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砂漠の薔薇  作者: 望月満
act 2 夜半の月、砂上の旅
77/110

scene 23

 彩乃の手の上から、美桜の足が引かれる。相変わらず冷酷とも思える無感情な瞳で、美桜は彩乃を見る。彩乃は顔に影を落としたまま、頭を上げようとはしない。

「彩乃……」

 周りに漂う冷たい沈黙を断ち切るようにして、海棠が悲しげに妹の名を呼んだ。静謐な闇のように美しい漆黒の瞳が、ふいに陰りを帯びる。

 海棠は視線を伏せている彩乃のそばへと駆け寄ろうと足を一歩踏み出し、

「っ……」

 刹那にそれを止めてしまっていた。海棠は信じられないという風に息をのみ、双眸を大きく見開く。

 彩乃が、上半身を起こし、顔を上げたのだ。――その顔に、恐いほど綺麗な笑みを浮かべて。

「美桜。ありがとうね。うん。あたしも甘かったよ。秘宝の守り手に勝負を挑むなんて。こんな姿、剣術の師匠に見られたら、きっと怒鳴られるね。ははっ……。まったく――あたし、恥ずかしすぎだよ」

 彩乃は立ち上がりながら、元気とさえ思える口調で言った。ただ、その言葉が終わりに近づくほど、その声はだんだんと小さくなっていた。

 両足をしっかりと地面につけ、地に倒れていた彩乃は再び立ち上がる。しかしその瞳は誰も見ようとはせず、立ち上がった瞬間に視線を皆からそらすようにして彩乃は空を仰いだ。それは――

 まるで、涙がこぼれるのを防いでいるかのようにも見えた。

 全員が静寂を守る中、彩乃は雲ひとつない青空を見つめながら口から大きく息を吸った。

「――本当に、自分が、なさけないね」

 吸った息をすべて吐き出すかのように、天空を仰ぐ少女は大きなため息をつくように言葉を吐き出した。そんな表情の見えない彩乃の顔を、美桜は双眸を細めて静かに見つめる。

「…………」

 海棠は足を一歩前へ出したままの体勢で、憂いを帯びている彩乃を沈んだ面持ちで見つめる。彩乃は視線を空から土色に汚れた自分の服へと落とし、「あーあ。服が土で台無しだよ。まったく……」と意図的に大きくしているとしか思えない音量の声で言い、身体中についた土を力任せに手の平で強く(はた)きはじめた。

 しかし、彩乃を見つめる海棠はあること(・・・・)をちゃんと見ていた。

 ――彩乃が身体を叩く動作の一部と見せかけて、時折目元をこっそりと手で拭っていることを。

「くそっ。なかなか土の汚れって落ちないね……」

 悪態を付きながら彩乃は懸命に身体中を叩き、そして、

「貴殿は馬鹿ですか」

 ふいに、美桜に声をかけられた。

 彩乃からもうもうと土煙りが上がっているというのに、何故か美桜は彩乃のそばから遠ざかってはいなかった。

「貴殿は、弱いうえに馬鹿で阿呆なのですね」

「…………」

 美桜の冷静とも冷淡ともとれる声に彩乃は一切返答せず、ただただ黙々と身体をはたき続ける。まるで、それをすることしかできないかのようにただただ、淡々と。

「――泣きたいときは泣けばいいんです。それを我慢している貴殿は、勝負で負けるより数千倍も情けないですよ」

 美桜の言葉に、彩乃は黙したまま服から美桜へと視線を移す。美桜へと向けられたその瞳には、何の感情も浮かんでいなかった。

「やだね。あたしゃ、泣いてなんかないさ。泣くなんて、弱い者がすることだよ」

「そういう強がりなところが、情けないと言っているのです。それに――泣くことは弱いこととイコールではありません。泣いた分だけ、人は強くなるといいます。泣くほどの辛い経験や悲しみを強さに変えていける者。その者こそ、本当に強い者です。泣くことさえできないものは――最初から、強くなどなれません」

 美桜は真っすぐに彩乃を見すえ、相手を諭すかのように言葉を紡いだ。彩乃は美桜のあまりに真っすぐな瞳から逃げるようにして視線を右の地面へと落とし、そこに自分の木刀が取り残されるようにして落ちていることに気がついた。

