scene 32
虚しくも鋭く反響する幼い子供の声。血に染まった大聖堂の中に、高音の声が満ちる。それはやがて、吸い込まれるようにして消えた。
声を発した者は、唐突に長椅子の影から飛び出してきた一人の子供だった。小豆色の短髪を覆うようにターバンを巻き、褐色の肌と鳶色の瞳を持ち、白い布を纏うような形のいかにも砂漠の住民といった服装をしている。
子供らしい高い声をしたその子供は――
両手で、一丁の銃を握っていた。
銀色のバレルと木製のストックでできた、子供が持つには大きい銃を砂漠の民の子供は重たそうに両手で持ち上げるようにして持っている。銃口の狙いは、手が不安定に揺れるため上手く定まっていない。
「言っとくけどな、兄ちゃん。オレを、甘く見んじゃねぇぞ! 銃だって、初めて撃つわけじゃ、ないんだからな! オレは男なんだから、銃だって、撃ったことくらいあるんだ!」
子供は、銃を持つ両手と身体を支える二本の足をあからさまに揺らす。銃口は海棠を捉えたり捉えなかったりしているというのに、すでにその右手の人差し指は引き金へとかけられていた。
初心者丸出しの子供は、しかし視線を海棠から外そうとはせず、子供にしては厳めしい表情ででガンを飛ばす。
「……少年。悪い冗談はやめろ。銃は初心者が持つものではない」
「うるせぇ! オレは、初心者なんかじゃ、ない!」
子供は叫び声を上げ、その小さな身体に力がこもる。刹那、子供も気づかぬ間に自然と力が入っていた指が引き金を引き、銃口が火を吹く。
空気を揺るがすような銃声が大聖堂の中に放たれ、子供の叫び声をかき消した。短いはずの銃声が、長く長く尾を引く。その音に重なるようにして、激しい破壊音があたりを包み込む。
完璧な静寂がなかなか訪れない大聖堂の中、
「……っと、危ないなぁ」
緊張感が僅かに欠けているような、蓬の声の響きに似た海棠の声が上がる。声は穏やかさを含んではいたものの、その顔は真剣そのものだった。目は恐怖と焦燥に似た感情をうつしており、顔はこわばっている。その表情を消さぬまま、銃口に狙われていた無傷の青年は肩越しに後ろを振り返る。
子供が放った弾丸は的である海棠から大きく反れ、大聖堂の白壁に新たに傷を生みだしていた。弾丸は硬い石の壁をいとも容易く破壊し、煙を巻き上げる貫通した穴をあけていた。煙の向こうで、壁の穴越しに砂漠の砂が垣間見える。
海棠は表情をいくらか和らげると、感嘆の口笛を小さく鳴らした。
「凄まじい破壊力だな。ということは……」
海棠は顔を反転させて正面に向き直り、やはりな、と呟く。
「っ……」
海棠の視線の先には、目を丸くしたまま銃を持った子供が赤い絨毯の上に尻もちをついていた。銃口からは、火薬のにおいを巻き上げる白い硝煙が立ち上っている。
「反動も、大きいだろうな。しかも先ほどの発砲は予期せぬことときた。ま、狙いが定まらないうちから引き金に指をかけていたのだから、仕方のないことか」
海棠は淡々と言葉を紡ぎ、信じられないという風に己の手の中にある銃をまじまじと見つめる子供へ一歩近寄る。
「少年。大丈夫か?」
ポカンと口を開けていた子供は、はっと口を引き締める。
「うっ、うるさい! お前なんかに、心配なんてされたくないんだよッ。手前なんか、死んじまえばいいんだッ。糞ったれ!」
罵詈雑言の数々を並びたてる子供に、海棠は呆れたような眼差しを向ける。
「ひどい言い草だな。人を突然撃っておいて、その言い方はなんだ? 某は何もしていないだろう?」
「とぼけるな!」
子供は銃を手にしたまま、素早く立ち上がる。立ち上がった瞬間に足をふらりと揺らしたが、しっかりと床の上に立っている。子供は重いであろうに右手だけで銃を握ると、それを闇雲に振り回しながら海棠に訴え始めた。
「お前が、街をメチャクチャにしたんだろッ! オレは見たんだからな! お前は魔術師で、魔術の力を使って、街を壊したんだろッ!」
銃を振り回しているのではなく、銃に振り回されているようにさえ見える子供に、海棠は真剣な眼差しを向ける。
「――少年。早とちりをするな。某が魔術師だということは認めるが、某は街を壊してなどいない」
「五月蠅い! 五月蠅い! 黙れッ! オレは見たんだ! 若い男がこの街を大きな爆発で壊して、砂漠の薔薇を奪ったのを!」
子供の必死な発言に、海棠は双眸を見開く。
「少年! おぬしは、砂漠の薔薇の盗み主を見たんだな?」
「五月蠅い! それがお前なんだろッ!」
「違う。某は、街の破壊や爆発などといったことに魔術を使ったりはしない!」
海棠は焦るように言葉を素早く発する。
明らかに苛立ちを見せ始めた子供は唸るように叫び、銃をしっかりと両手で握りなおした。
「ふざけンなぁ――!」
銃口が、海棠を捉える。黒々とした目のような銃口に射竦められた海棠は、両目を見開いたまま息をのむ。
言葉になっていない叫びを上げながら、子供の指が意図的に引き金を引く。海棠を捉えている銃口は唸りを上げ、硝煙とともに弾丸を撃ちだす。金の空薬莢が不気味に閃きながらはじけ飛び、銃を握る子供の腕が反動によって大きく上へと跳ね上がる。小さな身体はそのまま後ろへと倒れそうになりつつも、数歩たたらを踏んだだけで尻もちをつきはしなかった。
「――っ痛」
海棠は顔を歪め、焼けるような痛みに裂かれた右頬を、反射的に右手で抑える。頬を抑える右手の指に、どろりとした生温かい感触を感じる。頬に触れされていた右手をすぐに離し、目の前へと移動させる。
「やはり、か。少し頬を掠めていったな」
頬を抑えていた右手は、真っ赤な鮮血で汚れていた。
銃を持った子供は、真紅に染まった海棠の頬と右手を見ると息が詰まったかのように呼吸を中断した。戸惑いに瞠られた鳶色の瞳を見る限り、不気味なほど鮮やかな真紅の血に怖気づいているらしい。
「全く。後で手当てをしなければならないな」
海棠は右手を口元まで持ってくると、そこに付いた血を真っ赤な舌で舐めた。口の中に、錆び臭い鉄の味が広がる。
銃口を下へと向け、おろおろと視線を彷徨わせている子供を見すえると、海棠は厳しい眼光で子供を睨みつけた。
「少年。おぬしは、こんなことがしたいのか?」
瞳とは裏腹に、声は以外にも落ち着いている。海棠の唐突な問いに顔を上げた子供は、一瞬で海棠の眼光に射られ言葉を失った。