19.再世
齋藤は奏多のもとへと駆け込んだ。もちろんそれは灰であり、雨粒がほとんどを泥へと変化させている。
「あれに心性を……」
齋藤は自身の心性をその泥に込めようとした。
「っつ!」
ドッという鈍い音が齋藤の後方から聞こえる。その瞬間彼女はそばにぐしゃりと倒れこんだ。
齋藤の右肩にひどい痛みを感じていた。彼女の腕はダンテに蹴撃をくらいそこにさらに鋭い痛みが走った。
痛みがどこから発せられたのか。それを確かめるように視線をなぞるように直線に向けるとダンテが屹立していた。
「な……んで」
ダンテはミネルヴァの『六梟の尚磔』を一部破壊し、片腕を齋藤へと向けていた。
齋藤とダンテの距離は十数メートルほど。
光線、斥力、投擲……いずれの方法かは定かではなかったがダンテは齋藤の行為を妨害するかのようにその一手を投じたようだと齋藤はすぐさま理解した。
ミネルヴァの拘束はものの数秒で、半壊したようで行使したミネルヴァもすでに体力を消耗している様子だった。
女神としての能力は決して低いものではない。ただ、彼女は依代に定着し行動している以上、その天性の行使には限界がある。
先の大天使2名との戦い、自身の回復。上位の異形と相対するにはそれ相応の消耗が必至であることはこの場に臨む前からも、想像するにあまりある。
ミネルヴァはとうにその天性が限界に達していた。そして、女神から創造された神秘はダンテという、高位の異形に対しては不十分かつ不完全だったことの確度が齋藤への追撃が物語っていた。
人間には心性が備わっており、そこには強弱があり、純粋な人間でありながらも異界の者を即座に消滅させる力を有するものもいれば、心性に関して全く無縁の者もいる。
神職や僧侶が用いる法性、神父や修道女がもちいる祈性、時には本来人間が持ちえない心性を有する人物がいる。
そして齋藤は他の三境会職員とは一線を画す存在であり、強制力に対する理解と扱いは語るまでもなく秀逸。あわせて、齋藤は自身、稀有な能力を持ち合わせていた。
それがまさに齋藤雅那という人物だった。端的に言えば、三境会の中でも殊、戦闘においては十指に入る実力者と言っても過言ではない。
『だけれど、今ここで使うわけには……』
齋藤はこの土壇場で自身の心性をさらすことに躊躇している。
彼女の力は決して、人の目にさらしていいものではなかったからだ。
先の大天使への行使は、あくまでイレギュラーであり、最低限の使用に納めた格好だ。
ミネルヴァには感ずかれている様子だが、口外することはないだろうという憶測とある種の願望だった。
『ここで最大に解放することは避けたい……避けたいですけど……』
他の方法はないか、と脳を最大限に回転させる。
もはや、打撲と出血で歩くことさえもままならない、徐々に意識は遠くなる。
次の瞬間、パーンとガラスが割れるような音が周辺に響き渡った。
今一度、ダンテの方向に目をやると、ミネルヴァの拘束の術は完全に解けてしまっていた。
あと、数メートル先に奏多の灰がある。そこにさえたどり着けば……たどりつけさえすれば、何かが……
「貴殿のやり残したことはまだあるか?」
極刑が行われるのであれば、そのように言い渡されるだろうか。
そう言い放ったダンテは齋藤のすぐ後ろに屹立していた。
『頭が……回らない……せめて奏多さんに力を……』
意識はあっても、言葉がうまく発せられない。
「沈黙を回答と判断する。せめて一瞬でその苦しみから解き放とう」
悪魔とは思えないその慈悲深い言葉には、チャームの魔性が込められていたのか、朦朧としていた齋藤は素直にその言葉を受け取り静かに瞼を閉じた。
覚悟と諦めを抱き、目をつぶった齋藤の五感の一部にある種の情報が流れ込んできた。
「匂い……」
「……何?」
齋藤は匂いのもとをたどるように方々に目を向けると、灰と雨水が入り混じった泥が白煙を上げていた。
悪魔と齋藤は何が起こっているかわからず呆然と窺う。
その煙は数舜の内に体積を広げた。
「くっ!」
齋藤はわずかな白煙から熱せられた蒸気のように変化したことを理解した。
「第四世界、隔絶された二対……」
ダンテが考えを巡らせながら一言一言をかみしめるようにつぶやく。
そして、白煙はついに、炎へと姿を変えた。
「これがサイセイの始まり……」
炎はさらに、轟々とした火柱へと様子を変え、霖雨も相まって周囲はさらに蒸気で立ち込めた。
ついにはほとんど視界が効かず、火柱の光だけがそこにあるのだと、主張する。
そして、業火より『彼』は現れた。




