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3話 穏やかな日々





 久流流(くるる)は人間が好きだった。

 100年以上を生き、尻尾が二つに割れ(あやかし)と生まれ変わってからも、人間が好きだった。

 元々子猫の頃から、優しいじいさんとばあさんの家で飼われ、人慣れしていた……ということもある。

 けれど久流流が10年どころか20年……30年……50年と生き続けているのを知ると、人々は久流流を不気味な猫だと遠ざけ、迫害するようになった。

 だから妖となって長い時間を過ごす内に、久流流は人間と交流することを諦めた。

 人間は自分とは異質な妖の容貌を恐れ、その異能を忌避する。


 けれどあやだけは、普通の人間とちょっと違った。


 目が見えないせいか、彼女は尻尾が三つに割れている久流流のことを怖がらない。むしろ尻尾の先に炎を灯してやると、それを目印にちょこちょこと雛鳥のようについてくる。

 久流流はその姿を可愛いと思ったし、できるだけ力になってやりたいと思った。



「あやちゃーん、わしゃ今暇しとるんじゃ。他に手伝うことはないかのう?」

「そうですね、じゃあ白狼さん、その辺りのごみを庭に運んで燃やしてもらえませんか?」

「合点じゃ!」

「あやさん、あやさん、私も物を運ぶのは得意ですよ。何せ全身が布ですからね!」

「ありがとう、一反木綿さん。ではそろそろお昼ですから、(くりや)に用意したみんなのお弁当を持ってきてもらえますか?」

「今日の献立は何ですかねー? あやさんの料理はとても美味しいから、みんな楽しみにしていますよ」

「……………」



 けれどあやをあっという間に好きになってしまったのは、何も久流流だけではない。暇を持て余した妖達が、今は我先にとあやの周りに群がっている。

 元々この屋敷に集まっていた妖は、外の世界では他の妖に存在を脅かされるほど弱い者ばかり。それが那岐毘古(なぎひこ)という強い主に、庇護してもらっている形なのだ。

 

 人間には忌み嫌われ、同族の妖とも共存できない。

 けれどそんな落ちこぼれの妖をあやは怖がらず、むしろ優しく接してくれる。

 これで人気が出ないほうが、むしろおかしい。


「こらこらこらーー! おいらに無断であやにくっつくなぁぁ! あやと一番仲がいいのはおいらだぞ! この猫又の久流流様だぞぉぉーー!!」

「また小うるさい猫が何か言ってるわ」

「悔しかったら自分もあやの役に立ってみればいいじゃねーか」

「ふっ! ふーーーーっ!!」


 女郎蜘蛛と小天狗に馬鹿にされ、久流流は全身の毛を逆立てた。

 けれどその会話を聞いて、あやはくすくすと無邪気に笑っている。


「久流流、こっちにおいで。ほら、今日は久流流の好物のおかかごはんを用意したの。そろそろみんなでお昼にしましょう?」

「おかかごはん? やったぁ! おかかごはん!!」


 久流流はたちまち機嫌を直し、(ひさし)に座るあやの膝の上に飛び乗る。

 この特等席だけは誰にも譲れない!とばかりに、ゴロゴロと喉を鳴らした。


(ふふ、可愛い……)


 そしてあやも久流流の背を撫でながら、生まれて初めてと言っていいほど穏やかな日々を過ごしていた。

 あやが那岐毘古(なぎひこ)の屋敷――麗明御殿というらしい――に住み着くようになって、はや一月になる。

 最初はとにかく無我夢中だった。村を追い出されたあやは、ここ以外行く宛てがない。だから広大なお屋敷の掃除も、ひたすら頑張った。あまりに広大過ぎて目眩(めまい)がしたけれど、やがて妖達と仲良くなるにつれ作業も少しずつ捗るようになった。


