2.学生の時分と自分
「御浜、君この後どうするの?」
「この後?」
バイト先の店長がキッチン越しからホールにいた奏多にそんなことを話しかけてきた。
年齢は聞くに聞けず、茶髪に染めたポニーテールの女店長で勝手にアラサーぐらいだろうと考えていた。彼女の名前は楠絵麻。
いつもサバサバした対応を万人に向けていた彼女から意外な言葉が突然放たれた。奏多は驚きがあったものの、その表情は変えずに真顔で考え込む。
「なんですかね?」
「やりたい事とかないわけ?」
「どうしたんですか店長。珍しいですねそんなこと聞いてくるなんて」
「私は君の将来を憂いているわけよ」
当たり障りのない、返答の先に存外、真面目な理由があった。
「御浜はどこか空っぽっていうか、危なっかしんだよね。ふらっとどこかに行ってしまいそうっていうか……」
やや低い彼女の地声はいつもよりもその口調に真剣さを含ませている。
眉根を潜めながら苦笑を浮かべたその顔は世間話というより、彼女が言った通り心配しているという雰囲気をのぞかせている。
「そうですね……自分でも何がやりたいのか……」
「まぁ、大学入ったばかりだし、いろいろなこと経験することが一番いいと思うよ。やりたいことを見つけるにはね」
奏多が大学生活の傍らで、アルバイトをしていた。バイト先は「カンファバー」という名前で昼はカフェを営み、夜はバーへと様相を変える、クラシックな喫茶店だった。
奏多はアルバイト探しをしていると店先のアルバイト募集を見つけて、すぐさま面接を取り付けるとそのままこの店へと採用となった。
『なんか野良猫みたいで雇いたくなっちゃった』とこの店の店長の楠絵麻がある日の店じまいの際にそんなことを苦笑しながら言っていたことを奏多は思い出した。
彼らがそんな会話をしていると一人の女性が入店してきた。
「こんにちは」
「いらっしゃい。どう、最近は?」
「どうでしょうね……まぁ、人員も足りないのはいつもとして……」
この居酒屋では珍しくあまり見慣れない女性が入店してきた。ずいぶん若く、正直10代でも通用するような容姿だが、店長との会話から彼女は常連らしく、少なからずとも未成年ではないようだった。
「奏多、裏から在庫、補充しておいて」
「はい」
奏多は女性客を横目で再度確認したがやはり初めて見た人物だった。あまりジロジロ見るのも失礼かと考えた奏多は店長から指示された在庫を補充にバックヤードへと消えていった。
「新人さん、ですか?」
「ああ。ちょっとまだ不慣れでね。3月からこっちで暮らし始めて、うちでバイトしてる。悪い奴ではないんだけど、愛想がいまいちで~……」
「そう……それは育てがいがありそうですね」
「私はここの店長歴はまだ浅いから、偉そうなこと言えないけどさ」
カウンターの席に座り、カクテルを飲みながら絵麻と会話していた客はクスクスと笑う。やや幼さを感じさせる含み笑いを見せた。
「あんたはいいね。ここに来てから全然変わらないし。何か美容とかやってるの?」
「いいえ。でも力仕事……とかはあまりやらないデスクワークなので……紫外線とか浴びないからかしら?」
天井に目をやり、ややわざとらしい仕草を見せる。
「それはうらやましいことで」
「ふふふ」
彼女らの談笑が裏で補充作業している奏多の耳にまで届いていた。
(そろそろ定時だし、終わったらあがろう……)
彼女らのおしゃべりを聞きながら、そんなことを考え、その日はアルバイトの仕事を淡々とこなしていった。
「えー、このようにデカルトが与えた影響は、多くの分野に及び……」
大学の講義は高校の授業と然程変わらず、ありていに言えば、面白いものではなかった。
今年の4月は思いの外、気温が上がらなく、今日にいたっては春雨が講義室の窓の外から窺えた。
「ねー知ってる?出たんだって」
「え?なになに?」
「お化け」
「えー本当~」
