16.私の力
純粋な神性を源に詠唱を重ね、その一閃は落とされた。女神ミネルヴァは一切の躊躇を見せず、戦う意思を示していた。
「そこまでよ。大天使諸君。素直に私の指示に従いなさい」
「……まだやる気かよ……あ!」
黒髪の大天使は膨大な神性を込められた閃光に怯み、奏多から手を放していた。
奏多は何一つ躊躇せず、漆黒の川面へと欄干から飛び降りた。
「な……タハリエルを助けようと……」
水面が大きく水しぶきを上げたことを街灯の光が知らせる。
『光賢よりの薫陶』
間髪入れず、女神がそう告げると頭上を飛ぶ梟から無数の羽根が降り注ぐ。
今度は警告ではなく、真正の撃。それは確実に大天使二人にダメージを負わせるための一手として放たれる。
ミネルヴァは奏多が橋上から姿を消したことを好機ととらえ、すぐさま攻勢に出る。
辺り一帯は光の羽根が降り注ぎ、物量のあまり光の柱のように見受けられる。それだけ彼女はこの攻撃で大天使を無力化することを優先させた。
数十秒ほどたつと、空からの攻撃はすんと途絶えた。あたりは粉塵でおおわれていた。
少しづつ、煙が霧散していくと視界が開けていく。
「……まずい!」
ドス、と鈍い何かが刺さった感覚がミネルヴァを襲う。天性の励起を感じたがその時にはすでに無形の槍が彼女の腹部を貫いていた。彼女はひざまずく。
「必ずしも心性の強度だけが勝敗を決めはしません。戦いでしか得られないものは数多く存在する。まさに今、女神様が持ち合わせていなかった戦術の趨勢を見極める力などね」
ミネルヴァへ一歩、また一歩と金髪の大天使が近づきながら言葉を述べる。
一つ、また一つと雫が空から落ちる。急な春雨は彼女の無力と寂寥を洗い落としてはくれない。ミネルヴァはすべてが決したを悟った。
「……確かにこれは戦争ではありません。どうやってあの攻撃を躱したのですか?」
「単純な話ですよ。無形の槍は傘のように、平坦に広げることができます。女神様の攻撃をすべて受け止めただけです」
あっけらかんと述べたその言葉はすべてを諦観させる。経験の違い。それがすべてだったのかと……。
「……く、その天性の高さはまさに大天使……だが私にはまだわからないことがある……ひとつ聴いておきたい……」
「なんです?」
黒髪の彼は欄干から川を覗き込み、もう一人の金髪が問いに応答した。
「天上九階級が大天使、貴殿の名前を聞いておきたい」
彼らの天性の大きさは判断出来ていたが、人物を特定できないでいた。これは三境会側でも同じだった。
「バラキエル。すでにご存じかと思っていました」
その名が示すは神の雷光。ミネルヴァは奏多たちを救った一戦でどこか違和感を覚えていた。まさか手心を加えて戦われていたとは思いもしなかった。
「そして彼はサラフィエル」
彼の意味は神の祈り。
異界の者がもつ二つ名は単純なそれではない。その者の得意とする分野、能力、環境を指す場合がある。
いづれにしても、神と名の付く大天使。彼らとの白兵戦での勝算は鼻からわかりきっていたことだったとミネルヴァは気をさらに落とした。
「もう……よろしいですか?彼らを確保しこの場を去ります……あれは」
東側に一直線に伸びる幹線道路を目でなぞると一台の車が猛スピードでこちらに進んでいた。
赤いスポーツカーは遺憾なく自身が抱えるエンジンを咆哮させ、緊急走行をしていた。
ハンドルを握る齋藤の視界は四つ木橋東詰を捉えていた。幸い一般車両は見て取れない。大天使の人払いの能力だろうとすぐに彼女は理解した。
「被害は最小限、ということかしら……」
身体を助手席に傾け、ダッシュボードを開くと中を探り、野球ボール大のネイビーブルーの玉を取り出した。そしてもう二つ、こんどはやや太い結束バンドのようなものを出した。
「よ!」
彼女は強制力でその玉に心性を込めると小さくLEDの光が点滅する。
運転席のパワーウィンドウを開くと彼女は窓から後方にそれを投げた。
玉は転がり、あるところで、ぴたりと止まると車道の両端に広がった。球が道路で一本の線となるとそこから帯状のホログラムが人の腰当たりの高さで広がり『立ち入り禁止』の文字が明滅する。
「……くるか」
バラキエルは小さくつぶやくとミネルヴァから離れ、突っ込んでくる車両の正面に身構える。
「上等です」
齋藤はさらにアクセルを開ける。
西部劇さながらの決闘を彷彿とさせる。その様子からミネルヴァは察し、残った力を振り絞り欄干へと駆けだす。
お互いに一歩も引かない。
そして衝突……かと思われたが直前でサイドブレーキが引かれていた。
車は耐えきれず、高速でスピンがかかると大天使を車両の側面で体当たりし欄干に追いやった。予期していなかった動きについて行けず、車両にたたきつけられたバラキエルに一瞬の隙を与えた。
齋藤は俊敏に車両の外へと出ていくと早業で簡単にバラキエルの首根っこを捕まえた。
「三境会第9類規程、現場での戦闘について、対象者の暴行もしくはこれに準ずる行為が認められた場合、三境会役職員はこれに対応する。対応にあたっては対象者の無力化……もしくは排除、拘束を速やかに行うこと」
齋藤は所持していた結束バンドをすでにバラキエルを握るうでに抱えており、それに心性を送り込む。すると結束バンドは彼の喉元をぐるりと巻き付いた。
「これがなんだと……!」
天性を解放しようとしたが、放出できない。それどころか動くことさえもできないといった様子でその場に両膝をついた。
「はは、それは三境会謹製の拘束バンド。拘束時間に制約がありますが強力で取り扱いが簡単です。依代に入った異界の者の力を拘束するために使います。心性のコントロールはおろか、四肢の動作でさえかなり難しいはずです」
「く……こんなもの……」
「あ、それと依代からの離脱も不可です。そのように作られていますから。三境会の技術力を侮ってはいけません」
「後ろ!」
ミネルヴァが叫んだ瞬間、すさまじい打撃音が齋藤のすぐそばで響いた。
もう一人の大天使・サラフィエルが齋藤の顔面目掛けて、上段蹴りを叩き込んだ……が齋藤はそれを両手で受け止めていた。
「いい蹴りです」
「な!?」
齋藤は自身の心性を滾らせた。
「依代へのダメージを残したくないのですが……」
サラフィエルは後方に下がり彼女を睨む。
「……お前!?」
サラフィエルは渾身の一撃を受け止めたこと以上に、齋藤の姿に一驚した。
黒かった齋藤の頭髪は茶色から金色の間の色に変化していた。
「あまりこの姿を見られたくないですが戦闘時はいつもこうなってしまいます」
優しさを纏うアーチがかった切れ長の瞼は、ゆっくりと開かれ、明るい赤褐色の虹彩を覗かせていた。
「どういう」
サラフィエルが戸惑っている隙を見逃さず、その駿を遺憾なく発揮する。齋藤は彼の額を片手でつかんだ。
「このことは他言無用です」
意地悪く笑うとそのまま彼を道路に叩きつけた。
轟音とともに、道路は蜘蛛の巣状にひび割れる。
齋藤は立ち上がり姿勢を正すころにはいつもの姿に戻っていた。
「多数の業務執行妨害、暴行に拉致……それと女性の容姿に驚いたのでノンデリ防止違反で、拘束します」
齋藤は意識を遠のかせたサラフィエルの首元にそっと拘束バンドを付けた。