 彩乃はゆっくりとかがんで木刀を拾い上げた。木刀は彩乃ほどは汚れていなかったにせよ、僅かに土を纏っていた。握る柄の部分には彩乃のものか、僅かに赤い血のシミがついている。

 彩乃は木刀を土を軽く払い、右手で柄を強く握り締める。その瞳に浮かぶ強い決意は今や半分ほどを憂いに占領されており、決意の光は僅かに弱くなっていた。

 彩乃は木刀を握ったまま立ち上がり、振り返って美桜の方へ木刀を握る右手をのばす。

「ほら。返すよ」

「帰すのであれば私ではなく、あちらにいる白胡(はっこ)――クリーム色と碧眼の少女に渡してください」

「白胡?」

 彩乃は美桜の指し示す家のそばに置かれた駕籠(かご)の方向へ、訝しげに視線を送る。と、そこには先ほど美桜が木刀を受け取っていたクリーム色の髪の少女が、にっこりと可愛らしい微笑みを浮かべて立っていた。

「……?」

 彩乃と同じく、美桜の指先を追って白胡を見た海棠は、小首をかしげた。

 駕籠のそばに立つ少女――白胡からは、人間の持つ独特な気の流れと生きている者の温もりを感じられなかったのだ。

「あの子は、何なんだい? 何のためにいるんだい」

 海棠とは違う意味で疑問を持った彩乃は、美桜へ(たず)ねる。美桜は白胡を指したまま、口を開く。

「白胡は、主様の身の回りのお世話をする〝アンドロイド〟です」

「へぇ。人造人間(アンドロイド)なのかい」

 彩乃は珍しそうに、好奇心がわいたかのように僅かな喜色を含んだ声を上げる。

「あぁ。なるほどな」

 海棠は二人の話を耳にし、彼女(はっこ)に気の流れと生きた者の温もりを感じられなかったことに独りで納得した。

 彩乃は数メートルほど先に独りでたたんでいる白胡のそばへと歩み寄り、丁寧に木刀を両手で差し出した。

「白胡、と言ったね。ゆうちゃんを、頼むよ」

「分かッタ、アルよ」

 白胡は歪な言葉を使いながら、ロボットとは思えない滑らかな動きで木刀を彩乃から受け取った。

 白胡へと木刀を返したとき、彩乃の手が僅かに白胡の手に当たった。白胡の手は、驚くほど冷たかった。が、肌の質は驚くほど人間に近く、柔らかな弾力を持っていた。

 木刀を確かに白胡へと返却した彩乃は、家の玄関前に立つ蓬と海棠とユーフェミアの顔を、しっかりと真っすぐに見つめた。その瞳は僅かに憂いを含んでいたものの、清々しいほど綺麗な光を浮かべていた。彩乃は口元をほころばせ、

「――ゆうちゃん!」

 悲鳴に近いその声とともに、一瞬で笑顔を凍りつかせた。

 彩乃の声に反応した海棠が驚いてユーフェミアを振り返るのと、美桜がしまったという風に届くはずもない手をユーフェミアへ虚しく伸ばすのと、ユーフェミアが「え?」と疑問を口にするのが同時だった。

 次の瞬間、

「きゃあぁぁぁッ!!」

 ユーフェミアが甲高い悲鳴を上げた。何故なら、

「皆、そこを動くなっ!」

 突如として自分の背後に現れた者に、捕えられたのだから。

 ユーフェミアの後ろに現れた者はユーフェミアの腹部に左腕を巻きつけ、白く今にも折れてしまいそうなほど細い首に鋭いくないを突きつけていた。

 太陽の光を反射して怪しく閃くくないを見た海棠は目を見開いて動きを止め、蓬は楽しいという感情を無理やり押し殺して不自然な険しい表情を浮かべ、美桜は歯が鈍くきしむほど強く歯を噛み、彩乃はユーフェミアを捕えている者を鋭い眼光で睨み据える。その瞳には――強い決意が再び、強い光を放とうとしていた。

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