「ここ東殿と隣の書院殿は大体片付いたよね。あや、そろそろ主のいる北殿の掃除を始めようよ。あそこ、酒壺がたくさん転がってて臭いんだよ」

「そ、そうだね……」


 久流流の提案に、あやは曖昧に微笑んだ。

 屋敷の妖達とは仲良くなれたが、主である那岐毘古とはどうかというと――

 相変わらず同じ屋根の下に住みながら、やや疎遠気味である。


 日中、あやは屋敷の掃除や家事に大忙しだし、夜間は那岐毘古のほうが留守にしている。

 確かめたわけではないが、夜になるとだいだらぼっちに姿が変わるという話は、本当なのだろう。

 そんな那岐毘古のために、あやはまだ夜が明けないうちから必ず温かい朝餉を用意するようにしていた。


(でもなんだかんだ言って、毎食綺麗に平らげてくれるのよね……)


 あやは空になった御膳を片付ける度に、なんだかくすぐったい気分になる。

 普段はほとんど顔を見せず、本当にここに存在しているのかもわからないのに、那岐毘古はあやの作った料理だけは文句を言わず完食する。


 それにしばらくしてから気づいたのだ。

 元々薄暗かった屋敷に、いつの間にか燈篭がたくさん灯されるようになったこと。

 燈篭は廊下の欄干に沿って真っすぐに配置されている。その灯りを頼りに、あやは広い屋敷の中を自由に動き回れるようになったのだ。


 それに一日中掃除に明け暮れてクタクタになった時も、必ずと言っていいほど温かい湯殿が用意されている。

 村にいた時は井戸の水や川で水浴びするくらいしかなかったあやは、湯殿がとても気に入った。全身汗まみれになった体も温かい湯で洗い流せば、驚くほどきれいさっぱりするからだ。


 そしてこんな気遣いをする人物は一人しかいない。

 けれど彼は、あやに何も言わないのだ。


「実はさぁ、おいら(あるじ)があやを屋敷に連れてきた時、あやのことを見初めたかと思ってたんだよねぇ……」

「!」


 お昼を食べた後のんびり休憩していると、不意に何の前触れもなく久流流がとんでもないことを言い出した。あやは啜っていた茶を(むせ)そうになり、どんどんと片手で胸を叩く。


「な、何を言いだすの、久流流。そんなはずないじゃない」

「でも主がこの屋敷におなごを連れてきたのは、本当にあやが初めてなんだよ。ほら、主って人と神のあいの子だけど、どちらにも冷たくされて極度の人間嫌い・神嫌いじゃん?」

「………」


 久流流の言葉に、他の妖も相槌を打つ。


「でもお嫁さんがくれば、主も少しは明るくなるかと思ったんだよ」

「そ、そんなこと…あり得ないよ。あんな美しい方と私が……なんて」

「美しい? 目が見えないのに、あやは主のことを美しいと思うの?」

「うん、目が見えないからこそ……余計にそう思うのかも」


 あやが含羞(はにか)みながら答えると、久流流は嬉しそうにぷるぷると三つの尻尾を揺らした。他の妖達もさっき以上に「うんうん、あやはわかってるねー」と大きく頷いている。


「そっかあ。なんだかあやにそう言ってもらえると嬉しい! でも今は別にあやが主のお嫁さんにならなくてもいいや。あやはみんなのあやだもんね!」

「う、うん……」

「あ、おいら喉が渇いた。お水飲んでくる!」


 久流流は言いたいことだけ言うと、身軽にあやの膝を飛び降りて庭の向こうへと走り去った。そして置いて行かれたあやはと言えば、小天狗曰く『よく熟れたイチジク並み』に顔が真っ赤になっている。


(もう、久流流ってばなんてこと言い出すんだろ………)


 あやは自分の心をかき乱した久流流に内心文句を言いつつも、鼓動が逸る感覚を不快だとは思わなかった。


 むしろ春の日差しの中、道端に小さな花が咲いているのを見つけた時のような……。

 

