。まず要望したいのは我々と同行してほしい」
金髪の男が奏多の機微を察し、端的に目的を述べる。
「……目的がまるでわかりません。身代金とか、人身売買とかの類ですか?」
「いや、もっと崇高で、これからの幾星霜の未来のために手伝ってほしいというのが私の所見かな」
「そんなこと言われても、僕には何もできないですよ」
一気に拳の力を解放しようとする奏多。
「やめておけ。お前の力では、俺たちに敵わない。お前の能力も知っている。炎が使えるんだろう?」
黒髪の人物がそう述べる。奏多は意表を突かれたような心境ではあったが、すでにばれているのであれば隠す必要もないとして、右手に炎を宿した。
「……これが彼の言い伝えの……」
「やっぱり、あいつが煉獄の住人というのは間違いない。おめーさんを確保することがより明白となったわけだが……どうしたいよ?」
これまで瘴気のような、不明瞭の禍のような存在を払うことができたが、今相対しているのは『天使』と呼ばれる存在であり、その実態はまるで不明。陸上部には所属していたが、武道はおろか、身を守るような術をまるで持っていない奏多は実際どうすることもできないであろうと彼自身がその顛末を予期する。
『逃げる……でもこの人はどうしようか……』
背にしていた満身創痍で行き倒れの女性を放り、逃げるという選択に躊躇していた。
奏多の拳から漏れ出た炎は一瞬にして、右腕全体に広がり、轟々と立ち上る火柱を形成していた。その炎は細長い盾のようでもあり、西洋のランスをも想起させる。決心を固めた彼の意思がその姿に現れていた。
慣れないファイティングポーズをとる奏多は戦う以外の選択肢はなかった。
その姿をみた金髪の男は手のひらを地に向け、そのあたりがゆがみ始めた。その男の身体に光を纏い始めたと感じた刹那、彼の手には金色の棒が握られていた。いや握っているようにも見えるが実際には、握る素振りをしているだけだった。そしてゆっくりと立ち上がる。
「対象に、このようなことはしたくはないのだが……」
ズン!
金髪の彼から目を離さなかった。確かに離さなかったのだが彼はすでに金色の棒を持っていなかった。
奏多は肩に違和感を覚える肩をさすると異物感を指の腹で見つけた。ゆっくりと目線を左肩に向けるとおびただしい血で衣服が染まっていた。さらに後ろを向くと金色の棒が地面に突き刺さっていたのである。即座に金色の棒が衣服を穿ち、肩を貫通したことを察した。
痛みを感じる間もなく、攻撃されたことを自身の触感で感じるという、自身の認識を超えた事象が起きた奏多は一気に動悸が高まった。
「ぐ……そ……」
肩を強く握り、その場に座り込む奏多。激痛も相まって目の前の出来事に理解が追い付かないでいた。
「大したことはしていない。君の肩に『無形』の槍が刺さって貫通しただけだ。驚くことはない」
「結局、力業か」
その様子を苦笑いで見ていた黒髪の男がさも嬉しそうに述べる。
「彼の力は未知数だ。即座に無力化することが優先される」
「殺したら元も子もないぞ。とっとと回収して、天界に連れて行こう」
いつもは穏やかな奏多だったがこの時ばかりは反撃を目論む。だが彼の能力はパイロキネシスであり、中長距離の投擲、射出物への対応が難しい。それ以前に金髪の攻撃が見えなかった。
「これで大人しくなるだろう。どこまで行っても生身の人間。痛みを覚えればおとなしくなる」
「当たり所が悪ければ死んでるって……」
(まだ……)
彼らが話している最中、奏多は力を行使しようとしていた。それは人によっては自傷行為に等しいように捉えられるだろう。
ボ!
奏多の能力は相手を払うのみならず、彼の炎にはもう一つの能力を有している。
「……なにを……」
奏多は燃えた右手を負傷した左肩に添えて、焼いて傷口を塞ごうとするような格好をとる。
「止せ!ショックでそのまま……」
「待て!」
金髪の男が黒髪の男を制止する
傷口周辺は炎に包まれ、燃え上がり、徐々に黒ずんでいく。相対する二人にとっては異常行動としか見受けられなかったが彼の傷口にまとわりついた炭が徐々に剥がれ落ち、いつの間にか出血が止まっている様子だった。
「傷口が……閉じた。いや傷が治ったのか!?」
炎を払い、傷口を閉じた奏多は身構えるでもなく、落ち着いたようなそれでいて、疲れているようなそんな様子を天使である二人に見せた。
「あんまりやりたくなかったけど……」
時間の巻き戻し、組織の再生、物体や事象の代替……いくつもの奇跡や魔法を見てきただろう天使達にとってもその現象は奇怪に映った。
奏多は肩で息を切らし、今にも天使へと襲い掛かかろうというような気迫がその眼光に宿していた。だが彼は体力を大分消耗していることは一目瞭然だった。
「大天使二人で少年を襲うとは、見っともない……」
どこからともなく、気品を感じさせて凛とした声が奏多の背面からぴんと張った糸のように周囲に響いた。