奏多が座っていた席の後ろから、女子2人のひそひそとした会話が聞こえた。
この世界では異界の者が時たま、この世に現れるらしい。それらは悪魔であったり、異形であったり、人間に翼が生えた天使のような者などが出てくるようだった。
奏多は実際に目の当たりにしたことがあまりなく、正直、その存在も半信半疑でオカルトの域を出ないと考えていた。ある時までは。
「そこ、おしゃべりなら部屋の外でやるように」
「は、はーい」
講師が彼女らを注意し、再び無機質な講義が始まる。
講義が終わると教室を移動しまた授業、そして昼休み。この後も授業が入っており、そしてバイト。それが彼の日常のルーティンだった。
昼休み、食堂で定食をとっているとある人物が声を掛けてきた。
「御浜~、こんなとこにいたのか」
「六輔か、どうしたの?」
「今度の休み、遊びにいかない?」
三国六輔、入学当初の学科レクリエーションで奏多の隣の席となり声を掛けてきた人物である。後から知ったことだが名前順で配席されていたことを知り、彼の隣になったようだった。
六輔は誰にでも好意的に接し、引っ込み思案な奏多にも初めて会った時からマシンガントークで話してきたことを切っ掛けに奏多を見かけると必ず声を掛けるようになっていた。
「どうせ数合わせでしょ?よしとくよ。気を遣うし、遣われるから」
「この前みたいにはならないようにするからさ。行こうぜ~。今だけだぜ。遊べる時間があるのは。2,3年生になったら就活とか意識し始めるから気を緩められるうちに遊んどこーぜ。これも社会勉強ってことで。あとで場所とか連絡しておくからさ」
「じゃあな」といって早々にどこかに行ってしまった。
奏多は六輔がどうして自分に声を掛けるのかわからないでいた。田舎から出てきた自分を見かねて気をまわしているのかよくわからなかったがありがたくは思っていた。
「いいじゃない。行ってくれば」
その日の講義を終え、アルバイト先『カンファバー』に訪れ、今日の出来事を絵麻に話していた。
「なんて言うか、自分、浮いちゃうんですよ。あんまり都会の人とうまくコミュニケーションできないっていうか……」
何処か照れくさそうに、声のトーンを落としながらそういう奏多。
「だからよ。その子が言った通り、社会勉強も必要だわ。今のうちにいろんな人と交流を持っておいた方が後学になるのよ」
「そんなもんですかね……」
都会で1人暮らす彼を心配し諭すように言う姿は実の姉のように奏多は感じていた。
「他の子にシフトをお願いしておくから行って来なさいよ」
「店長がそういうなら……」
週末、六輔からの連絡にあった場所へと向かう。そこは学校内のとあるゼミが入る部屋だった。そこにはまぁまぁの学生たちが管を巻いて、すでに一部の上級生が出来上がっていた。いわゆるノミサーの一つなのだろう。
『大学で何やってるんだろ……』と感じた奏多は脱力した。
どこにでもいるような学生たちのうだつの上がらない、意味のない会話、談笑が広がる。
平々凡々な学生たちが繰り広げる会話に有意義さを求める方が間違っているのかもしれないが。
奏多は軽く挨拶し、しばらくするとその場を後にしようとしていた。
「おい御浜奏多!どこに行くきだよ。まだ来てから三十分も経ってないだろうよ。ろくに話してないし」
奏多は嘆息し、困り顔を六輔に向けた。
「わかったよ。今日はこれくらいにしといてやる。しらないぞー、きれいなお姉さん方からムフフな、お誘いがあったとしても」
「そんなの期待してないよ……じゃあまた」
「あ、おい……」
六輔はどこか寂し気に彼の背中を見送った。
「なんなのあの子?ちょっと冷たくない~」
上級生の一人が奏多の振る舞いにやや気分を害したのか六輔に文句をたらした。
「なーに彼もまだまだ少年ですから、これからお姉さん方の良さを知っていきますって」
六輔はフォローを入れて、再び、宴席へ戻っていった。