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1話 山に住む化け物





 満月の夜は、外に出ちゃあかん


 新月の夜も、外に出ちゃあかん


 化け物がやってくる


 化け物がやってくる


 山のように大きな化け物がお前をぺしゃんこに踏みつぶす


 あれはだいだらぼっち


 醜く、残忍なだいだらぼっち


 命欲しけりゃ隠れてろ


 命欲しけりゃ口噤め


 あれは八百万(やおよろず)の神の怒りを買った愚か者


 とこしえに闇をさまよう愚か者






            ◇◆◇






 青々とした木々が生い茂る麗明山。神霊が宿るとされる気高き山の麓に、滝の沢村はある。

 朝廷が南と北に分かれていた時代。

 西で続く戦とはほぼ無関係の生活を送っていた滝の沢村の住人は、農耕と狩猟を軸に細々と暮らしていた。

 そんな村人が唯一怖れているのは、夜な夜な麗明山付近に出没し、徘徊しているだいだらぼっち。

 だいだらぼっちとは森の樹々よりも頭一つ抜けた背が高い巨人で、全身は真っ黒でどろどろとした何かに覆われている。まさに化け物……と言った風体で、あれはきっと村の周りに出没する物の怪や(あやかし)の首領に違いないと長年噂されていた。

 事実、だいだらぼっちは滝の沢村ができるよりもずっと以前からこの一帯を根城とする化け物で、その存在は忌み嫌われていた。





 その滝の沢村に、一人の少女が父親と共に慎ましく暮らしている。

 少女の名は、あや。

 年は17を少し過ぎている。


 普通ならばとっくに嫁に行き、子供の一人や二人いてもおかしくない年頃だが、あやには他所に嫁げない理由があった。

 それは彼女の両眼を覆う、大きな布が関係している。


 あやは度重なる飢饉で母や兄弟を亡くしていた。

 あや自身もある年に栄養失調のため生死をさまよい、道端の草や木の根を食べて何とか生き永らえたのだが、その代償として視力を失った。


 そして盲目となった娘を誰よりも心配したのが、唯一の家族となった父親・定吉。

 定吉は知っていた。

 あやが亡くなった妻に似て、とても美しい娘であることを。


 しかし視力を失った娘はその美しさ故に村の男達に狙われ、最悪彼らの慰み者になってしまうかもしれない。

 そんな事態を危惧した定吉は、あやの目元が隠れるほどの大きな布を巻きつけ、近所の村人には「この子は目に毒が回り、ひどい容姿をしている」と嘘をついた。

 ――そう、父親の愛が今もあやを周囲の悪意から守っているのだ。







「お(とう)、今日の握り飯、作っといたよ」

「おお、ありがとな」


 そしてあやと定吉は、父娘二人で慎ましい生活を送っている。

 定吉は森に入り、鹿や兎などの森の恵みを狩って生計を立てていた。

 対するあやはほとんど家に引き籠っている状態だが、盲目にも関わらず炊事や洗濯・掃除・裁縫など、家事の一切合切を器用にこなす。

 盲目だという点を除けば、非常に親孝行で心優しい娘だった。







「今日はでかい獲物を仕留めて、おまえに豪勢な鍋でも食べさせてやろうかね」


 ある日、定吉はそう言い残して、いつものように狩りに出た。

 しかしその日に限ってなぜか夜になっても戻らず、あやは心配で久しぶりに家の外へと足を踏み出す。


「お父? どこ? なんで帰ってこないの……?」


 月が中天に差し掛かる時刻、村の中は閑散としていて誰もいない。皆、だいだらぼっちを恐れて家の中に隠れているのだ。


「お父……」


 あやは今にも泣きだしそうな不安を抱えながら、手探りで森の中へと進んでいった。

 一体どれくらい歩いただろう?

 盲目の娘が物の怪や野生の狼が出没する森に入ることが、どれほど危険か。頭ではわかっていたが、それでもあやは足がすり傷だらけになるのにも構わず父を探し続けた。

 そしてしばらくすると、どこからか、




 ずしん、ずしん。




 まるで地震が起きたかのような、大きな振動が森全体を縦に揺らした。

 その音が近づくにつれ、鳥達がギャーギャーと騒ぎ、一斉に夜空へと飛び立つ。


「……光る……山?」


 あやは思わず空を見上げた。

 すでにその瞳に物を映すことは叶わないが、光だけは微かに感じ取れるのだ。


「何か……光ってる……」


 布越しでもわかる淡い光に、あやはしばし見惚れた。

 今夜は満月。

 彼女の至近距離に現れた、光る山の正体とは――




 夜な夜な麗明山の周りを徘徊し、人々に恐れられているだいだらぼっちだった。




 だいだらぼっちの表面は、ぬるぬるとした粘性の物質に覆われている。

 だがそれが満月の光を反射し、盲目のあやには光る巨大な山のように見えたのだ。

 それほどまでだいだらぼっちに接近したのに、あやは自分の危険に気づかない。

 あと少しでも前に進んだら、だいだらぼっちの巨大な足に踏みつぶされてしまうだろう。




「綺麗……」



『………っ!』





 それでもなお。

 あやの口から飛び出したのは恐怖の言葉ではなく、だいだらぼっちの姿を褒めたたえるものだった。


 だいだらぼっちは、足元に突然現れた娘に驚き――

 さらに娘から零れた言葉に、二度驚愕する。


 綺麗?

