scene 35
燃え盛る太陽が、刺し貫くような熱を発する。地へと降り注ぐ日光は、容赦なく人々の身体を焼く。
砂と瓦礫に埋もれる崩壊した砂漠の街。そこに立つ二つの人影は、双方とも黙している。空気はからりと乾いているというのに、何故かその場の空気はじっとりと重みを持っているように感じられた。それは絡みつく汗のせいであるかもしれないが、二人の表情からこの場が緊迫していると感じ取ることができる。
「――ときに、ヤナ君」
二人のうちの一人――フードを目深にかぶり、口元から鼻にかけてを布で覆っている青年、海棠が重苦しい沈黙をあっさりと切り裂いた。
「何だよ」
「某と、旅をしないか?」
先ほどのぴんと張り詰めた糸の様な空気からは想像もできないほど、あっけらかんとした海棠の声に、
「……はっ?」
驚きと戸惑いを入り混じらせた顔で、ヤナは素早く地面から顔を上げていた。海棠の穏やかな光をたたえた黒い瞳と、ヤナの困惑に歪められた鳶色の瞳がぶつかる。
「あぁ。共に旅をするといっても、この砂漠を越えた先にある街までだ。ここにいてもおぬしには、その、住むところがないだろう?」
「まぁ……。そう、だけど」
ヤナは再び視線を砂の上に落とす。鳶色の瞳が、淡く陰りを帯びた様に見えた。
海棠は鋭くヤナの微妙な感情の変化に気がつき、空元気な声で言葉を発する。
「ならば、次の街でおぬしの引き取り手を見つける。まぁ、引き取り手といっても、孤児院になるんだが……。某は、おぬしを引き取る孤児院を探す手伝いをする。どうだ? この提案は」
「どうだって言われても……。その……、ここではもう暮せねぇし、ありがたい申し出だけどよ……。その、カイドーと旅をするんだよな?」
迷っているようなヤナの言葉に、海棠は小さく首を傾けた。その漆黒の瞳は、何故か面白そうに笑っていた。
「何だ? 何か不満か?」
「え……っと……。あぁ! もういい! カイドー。次の街までオレ様の護衛をさせてやる。感謝しろ」
ヤナは頬を薄紅に染めながら、良く言えば威勢よく、悪く言えば偉そうに海棠へ右手の人差し指を突き付けた。
ヤナの上から目線な態度に半ば呆れながらも、海棠は確信するように頷く。
「では某が、しっかりと次の街まで送り届けよう。確か、商業が盛んな豊かな街だったな」
「あぁ。砂漠の商人がよく訪れる街だ」
「そうか。――それからもう一つ。旅を共にする代わりに、砂漠の薔薇を奪った者の情報を教えてもらいたい」
先ほどまで浮かべていた笑みをかき消し、真剣な表情で海棠はヤナへと話を持ちかける。海棠の問いに、ヤナは一瞬眉をよせた。
「え? それは、でも、オレは何もそいつのことなんて知らないぜ?」
「しかしおぬしは、先ほど某と犯人の容姿が違うと言っていたな」
「まぁ、な」
「ということは、おぬしは犯人の容姿をある程度はしっているということだな?」
「まぁ、な」
「それならば、犯人の容姿だけでも教えてもらいたいんだ」
今や海棠の顔には、神妙な表情しか浮かんでいない。
「……それが分かったら、カイドーはどうするんだ?」
「某は、砂漠の薔薇を求めている。おぬしから犯人の容姿を教えてもらい、もしその容姿と合致する者がいたら、某は何としてでもその者から砂漠の薔薇を貰う」
「どうやって?」
「……できるならば、話し合いで解決したいが、無理ならば――力づくで奪うつもりだ」
海棠の瞳が、陰りとも殺意ともつかぬ不気味な闇に覆われる。
低い海棠の声音にヤナは戦慄を感じ、背と頬に冷や汗を流した。
「――ま、カイドーの役に立つならそれでいい。でも、カイドー――死ぬなよ」
「おぬしに心配されるほど、某は弱くないと信じている」
「過信は怪我のもとだって、親父から教わったことがある」
「そうか。忠告をありがとう」
海棠はふっと瞳の闇を和らげ、ヤナに微笑みかける。ヤナは僅かに目を見開いた後、視線をそらすようにしてふいっとそっぽを向いた。
「さっ、さっさと出発するぞ。早くしねぇと昼間になっちまう」
「あぁ。……ヤナ君。本当に、これて良いのだな」
唐突に神妙な声を上げた海棠に、ヤナはきょとんと視線を返す。
「良いのかって……何が?」
訝しげに問うヤナに対し、海棠は気落ちするようにして肩を落とした。
「ここを離れ、次の街へ移り住むことが、だ。少しも迷いはないのかと、某は言いたいんだ」
ヤナはあぁと手を打ち、あっさりと言う。
「ンなことかよ」
「ンなことって、おぬし」
「オレはもう、ここに未練なんざねーよ。確かに今まで住んできた街を離れるのは辛いし、自分だけ生き残ったって事実は、なかなか受け止められるようなもンじゃねぇよ。けどさ……せっかく、生き延びたんだ。オレだけでも生きてかなきゃ、死んじまったみんなに叱られちまうよ。だから――生きるためにオレはここを離れる」
小さな子供のものとは思えない、ゆるぎない決意と悲壮をたたえた立派な瞳。煌めく鳶色の瞳に真っすぐ見つめられている海棠は、ふいににっと笑いヤナの髪をターバンごと乱暴とも思える手つきでかき回した。
「ぎゃっ! 何すんだよッ!」
「ははっ。小さき愉快な子よ。その決意、某は気に入ったぞ。おぬしは――某の妹の瞳に、とても似ている」
ヤナは少々不機嫌そうに、しかしほんの少し喜色を灯してクスリと笑い短い小豆色の髪の上からターバンを巻きなおした。
海棠は微笑んだまま、ふいに瞼を下ろすと布越しに時間をかけて大きく息を吸った。乾いた熱い空気が、海棠の肺を満たす。微かな音をせわしなく立てながらフードは風に揺れ、痛いほどの日差しが砂漠に降り注ぐ。
しばらく瞳を閉じたまま、海棠は荒涼とした街へ黙祷をささげる。ヤナは僅かに頭を下げている海棠を見習って、自分も同じように瞼を閉じた。
沈黙の時が緩やかに流れる。風と砂の流れる音に満たされている、崩壊した街。太陽はくっきりと濃い影を、砂の上に作り上げていた。
その時、ふいにすべての音が止んだ。先ほどまで流れていた風さえも沈黙する。
――それはまるで、街が風が砂がすべてのものがこの惨事を憂い、瓦礫の街へ黙祷を捧げているかのようだった。