 こんな心の華やぎは生まれて初めてで、あやはほんの少しだけ――戸惑った。




              ◇◆◇





 弓張り月が雲に隠れ、たまにその姿をあらわすばかりの刻限。

 夜が更ければ更けるほど森林は影と同化する。その中に獣がいて、妖がいて、不思議な生態系を形成している。

 だいだらぼっちもその中の一つだ。

 夜になれば麗明山周りの森と山を徘徊し、天上の神々の物笑いの種になるのが古くからの習わし。


『ほらごらんよ、神と人のあいの子が、また醜い姿を晒しているよ』

『体がでかいだけで、何の役にも立たない木偶(でく)の坊』

『クスクス……クスクス……』


 そんな悪口も、那岐毘古はとうの昔に慣れてしまった。

 自分は他人に嘲笑われるためだけに、こんな醜い姿となる呪いをかけられたのだ。


『那岐毘古、恨むのならお前の父親と母親を恨みなさい。八百万(やおよろず)の神の一柱、この花玉櫛姫命(ハナタマクシヒメ)の怒りを買ったのだからね』


 何百年も昔に、そう色っぽく微笑んだ女神。

 あの女が愛を司る女神だと言うのだからお笑いだ。

 私怨で呪いをかけるのが許されるなら、神は何でもやりたい放題だろう。

 けれど半神半人の中途半端な身では、どうやっても神の呪いに抗うことはできなかった。


(結局俺は死ぬまでこうして……。こうして抜け殻のような時間を延々と過ごすのだろう……)


 憤ることも、悲しむことも、恨むことすら()うに忘れ。

 むしろ早く死という安寧が訪れてくれないか……と。

 人々に怖れられているはずのだいだらぼっちは、一人絶望の淵にいた。

 

 しかしどれだけ終わりを願っても、必ず朝は巡ってくる。

 小鳥の囀る声が金色の太陽が昇る予兆となって。

 上空を渡る風が地平すれすれの雲を吹き散らした瞬間、目の前に見える空の青い部分が一気に広がっていった。

 



















「なんでこんなところで寝ているんだ……」


 那岐毘古が疲れた体を引きずって根城である麗明御殿に戻ると。

 なぜか(くりや)の机に突っ伏して、あやが熟睡していた。

 おそらく早めの朝餉を用意している内に、睡魔に勝てなくて二度寝してしまったのだろう。


 ことこと。ことこと。


 (かまど)からは米の炊けるいい匂いがする。

 けれど火が強すぎて今にも湯が吹きこぼれそうになっていたので、那岐毘古は慌ててしゃもじを手に取った。


「くそ、なんで俺がこんなこと……っ」


 文句を言いながら、那岐毘古は炊けたばかりの米を勢いよくかき混ぜる。

 そういえば最近こうして廚に立つことはほとんどなかった。

 あやが来てからは、彼女の作る上手い料理の世話になりっぱなしだ。


(それにしても、本当に居ついてしまったな、こいつ……)


 竈の火を落とした那岐毘古は、眠るあやの顔をまじまじと見た。

 当初、あやは自分や妖を怖がって、すぐに村に逃げ帰ると踏んでいた。

 けれどあやは怖がるどころか久流流をはじめとする妖とたちまち仲良くなり、この屋敷での生活に馴染んでしまったのだ。


(全く変わった娘だ。初めて会った時もそう思ったが……)


 那岐毘古はあやが眠っているのをいいことに、いつもよりちょっと近くに寄ってみる。

 眠っている内に、自然とほどけたのだろう。いつもは目元を覆っている白い布がはだけて、今は素顔が露わになっている。


(……………。美しい娘だ……)


 那岐毘古は血と同じ色の双眸を細め、あやの容姿をじっくりと観察した。

 もしも盲目でなければ、嫁ぎ先など選り取り見取りだったろう。

 そう確信させるほど、あやの美貌は半神である那岐毘古の目から見ても飛び抜けていた。

 ましてやあやには巫女としての素質もありそうだ。

 これほど美しく才能のある娘ならば、いずれ自分が手を貸さずとも己が進む道を己で見つけ巣立っていくに違いない。


「それまでほんの少しだけだ。ここは仮宿。俺には何も期待するなよ……」


 一人憎まれ口を叩きつつ、那岐毘古は机に並べられた器から漬物を一つつまみ食いする。

 それから北殿に戻る直前、寒そうに眠るあやの肩に毛皮をかけていくのも忘れなかった。







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