 自分が?

 そんなはずはない。


 今まで生きてきて数百年、このおぞましい姿を恐れぬ人間など一人もいなかった。


「あや!」

「……っ! お父!?」


 その時、近くの茂みから定吉が娘を助けるために勢いよく飛び出した。

 必死の形相であやを背負い、一目散に逃げだす。


「お父、お父、無事だったんだね。心配したんだよ」

「猪を仕留め損なって、怪我したんだ。それで帰りが遅くなった。お前こそなんでこんなとこにいる!? もう少しでだいだらぼっちに踏み潰されるところだったぞ!!」

「え!? だいだらぼっち!?」


 定吉は娘を叱りながら、全力で滝の沢村まで戻った。

 あやはあやで自分の前にそんな恐ろしい化け物が現れていたなんて思わなくて、今さらながら体が震えだしてしまう。


『………』


 遠ざかる父娘の後ろ姿をだいだらぼっちは追いかけもせず、ただ黙って見過ごしてやった。

 月夜の出会い。

 目に奇妙な布を巻き付けた娘が口にしたたった一言が、あまりにも強烈、且つ鮮烈すぎて。

 本人すら全く予想もしなかった出来事に呆気を取られ、ただ夜闇の中で立ち尽くすことしかできなかった。





               ◇◆◇





 だいだらぼっちとあやが、刹那の邂逅を果たしたその年の――冬。

 滝の沢村が悲劇に見舞われた。

 原因不明の奇病が流行り、多くの村人がバタバタと亡くなったのである。


「お父、お父、しっかりして!」

「あ、あや……」


 そのうちの一人が定吉だった。

 紫色の斑点が全身に広がった定吉は、虫の息になりながらも泣いている娘の頬に手を伸ばす。


「俺がいなくなってもしっかり生きろよ……。おまえは器用な娘だから、目が見えなくてもきっと何とかなる……」

「いやだ……お父! お父!」


 あやはほとんど力が入らなくなった父の手を握りながら泣き叫んだ。

 どうか……どうか仏様、お釈迦様。

 お願いします。何でもします。だからお父を連れて行かないで下さい、と、夜通し神仏に祈った。

 しかしあやの祈りは天に通じなかった。

 翌日、定吉はあっけなく亡くなり、あやは今度こそ天涯孤独になってしまう。

 庇護者を失ったあやに対し、村人達が取った対応は当然ひどく冷たいもので。

 一人で食い扶持も稼げぬあやは、明らかに村のお荷物となってしまった。






 悲劇はまだ続く。

 原因不明の奇病で死者が30人を超えると、村一番の識者である高齢の巫女が『これはだいだらぼっちの呪いである。恐ろしい呪いを解くには、山神様に生贄を捧げる必要がある』と、胡散臭いお告げを持ち出したのだ。


 霊験あらたかな巫女の言うことを疑う者は誰もいない。

 そして山神に捧げる生贄には、当然のように役立たずのあやが選ばれた。


「祓え給い、清め給え、神かむながら守り給い、麗明大権現の御前にて生贄を捧げ給ふ……」


 風が砥石のように冷たく、山の峰を覆う雲が細く棚引く冬の夕暮れ。

 あやは村の男数人に縄で縛られ、麗明山中腹の磐座(いわくら)にまで連れてこられる。

 磐座とは神の御座所。

 神に祈りを捧げる聖なる場所である。


「ほら、ここに座れ!」

「きゃあっ!」


 白装束に身を包んだあやは、大きな岩の上に手荒に放り出された。

 さらにこの場所から逃げ出せぬよう、両手だけではなく両足まで縄で縛られてしまう。


「しかしくま つるせみの いともれとおる ありしふゑ つみひとの のろいとく………」


 不気味な巫女の呪文がこだまする中、あやは自分がここで死ぬのだと覚悟を決めた。

 どうせもう家族も誰もいない。

 目が見えぬ自分が生き永らえたとしても、この先いいことなど一つもないだろう。


「さ、行くぞ」

「早く村に帰らないと、まただいだらぼっちが出てきそうだ」


 生贄を捧げる儀式を終えると、巫女と村の男達は野ざらしの岩の上にあや置き去りにしていった。

 夕空の明度が下がるのと同時に山中の温度も下がっていき、ちらちらと白いものもちらつき始める。


(寒い……。手も足もまるで氷のよう。お父、お母、平八兄ちゃん、さや姉、弥助……。早く私を迎えに来て……)


 そんな中、生贄として磐座に捧げられたあやは、極端な寒さと飢えで、瀕死の状態になっていた。

 目からは涙が溢れだし、絶望の底に足を踏み入れたまま、ガクリと意識を失う。







 ――そして。


 そんなあやの姿を、磐座の上のそのまた上の崖から見下ろす者がいた。


 豪奢な毛皮を肩に巻き、派手な甲冑と小袖を纏った見目麗しい若い男。


 その怜悧な眼差しは美しく、そこはかとない気品を漂わせていた。







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