scene 24
沈黙。
そこに立つすべての人たちは口を閉ざし、決して開こうとはしない。同じく、身動きも皆しようとはしなかった。
「ククッ。懸命な判断だな。そこから一歩でも動くと、この女の首が瞬時に飛ぶと思え」
ユーフェミアを抑えつけている者は、己の前にひれ伏す者たちを見下すような下卑た笑い声を上げる。その顔はさも愉快だと言わんばかりに歪む。
その者は、真っ黒な服を纏い真っ黒な髪と瞳を持つ、大体二十から三十歳ほどに見える女性だった。
「ほう……。なかなか美人じゃないか」
この緊迫した空気に満ちた場には大変不釣り合いな、緊張の欠片もない呑気な声を蓬は上げた。
「父様。今はそのようなことを言っている場合では――」
「そこ! 五月蠅いよ」
海棠が上げた叱りつけるような呆れたような声は、女性の鋭い声に途中で抹殺された。
海棠も蓬も、瞬時に口をつぐむ。海棠の瞳には焦りが浮かぶが、蓬の瞳には事のすべての成り行きを見とおしているかのような、ひどく落ち着いた色がうかがえた。
しばしの沈黙が再び人々にまとわりつく。風はこんな張りつめた空気の中でも、先ほどと何ら変わりなく桜の花弁を運び続ける。
「――なぁ。そこの美人のお姉さん。ちょっといいかな?」
「父様」
海棠が呆れたようにため息をつきながら蓬を見、蓬は横目で海棠へ何か意味深な視線を投げた。海棠はその意味を汲み取ってか、蓬に気を取られている女性に気付かれぬよう、そっと両手を背中へとまわした。
女性は奇妙なものを見る目つきで蓬を見る。
「何だ。お前、この状況が分かっているのか?」
女性はユーフェミアの腹部に巻きつけている左腕に力を込める。右手に握られた煌めくくないは、さらにユーフェミアの喉に近づき、僅かに白い肌へ食い込んだ。あまりの恐怖に、ユーフェミアは喘ぐような息をする。
「あぁ。分かっているさ。悲しいことにね。で、聞きたいことがあるんだが」
「この場でお前に発言の権利があると思っているのか?」
「発言に権利なんてものはもとから存在しないよ。で、美人のお姉さん」
「…………。――何だ」
女性は諦めたように、小馬鹿にするように、呆れたように鼻で小さな息をついた。
――どうやら〝美人〟というところは否定しないらしい。
「君は、何故ユーフェミアちゃんを狙うんだ?」
「はっ。私を馬鹿にしているのか。こいつが、秘宝の守り主だからに決まっているだろう。こいつを殺せば、秘宝を奪うのは簡単になる。秘宝を守っている結界が容易く崩れる――」
女性は何を感じてか、はっと言葉を止め、そして、
ユーフェミアもろとも、姿をその場から霧にように消し去った。
刹那。海棠が素早い動きで正面へ左手を突き出し、それまで女性が立っていた場所に、高温の蒼い炎が巨大な火柱を形成した。
「くそっ!」
「おっ」
「っ――」
「はっ……!」
海棠は悔しげに顔を歪めながら女性に直撃するはずであった炎を見、蓬は感心したような声を上げ、美桜は息をのみ、側に立つ白胡へ何か耳打ちをしていた彩乃は瞬時に目を見開いた。
「バレてしまったか」
左手を前方へ突き出している海棠は、小さく舌打ちをしながら手を下げる。その左手の平には小刀で描いたのか、真っ赤な血でできた炎の魔方陣があった。
「うーん。上手いと思ったんだけどね。あの魔術なら的だけを焼けたのに。――未来は、簡単には変わらないってことか」
蓬は唸るように言い、鋭い眼差しで徐々に弱まっている炎を見る。
その場にいる全員がそれぞれの思いを胸に秘める中、
「はっ。甘いんだよ。その男と私が会話している隙に、そこの魔術師があたしを狙ったんだろう?」
何処からか、ふいに皆の前から姿を消した女性の声が響いた。女性とユーフェミアを除く四名がほぼ同時に、全員の後方にある桜の木の方を見やる。
全員の視線が注がれる桜の木の下には、やはり先ほどと同じ体勢の女性とユーフェミアが立っていた。
「おい、そこの魔術師。動いたってことは、この女がどうなってもいいってことだな」
女性は心底面白いという風に口の端をニィっと大きく釣り上げ、ユーフェミアの喉にくないを強く食い込ませる。くないの刃はいとも簡単にユーフェミアのまっ白な肌を切り、身震いをしてしまうほど不気味な真紅の雫を滴らせた。
「畜生ッ!」
海棠は自分の仕出かしてしまったことに悪態をつき、血が溢れるのもかまわずに左手を強く握りしめた。その指の隙間から、鮮血が痛々しいほど大量に流れ落ちる。
「――海棠! もう構いませんッ。私は――。私は――!」
ユーフェミアが蒼白の顔で必死に叫ぶ。その瞳からは美しいと思えるほど透明な涙がこぼれ、頬を伝う。
恐怖と悲しみに震えるユーフェミアを見つめながら、海棠は瞋恚の焔を瞳にたぎらせ、美桜は己の不甲斐なさと憤りと悔しさに唇を強く噛み、蓬はただ静かに女性とユーフェミアを見つめ、彩乃は――
「ふっ。ふふふっ。あははははははっ! はははははははっ!!」
本当に楽しそうに、おなかを抱えながら狂ったように笑いだした。