scene 8
シャノンがユーフェミアに助けられた日から、五つの夜と五つの朝が過ぎた。
約三日で怪我を完治したシャノンは、休養の床を貸してくれたお礼としてユーフェミアの数日間の護衛をすることと、まだ全快ではない身体の養生を兼ねてしばらくこの屋敷にいることになった。
そんなある白昼のこと。
北向きの暗い木造りの廊下を歩く、二つの人影があった。一人は長い黒髪を結わずにそのまま垂らし、くの一の格好をしている彩乃。もう一人は藍色の男物の袴をはいた、ショートカットの栗毛のシャノン。
「ヒカリの力?」
くの一の格好をしたアルト声の彩乃は、語尾を上げて疑問符をつけながら、横を同じ速度で歩くシャノンに問うた。
「そ。ヒカリの力」
「……って、何だい? それ?」
彩乃の口調は、ユーフェミアと接するときのような仰々しいものではなく、もっと親しい人と接するような砕けた口調だった。
彩乃は言葉を発しながら首を折り曲げて、横のシャノンを下からのぞきこむようにして見た。二人の身長は、どちらかといえば彩乃のほうが高い。シャノンは、平均身長が瑞穂の国より高いアシュリー王国出身なのだから、彩乃より低いということは小柄な体型なのだろう。
シャノンは、彩乃の吸い込まれてしまいそうな漆黒の双眸に近距離で見つめられ、わずかに顔を引き歩調を緩めた。が、彩乃の視線をその碧眼でしっかりと捉えて言葉を続ける。
「簡単に言うとヒカリっていうのは、ボクにしか見えなくてボクにしか扱えない鋭いナイフだ」
「……そりゃ、ちょっと都合が良すぎやしないかい?」
シャノンは緩めていた歩調を元の速さに戻し、彩乃は複雑な表情を浮かべながら顔を引いた。
少年のようにがさつなシャノンは、髪の乱れるのも気にせずに乱暴な手つきで短髪の頭を右手で掻いた。
「っつったって、見えンだから仕様がねぇだろ。ま。そういう特別な力をもっているからこそ、ボクみたいな人のことを〝神の愛娘〟っていうんだろーよ。……あ、もしかしたらボク以外の他の神の愛娘を探せば、同じようにヒカリが見えて扱える人もいるかもしれないな。ま、今のボクが知っているかぎりでは、そういう人はまだいないけど」
そう言ったシャノンは、周りに視線を泳がせた。今も彼女らの周りは、蒼く尾を引くヒカリに囲まれている。それまでシャノンを見つめていた彩乃も、シャノンにつられるようにして周りに視線を行き来させる。
「今もここにも、そこにも、あそこにもヒカリはたくさんいるぜ」
シャノンはヒカリと同じ色をした自分の瞳に見えている、神秘的な蒼いヒカリを指さしながらそう言った。しかし彩乃には、ただシャノンが何もない虚空を指さしているようにしか見えなかった。
「……そんなもの、あたしにゃ全く見えないねぇ」
彩乃はその黒い大きな双眸を細めた。そんなことをしても見えないとわかってはいるのだが。
「そうだろうよ。それで気に病む必要は全くないさ。……で、ヒカリについての説明に戻るぞ」
「あぁ。続けておくれ」
「ヒカリはボクの命令に絶対従うんだ。相手を切れとボクが言えば切るし、殺せと言えば殺す。相手は見えない敵に向かっているわけだから、勝てるはずもない」
「……本当に、すごい力だねぇ」
「あぁ。……別に、ありがたくはないけどな。ヒカリは言わばボクの手の延長だ。ヒカリを使って何かを切るということは、自らの手で相手を切っていることと同じになるんだ。つまり、切った感覚が生々しいくらい手に伝わってくるってことだ。生温かい血も、肉を切り裂く柔らかな感触も、全部が。ヒカリは銃みたいな働きをするけれど、銃ではなく剣だ」
張りのある少年の様な声と、少し年寄りくさい言葉使いの艶を帯びたアルト声が、長い廊下に響き渡る。
「でもその力を使えば、主様をお守りすることも容易いじゃないか。そう考えると、とても便利じゃないかい?」
「ざけンなよ。この力でボクがどれだけ苦しんだと思ってる?」
シャノンは口調も表情も一切乱さずに、言葉を発した。視線は前方に向けられたまま、動かない。
「……ボクは、この力をあまり使いたくはないんだ。まぁ……この力に助けられたことも何回かあるけど、時々ボク自身にも力を抑えられなくなる時があるんだよ」
「…………」
彩乃は、その言葉にふっと口をつぐんだ。シャノンも彩乃に合わせたかのように、口を閉ざす。
沈黙のまま、二人は昼間だというのに闇が降り注ぐ廊下を歩む。ギシギシと、時折廊下が二人の足下で悲鳴を上げる音だけが、嫌に大きく周りに響く。
「……っ」
沈黙に耐えられなくなった彩乃が、何か気のきいた言葉をシャノンにかけようと小さく息をすい、言葉を発っそうとしたときだった。
〝グギュルルル……〟
「うっ」「あ?」
一瞬でシャノンの頬に、朱が広範囲へ広がる。言葉を発するために口を小さく開けていた彩乃はそのまま固まってしまった。自然と、二人の足が止まる。
先ほどより、やや気まずい沈黙が流れる。
「――ハラ、減ったな」
照れ隠しをするような、シャノンのはにかんだ笑みと言葉に、
「プッ。フフフフッ。……あぁ。昼餉がまだだったね。食べに行くかい? クククッ」
沈黙は笑いへと変わった。
……むむぅ。
一話分のタイピングだけで、一時間が潰れてしまう……。
一日一話がぎりぎりッス。
すいません。