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5話 近づく心





 あの山菜取りに出かけた春の日以来、あやと那岐毘古(なぎひこ)の関係性は、ちょっとだけ変わった。

 特に積極的になったのは、あやのほう。

 今まで通り慎まやかなのは変わらないが、那岐毘古に対して自分の意思をはっきり示すようになったのだ。


「那岐毘古様、今日は河童の数珠丸さんが新鮮な魚をたくさん獲ってきてくれたんです。焼き魚にしますか? 煮魚にしますか? それとも干物にしますか?」

「酒の肴になるなら……なんでもいい」

「畏まりました!」

「………」

 

 あやは那岐毘古の要望を聞くと、喜々として(くりや)へ向かう。

 以前は滅多に那岐毘古と顔を合わせなかったあやだが、最近はもっぱら献立のリクエストをわざわざ聞きにくるようになった。

 元々神の血が混じった那岐毘古は、食事をとらなくても何とでもなるのだが、実際あやの作る料理はどれも美味しい。

 趣味嗜好の一環として美食を嗜むのも悪くないか………と、那岐毘古は無理やり自分を納得させた。






 それからあやは、あの暑苦しい目に巻いていた布を完全に外すようになった。

 那岐毘古が、


「別にお前の容姿を気にする奴なんて、ここにはいないだろう」


 と、一言告げると、


「そうですね! なんで今まで気づかなかったんだろう……」


 と、あやは強い衝撃を受けていた。

 その驚いた顔があまりに素直過ぎて。

 那岐毘古は笑いを堪えるのに苦労した。










 薄暗く不気味だった麗明御殿も、あやが数カ月かけて掃除したおかげでだいぶ綺麗になった。

 殺風景だった庭にもいつしか色とりどりの花が植えられ、蝶や鳥が邸内を自由に飛び回っている。

 さらに別の日。


「主、前々から言おうと思ってたんだけど、いつまであやにあんな粗末な格好させとく気だよ!?」

「……え」


 いつものように自室で手酌していると、久流流(くるる)がやや不機嫌になりながら怒鳴り込んできた。

 那岐毘古としてはあやをただで置いてやっているだけで充分親切だと思うのだが、久流流の言い分は少し違う。


「何言ってるんだよ、あやのおかげでこの屋敷はすごく華やかでにぎやかになっただろ。いつもぐうたらしている主とは違って、あやはすっごく働き者だよ? その働きに感謝して、美しい打掛の一つでも贈ってやったらどうなの? それが男の甲斐性ってもんでしょ!」

「………………」


 一方的に自分の不甲斐なさを糾弾され、那岐毘古は渋面になる。

 けれど久流流の言い分にも一理あると思い直し、商い上手な(あやかし)算盤坊(そろばんぼう)を呼び出した。








「まぁ、なんて素晴らしい打掛……!」

「そうでございましょう、この算盤坊、那岐毘古様に申し付けられまして、古今東西を駆け巡り、最高級の綾錦を手に入れてきたのです」

「それは大変ご苦労様でした」


 那岐毘古は算盤坊経由で、あやに美しい打掛を贈った。それを手にしたあやは、心地いい手触りにうっとりと感嘆のため息を漏らす。


「目が見えなくてもわかります。この表面の滑らかさ、刺繍の細かさ。とても美しい打掛なんでしょうね」

「ええ、そりゃあもう」


 算盤坊がごまをする傍らで、あやはいそいそと裁縫箱を取り出す。


「こんな高価な打掛、すぐにこうしてしまうのはもったいないですけれど……」

「あ、あやさん?」


 そう言ってあやが取り出したのは裁断ばさみ。

 その刃がきらりと光るのを見て、算盤坊は慌てて止めようとした。

 ………が。


 ――じゃきん!


