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砂漠の薔薇  作者: 望月満
act 2 夜半の月、砂上の旅
72/110

scene 18

「さて。長居はできません。主様。お別れのご挨拶を」

 残酷とも思える美桜の冷たい声が、僅かな間流れた沈黙を断ち切る。

 海棠は無表情の手本のような顔をした美桜を、睨みつけるように一瞥した。

「……そう、ですね」

 ユーフェミアは悲しげに、寂しげに頷く。

「あの……彩乃はいますか? 彩乃にも挨拶をしなければなりませんので……」

「あ。あぁ。彩乃は……多分、まだ寝ているよ。――彩乃は、早起きが苦手なんだ」

 彩乃が昨日倒れたなどと言ってユーフェミアに余計な心配をさせないためにも、海棠はその目鼻立ちの整った顔に笑顔を貼り付けて、ぎこちない声で苦手な嘘を言った。

「そう、ですか……」

 ユーフェミアは申し訳なさそうに瞼を伏せ、思案する。

 ユーフェミアの本心としては永遠の別れかもしれないのだから、彩乃に挨拶くらいはしていきたいのだろう。しかし身体が弱く早起きが苦手らしい彩乃を無理やり起こすのも悪い気がして、自分から彩乃を起こしてきてほしいとは言いにくい。

 ユーフェミアは顔を歪め、しばらく心の中で葛藤する。

 開き切った戸口から春の暖かいそよ風が家の中へと舞いこみ、そこにいる四人の髪を小さく揺らす。木戸は風によって揺れ、小さな音をたてた。家の裏手にある山でうぐいすが軽やかに鳴き、沈黙が降り注ぐ場にやけに大きく響き渡る。

「――えっと。良ければ、起こそうか? 彩乃を」

 困り切っているユーフェミアを助けようと、海棠は思い切って口を開く。

 ユーフェミアは海棠の言葉に顔をふっと上げ、蜜色の瞳で真っすぐに海棠を見つめる。そのままこくりと小さく頷くと、僅かに口を開けて息を吸い、

「そんなこと、許さないよ!」

 ユーフェミアは、そのまま言葉を発することはできなかった。

 いつかどこかで聞いたことがある言葉が、あの頃より少し低くなった声音で静まり返っていた場所に大きく響いた。

「えっ――?」

 ユーフェミアは言葉を発しようと開けていた口をそのままに、小さな疑問の声をもらした。

 先ほどの言葉に驚いたのは、ユーフェミアだけではなかった。自室の前に立つ海棠も、玄関先にユーフェミアとともに立つ美桜も双眸を見開いて声の上がった方向に視線を移した。ただ一人――玄関脇に立つ蓬だけは、

「ふふん。舞台の幕が上がったな」

 無邪気な子供のように目を輝かせて、先ほどの声の主――彩乃を見つめていた。

「……別れるなんて、そんなことあたしゃヤだよ!」

 彩乃は激しく首を振り、駄々をこねる子供のような口調で言う。

「彩、乃……」

 海棠は驚いたように、突然隣の部屋から現れた彩乃を振り向く。

 四人の視線は一気に彩乃へと集まり、その視線をものともせず彩乃はただユーフェミアだけを見つめていた。

 その立ち姿は凛々しいとも威風堂々としているとも言える。昔、ユーフェミアをいじめていた少年たちを蹴散らしたときのように、今の彩乃は相手を圧っするような雰囲気を纏っていた。

「彩乃……。これは、仕方のないことなのです。貴女には、とても申し訳ないですけれど……私は、行かなければならないのです。これは、私の役目であり決意なのですから」

「あたしだって! あの日、ゆうちゃんを守るって決めたんだ……! あたしはこの命をかけてでも、ゆうちゃんを守りたいんだよッ……」

「彩乃……」

 ユーフェミアは胸に右手を当て、叫ぶようにして言った彩乃を申し訳なさそうに、そして悲しそうに見つめた。

 彩乃は強く、血がにじみ出るほど強く唇を噛み、ユーフェミアの姿から決して目を離さない。

「貴殿は一体何を考えているのですか? この国の平和を(おろそ)かにしようというのですか?」

 美桜の呆れたような声と視線が、凛とした表情で立つ彩乃に浴びせられた。彩乃は美桜を、鋭い眼光を浮かべた瞳で睨み返す。

「それは違うよ。あたしは――ただゆうちゃんを守りたいんだ。ゆうちゃんが危険にさらされるようなことがあれば、あたしは命をかけることさえ惜しみはしない」

 彩乃の声は低く、まるで相手を脅しているかのようだった。

 しかしそんな彩乃の声に怯むような姿は見せず、美桜は不敵とも思える笑みで彩乃を見返した。

「ほう。それはつまり、ユーフェミア様とともに秘宝のある屋敷に住み、秘宝の守り手となることも厭わないということですか?」

 美桜の挑発するような、馬鹿にしたような声音。

 その言葉にユーフェミアは蜜色の瞳を大きく見開き、海棠は怒りと驚きに顔を歪めた。

「彩乃……! そんな役割、負うものではない。おぬしは身体も悪いのだぞ! 昨日も稽古中に倒れて寝込んでいたというのに……ッ!」

 海棠はそう言ってから、しまったと一瞬で口をつぐむ。

 海棠の発言を敏感に聞きつけたユーフェミアは、さらに双眸を大きく開いた。

「彩乃は、昨日倒れたのですか!? 大丈夫だったのですか? 今は、大丈夫なのですか? どこか痛いところはありませんか? 熱は?」

 おろおろとしながらも、ユーフェミアは立て続けに彩乃へ質問を浴びせかける。

「ゆうちゃん。そんなに言わなくても、あたしは大丈夫だよ」

 彩乃は微笑を浮かべ、安心させるように穏やかな瞳でユーフェミアを見つめる。

「そう……ですか」

 ユーフェミアは僅かに上がっていた肩をすとんと下げ、しかしその瞳にはまだ少し不安の色が混ざっていた。

 彩乃は表情はそのままに、視線をユーフェミアから近くに立つ美桜へと移す。

 二人の視線がぶつかり合う。二対の黒い瞳はどちらも鮮烈に燃える炎の様な強い光を灯し、相手を閃く刃物のような眼光で射る。

 彩乃はその微笑を不敵な笑みへと変化させる。美桜は彩乃の笑みを、冷たい瞳で静かに威圧するように見つめ続ける。

「おい、そこのあんた。……確か、美桜だっけ」

「はい。何でしょう」

「さっきまでの話を聞く限り、ゆうちゃんと秘宝の守り手はあんたらしいじゃないか」

「そうですが。それが何か」

 すましたような美桜の顔と声。彩乃はその笑みを不敵なものから獰猛なものへと一瞬で変え、美桜を見すえる。

「じゃあ、あたしがあんたより強けりゃ、その役目をあたしがしてもいいってことだよね?」

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