scene 36
静かな砂漠に、風が再び流れ始める。音が戻り、砂が流れる乾いた音や布が揺れる微かな音が蘇る。
「……さて。行くか、ヤナ君」
「――あぁ。行こう、カイドー」
瞼を上げた海棠は、自分の胸部ほどまでしか身長がない小さなヤナを見、瞳を開いたヤナは小さく微笑んで視線をそらすように俯いた。その小さく細い肩が、ふいに震える。小刻みに身体を揺らすか弱いヤナの姿を、海棠は僅かに目を見開いて憂いを帯びた表情で見つめる。
静かな時間が流れる中、震えるヤナの頬から小さな水の玉が転がり落ちた。雫は太陽の光を反射して煌めきながら落ち、乾いた砂にほんの少しの水分を与えた。
僅かに色濃くなった砂へ視線を落とした後、俯いたままのヤナを見て海棠はふっと笑う。
「何だ? 泣いているのか? 水分は取っておけよ」
おどけた口調でヤナをからかうように海棠は言葉を発する。水が大変貴重になるこの砂の地で、水分を無駄にするようなことはできない。
海棠に茶化されたヤナは、むっとして顔を上げる。その顔は、僅かに赤い。
「うっ、うるせぇ! 砂が目に入っただけだッ」
「ふぅん。そうか」
海棠はにたにたと笑い、ヤナはむすっとしたまま不機嫌そうに海棠を見上げる。
「まぁ、おぬしがそう言うのであればいい。――では。そろそろ出発するぞ。ちゃんとついてくるんだぞ。某は、方向感覚だけはいいんだ」
自信満々に明朗とした声音で発言した海棠を胡散臭げに見つめながらも、ヤナは小さく口元だけで笑う。
「ンじゃオレは、方向感覚に自身があるというカイドーさんに、道は任せるとしよう」
ヤナは海棠へと向けている顔に、晴れ晴れとした笑みを浮かべた。その顔にはもう、涙は欠片も存在していなかった。
ヤナの笑顔を認めた海棠は小さくしかし強く頷き、陽炎を揺らめかせながら漠然と広がる砂漠を歩み始めた。砂につく大きな海棠の足跡を辿りながら、ヤナは海棠の後ろを歩み始める。
「――なぁ、カイドー。さっき〝砂漠の薔薇には――〟って言いかけてた言葉の続きだけどな」
ヤナは前方を行く海棠には聞こえない囁くような小声で、ぽつりともらす。
「実は――砂漠の薔薇には、自分の欲のために使える方法があるんだぜ。カイドー。お前は、それを知ってたか?」
「うん? 何か言ったか?」
ヤナの低く小さな声を僅かに聞き取った海棠は、肩越しに振り返って怪訝そうに問う。
「――いいや。何でもねぇよ。ただの独り言だ」
ヤナは首を振りながら誤魔化し、駆け足で海棠の隣に並んだ。
水分を微塵も感じさせない砂漠。瓦礫があちらこちらに点在するそこに、大きめのものと小さめのものの二組の足が、並んでへこみをつけていた。へこみは風に流される砂によってかき消され、やがて完全に見えなくなる。