 あわれ、贈られたばかりの打掛は、他でもないあやの手で見事に裁断されてしまった。












 ――ドス、ドス、ドス、ドス。


 算盤坊から事のあらましを聞いた那岐毘古は、珍しく自分からあやの居室を訪れた。荒れる感情のまま大きく床を踏み鳴らし、力任せに襖を開ける。


「あやっ!!」

「あ、那岐毘古様?」


 那岐毘古の怒声に、あやの体は一瞬跳び上がった。

 算盤坊に聞いた通り、あやは裁縫中のようだ。

 那岐毘古は憮然とした表情のまま、居丈高にあやに問いただす。


「あや、一体何のつもりだ? そんなに俺の贈った打掛が気に入らなかったのか? ならば直接そう言えばいい。なにも打掛をバラバラにするなんて嫌がらせをしなくてもいいだろう!?」

「えっ!? これってもしかして、私への贈り物だったんですか?」


 あやは今初めて聞いたとばかりに驚いた。

 そこに慌てて那岐毘古を追ってきた久流流が飛び込む。


「主、怒ってないでちゃんとあやの話を聞いてあげて。きっと何か理由があるはずだよ」

「理由?」

「も、申し訳ありません。私、これが贈り物だなんて思わなくて……」


 あやは近くの針山に針を戻し、今完成したばかりの縫い物をおずおずと差し出す。


「那岐毘古様、良かったらこれを……」

「?」


 あやが申し訳なさそうに差し出すそれを、那岐毘古は怪訝な顔をしながら受け取った。

 見ればそれは男用の腰巻だった。

 先ほどの打掛を利用しているため、とても豪華で見事な出来だ。


「………。あや?」

「とても素晴らしい打掛だったので、きっと那岐毘古様に似合うだろうと……。それにそろそろ新しい腰巻が欲しいと仰っていたでしょう?」

「そんなこと……言った気もするな」

「あ、あの、お気に召さないようでしたら、遠慮なくお捨て下さいませ。また何かに再利用しますから」

「………」

「なぁんだ、そういう訳だったのか。ほら、やっぱりちゃんとした理由があったじゃん。あやが贈り物をバラバラになんてするはずないだろ?」


 久流流は那岐毘古の足元でくるくると走り回った。

 対する那岐毘古と言えば、急に怒りが鎮火したかと思うと、へなへなと脱力して座り込んでしまう。


「はぁぁぁ~~、贈り物を贈ったつもりが、逆に贈り返されてしまうとは……な」

「も、申し訳ございません」


 あやはもう一度深く頭を下げて謝った。

 あのように見事な打掛には今まで縁がなかったため、自分に対する贈り物だという可能性に全く思い至らなかったのだ。


「でも元々私には過ぎた打掛です。このような最高級の品は那岐毘古様が身に着けてこそ映えると思います」

「そんなこと……ない」


 いつものように自己評価が低すぎるあやに、那岐毘古はイライラを隠せなかった。謙虚なのは彼女の美徳だが、こんな時は決定的な短所にもなる。


「お前ならばあの打掛も、見事に着こなせただろう」

「それこそ買い被りでございます。だって私は……」


 あやは悲しそうに目を伏せ、那岐毘古から顔を逸らしてしまう。


「私はいつだって家族のお荷物でした。村にいた時もそう。何の役にも立たない人間だから、生贄として山に捨てられたのです」

「違う!」

「……えっ?」


 だが自己否定するあやの言葉を那岐毘古は素早く遮った。

 いつの間にか部屋の外には人だかり……ならぬ妖だかりが出来ており、二人の会話をハラハラとした様子で見守っている。


「あや、お前の作る飯はうまい。素晴らしいことだ。この屋敷の妖達は、お前の作る飯に焦がれて、いつも腹を空かしておる」

「那岐毘古様……」


 いつもは寡黙で、不機嫌な日のほうが多い那岐毘古だが、今日ばかりは様子が違う。あやの悲しそうな顔を見ていたら、普段は喉の奥に詰まっているはずの言の葉が、なぜかはっきりとした形で溢れ出てくるのだ。


