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砂漠の薔薇  作者: 望月満
act 2 夜半の月、砂上の旅
74/110

scene 20

 神妙な面持ちを崩さぬまま、蓬は落ち着いた声を上げる。

「海棠。いつであれどんなときであれ、進む道を決めるのはその道を進む人間自身だ。彩乃の道は、彩乃が決める。――その道に干渉する権利は誰にもない」

「し、しかし……」

「しかし、はナシだ。他人の人生を妨害したり、反対したりすることはたとえ家族であろうと許されない行為だ。ただ人生を干渉してよい唯一の例外は、その人物が己の選んだ人生を進むことで人様の迷惑になってしまう場合だけだ」

「…………」

 海棠は苦しげに胸を上下させて空気を飲み込む。蓬は冷静な表情を崩さないまま、海棠の悔しげで悲しげな表情を静かに見つめる。

「――海棠。〝砂漠の薔薇〟の決まりを、お前は知っているか?」

 蓬は一瞬、その黒い瞳を閃かせる。

 身体のあちこちに血がこびり付いてしまっている彩乃は何故こんな時にそんなものの話が出てくるのかと首をかしげる。背後から吹いてくる風に蜜色の髪を揺らしているユーフェミアは、自分しか知らない大切な秘密がバレてしまったかのように、ぎくりと身体を震わせる。ユーフェミアのそばで腕を組んで立つ美桜は、視線だけを蓬に向けると双眸を刃のように鋭く細める。床に膝をついている海棠は、すっと息をのむ。

「……私欲のために行使してはいけないことと、死者の蘇生を望んではいけないこと、だ」

 海棠の神剣な答えに、蓬は満足そうに大きく頷く。

「その通り。他人の人生についても、その決まりと同じようなものだ。私欲のために、他人の人生についてあれこれ指図してはいけない。海棠。お前なら、そのことをよく分かっているはずだ」

「…………」

 海棠は何ともいえぬ苦々しげな表情で俯き、真っ赤に汚れている木の床を凝視した。木と木の板の境目に血が入り込み、その隙間を流れた血が小さな赤い川を作り上げている。

「父上……」

 彩乃は海棠を見つめる父の方を向き、何と感謝の気持ちを述べたら良いものかと思案するような、父に自分の考えが認めてもらえたことが嬉しくてたまらないというような、複雑な表情を浮かべていた。蓬は小さく笑って自分を見る彩乃へ視線を向け、童顔に屈託のない微笑みを浮かべた。

「――それに、彩乃の病は海棠が治すんだろう?」

 蓬の言葉に、ぱっと海棠は床から視線を上げ、視線だけをこちらへ向けている玄関わきの父を見た。

「えっ……? 兄者。そんなこと、あたしゃ聞いてないよ?」

 彩乃は眉をひそめ、首を九十度回転させて海棠を見た。海棠は子供くさい笑顔の父を見ながら、うっすらと口を開く。

「あぁ……。そうだ。そうだ、な……。某が、彩乃の病を治すと決めたのだったな――」

 海棠は足腰に力を込めてゆっくり立ち上がると、幼いながらもしっかりと父としての威厳をもつ蓬の顔を見すえる。

 思い起こせば、夜半に海棠が旅立つと報告した時も、蓬は最終的に海棠を止めはしなかった。もし蓬が海棠の旅に反対していたとしても、海棠が旅に出ただろう。

 ――今の彩乃の心境も、それと同じなのだ。

「…………。分かった。彩乃、某も――おぬしを止めはしない」

 海棠は身体を横へと向け、彩乃に正面から向かい合った。彩乃へと向き直った海棠の顔には――

 彩乃を祝福するかのような、柔らかい笑みが浮かんでいた。

「兄者――。ありがとう……」

 彩乃は顔を明るく染め、深々と腰を折った。

「いや。いいんだ。その代わり、しっかりユーフェミアを守るんだぞ」

 海棠は少し身を乗り出して、彩乃の左肩を右手で一度だけそっとたたいた。彩乃はしばらく頭を下げていたが、やがて下ろしたままの漆黒の長髪を揺らしながら顔を上げ、口がきけないかのようにこくこくと大きく頷いて返答をした。

 二人を見つめる蓬は僅かに双眸を細め、

「海棠。彩乃」

 二人の名を、ゆっくりとしっかりと呼ぶ。名を呼ばれた二人は同時に、同じ黒曜石のように美しい双眸を父に向けた。

 蓬は自分と同じ二人の黒い瞳を見つめながら、口を開く。

「私は、お前たちの行動を止めはしない。しかし、その魂と肉体はこの世に一つしかないということを忘れるな。そして――後悔をするような生き方だけはしてはいけない。いつだって自分を信じ、自分に恥じぬ人生を歩め」

「あぁ」

「分かってるよ」

 海棠は真っすぐな瞳で蓬を見、彩乃は炎を灯しているかのように明るい瞳で蓬を見る。

 真っすぐな瞳をしたまま、海棠は彩乃へと向き直る。彩乃も海棠の行動を眼の端で捉え、自分よりもかなり背が高い海棠へと向き直る。

「大丈夫だ。――彩乃なら、絶対にできる」

 海棠は彩乃を励ますようににっこりと笑った。

 彩乃は海棠の顔を見て再び強く頷くと、黒い瞳に瞼を下ろしながら一度だけ大きく息を吸った。

 漆黒の瞳が瞼の下からのぞいた瞬間、彩乃は身体を玄関の方向へと向け、その目でそこに立つ美桜の姿をしっかりととらえる。

「美桜! あたしと勝負しな!」

 彩乃の口から本日二度目の勇ましい科白が出た途端、美桜の口の端がニッと歪に歪んだ。



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