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砂漠の薔薇  作者: 望月満
act 2 夜半の月、砂上の旅
83/110

scene 29

 桜の薄紅色が、五人と一体を包み込む。皆の髪が様々な動きで、風になびく。

 さらりと流れる桜の花弁。ユーフェミアを気にしながらも、少しでも彩乃との距離を縮めるために美桜は前へ歩み出す。美桜と彩乃の間に幾枚もの花弁が流れ、二人の距離が二メートルほどにまで狭まった後、

「――彩乃さん」

 美桜は静かに彩乃へ視線を向けた。その視線は決して厳しく鋭いものではなく、優しさに似た柔らかさを浮かべながらも、深い憂いを帯びたものだった。

 彩乃は物悲しげな美桜の瞳と沈んだ口調に何か不穏なものを感じ取りながらも、まっすぐに怯むことなくその視線を受け止める。

「――何だい?」

「守り手となる代わり、貴女は大切なものを一つ、犠牲にしなければならないのです」

「犠、牲……?」

 彩乃は、訝しげに首をかしげる。心拍数は不安によって僅かに上げられており、その頬は朱を失っている。

 美桜は入江家を訪問して来た時とは一変して、強気で冷酷な雰囲気をすっかり失っていた。今その身体に纏っているのは、憂いばかりが色濃く染み出している雰囲気。しかし、その雰囲気を美桜が纏おうとも、不自然でアンバランスだとは思えなかった。むしろ、暗いその雰囲気はぴたりとあっている。それはまるで、美桜が最初に纏っていた強気で冷酷な雰囲気はただの偽物であったかのように。本当に纏うべき雰囲気は、この陰鬱なものであるかのように。

 静かに言葉を発する美桜は、ゆっくりと頷く。

「はい。それは――主様、月倉ユーフェミア様との、友人関係です」

 彩乃の眉間が、深く皺を刻む。「え……?」という疑問の声が、彩乃の口からふいにこぼれ落ちる。

 彩乃の戸惑いをそのままに、美桜は言葉を紡ぎ続ける。

「守り主と守り手は、あくまで(あるじ)(しもべ)。その二人の間に、友情があってはなりません。友情、愛情……。そういった類の感情は、咄嗟の冷静な判断力に一瞬の迷いを生み出す可能性があります。迷いは、最大の敵です。どんなに些細な迷いであろうとも、それは変わりません。――守り手は、守り主を友人としてではなく主として接さねばならないのです」

「――ってことは、つまり……あたしとゆうちゃんは……友達で、居ちゃいけないって、ことなのかい……?」

 彩乃の声は掠れ、意気消沈したかのように力がなかった。彩乃の瞳を見つめる美桜は、目の前に立つ少女の瞳から明るい光が少しずつ失われていくことを知りながら、残酷にも小さく頷く。

 美桜の返答に、彩乃の瞳は悲しみに沈む。明るく宿っていた光の代わりに、悲しげな悲哀に満ちた暗く重い色が瞳を満たし、しかし決意を秘めたような鋭い光だけは失われずに灯り続けていた。

「――そうかい」

 以外にも落ち着いた声音で、彩乃は静かに答える。その視線は下へと、地面へと落とされる。

 切っ先が僅かに地面に刺さっている、右手でしっかりと握っている刀を、彩乃はそっと地面から抜いた。血に濡れた白刃は、太陽の光を浴びて美しく怪しく閃く。彩乃は黙って顔を俯けたまま、すぐ隣に立つ白胡へと横向きにして握った刀を差し出した。碧眼を持つアンドロイドは、彩乃を心配げに見つめながらも刀を受け取り、彩乃の体温がまだ残る柄を血の通わない冷たい手の平で握る。

「――ユーフェミア様の一番近くに居た者として、ユーフェミア様、海棠さん、彩乃さんの三人の友情を断ち切らなければ、ユーフェミア様が守り主になった時、三人ともが不幸になるということは分かっていたことでした。だから冷たい態度を装い、三人の友情を否定するようなことをしたというのに……。やはり、彩乃さんは、守り手になるべきではないのかもしれません――」

 美桜の口から語られる真実に、彩乃はしっかりと首を振った。

「いいや――。あたしは――」

 中途半端に言葉を切る彩乃。その視線はやはり地面へと注がれたまま、上がりはしない。

「…………」

 海棠が心配げに見つめる中、彩乃はゆっくりと前へ踏み出した。その足取りは確かなもので、躊躇いは微塵も感じられない。ただしっかりと、前へ――ユーフェミアの方へと踏み出される。

 美桜の隣を俯いたまま彩乃は通り過ぎ、その身体はユーフェミアへと近付いていく。

 桜と風を纏いながら、彩乃は桜の木のそばに立ちつくしているユーフェミアの一メートル手前まで歩み寄った。彩乃はそのまま顔も上げずにゆっくりと前方へ身体を傾け、そして――静かに膝を折ると、ユーフェミアへと跪き、深々と頭を下げた。

「……我が命をかけて、私は貴女をお守りいたします。――主様」

「…………」

 ユーフェミアは絶望したかのように顔を歪める。

 しばらく沈黙を続けていたが、やがて重たげに口を開き「はい――」と掠れた声で、短く小さな返事をした。

 何の喧騒もない、虚しいほど広い田畑と山だけが広がる静かな田舎。舗装もされていない道や畦道が伸び、畑のそばに藁ぶき屋根の家々がぽつぽつと建つ。

 春風と薄紅桜の花弁に包まれている景色の中、沈黙の人々が一件の家の前で立ちつくしていた。

 その重苦しい沈黙を破るようにして、一匹の雲雀(ひばり)が甲高い鳴き声を上げながら、遥かな蒼穹へと向けて高く高く飛び上がった。



     *     *     *



 その後、ユーフェミアと服を着替えた彩乃は秘宝を守っているという屋敷へと旅立ち、美桜さんは中心都市へと帰り、(それがし)は砂漠の薔薇を求めて旅立った。

 これが本当にハッピーエンドだったのかは、誰にも分からない。彩乃にとって、ユーフェミアを守れることは幸せなことであろうが、その願いを叶えるために彩乃はユーフェミアとの友情という大きな代償を払うこととなった。

 ユーフェミアを守るはずであった美桜さんはその任務を失い、今は何処で何をしているのか某には分からない。

 他人の気持ちは、結局他人には分からないものだ。某には彩乃の気持ちも、ユーフェミアの気持ちも、美桜さんの気持ちも分かりはしない。逆に、某の気持ちは誰にも分からないことだ。

 しかし――一つだけ、分かることがある。それは――

 某は、彩乃のために旅立ったことを少しも後悔していない、ということだ。


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