「お前が着物を洗ってくれるおかげで、俺の体の臭さがなくなった」

「那岐毘古様は臭くなんてありませんけど……」

「お前が掃除してくれた屋敷は居心地が良い。正直ここまで綺麗になるとは思わなかった」

「ふふ、私は少しはお役に立てたのでしょうか」


 あやの口から微笑が漏れて、那岐毘古はホッと胸を撫で下ろす。


「お前が編んだ草鞋(わらじ)は丈夫で長持ちする。暇な時にもう一足頼む」

「………」

「そう言えばお前は庭の片隅に畑を作りたいと言っていたな。お前が丹精込めて作る野菜なら、さぞ美味かろう」

「………」


 那岐毘古が一つ一つあやの長所を上げる度、あやの瞳は潤んでいった。

 こんな風に誰かに自分の存在を肯定されたことは一度もなかった。


 『目の見えないお前は厄介者だ』

 『家族の苦労も考えろ』


 そう後ろ指を指される度にあやの心は傷つき、自分には何の価値もないのだと何度も言い聞かせてきた。

 けれど。


「あや、おまえは美しく賢い。そして献身的に、ここに住む者達の生活を支えている。どれも自信を持ってよいことだ。お前は役立たずなんかじゃない。だいだらぼっちである俺なんかよりずっと。――ずっと」」

「………っ!」


 もうダメだった。

 あやは自分の顔を両手で覆い、大声で泣き始める。

 どれだけ止めようと思っても、涙は勝手に溢れて流れ続けた。


「な、泣くな。やはり俺は言い方を間違えたのか」

「いいえ、いいえ違います。私、嬉しくて」


 あやは慌ててかぶりを振った。

 那岐毘古の言葉はどれも直接的、()つ不器用で。

 だからこそあやの心を強く打つ。


「ありがとうございます、那岐毘古様。私、那岐毘古様に会えてよかった……」

「あや……」

「今まで生きていて、良かった……」

「……」


 そしてそのまま、コトリ、と。

 あやは目の前の那岐毘古の胸元に額を預けた。

 那岐毘古は一瞬ぎょっとするものの、背後から送られてくる『絶対逃げるなよ! 逃げるんじゃねーぞ!』という無言の圧力に負け、仕方なくあやの頭をグイッと片手で引き寄せる。


「な、那岐毘古様……」

「泣きたいなら泣けばいい。うまい飯と掃除の礼だ。胸くらいはいつでも貸してやる」

「あ、ありがとうございます………」


 ぎこちなく身を寄せ合う二人を見て、久流流をはじめとする妖達は、笑顔のままそっとその場を離れた。


 とく、とく、とく、とく。


 耳を澄ませば、あやの心臓の音と那岐毘古のそれが、一つに重なり合っているのが確認できる。


(好き……)


 あやは那岐毘古の胸元に顔を埋めながら、生まれて初めての甘い幸福感に酔いしれた。

 彼がだいだらぼっちだとか、神と人のあいの子だとかいう事実はどうでもよかった。

 今はただ自分をありのままに受け入れてくれるこの男性(ひと)が、誰よりも愛しくて大切だ。


(那岐毘古様が、好き……)


 それは一人の少女が大人へと変化した、決定的な瞬間。

 初めて出会ったあの月夜から温められ続けた想いは、今ようやくあやの中で開花した。



 















 ――が、しかし。



『おやおや、最近何か様子がおかしいと思って、わざわざ足を運んでみれば……』


 心の距離を近づけた二人をのぞき見する、無粋な視線が一つ。

 麗明御殿の庭先の木の枝に、金色の目をした(からす)が一羽とまっている。


『お前を幸せになんかさせないよ、那岐毘古……』


 まるで呪詛そのもののような、不気味な女の声。

 その声が響くと同時に、真っ黒な烏がかーっと一声鳴いた。


 





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