scene 52
ボクは彼女に洗い浚い、すべてのことを話した。ある男へ家族に売られたこと、そこで自分は力の実験をさせられたこと、男が創っている痛みを感じないヒトのこと、力の暴走によって逃げ延びたことなど。彼女も最初は相槌や質問をところどころで入れていたが、後半はやや俯いたまま黙ってボクの話に耳を傾けていた。
「――そして今、ボクはここにいる。以上だ」
「……そう。貴女は今、逃走中なのね」
「あぁ。だからボクが君のそばにいたら、君に迷惑がかかってしまう。それだけは、嫌なんだ。だから……ごめん。ボクは行く。あのじじいから逃げるために」
「――そっか。分かった。貴女の道は貴女で決めることだもの。私に貴女を止める権利は無いし、貴女の意見に私が干渉する権利もないわ。――行ってらっしゃい」
彼女は僅かに下げていた顔を上げ、笑みを見せた。誰がどう見ても文句なしの綺麗な笑顔。細められた目じりも、両側に柔らかく引き上げられた口元も、とても魅力的で色気がこぼれている。だけど、
「……こんなときにまで、作り笑いしなくたっていいぜ。その完璧な笑顔、ボクじゃないと作ったものだって気がつかねぇだろうけどな」
長年付き合い、彼女に魅せられてきたボクにしか分からないだろう彼女の作り笑い。彼女は、この数カ月で作り笑いが怖いくらい上手になっていた。
「…………。だって――」
彼女は、僅かに口元を下げて作り笑いを崩した。
「――こうしていないと、無理してでも笑っていないと、泣いてしまうんだもの……」
「じゃあ、泣けばいいじゃないか」
ボクの言葉に、彼女の顔に微かな驚きの色が浮かぶ。しかしそれも刹那に色あせ、作り笑いが一瞬で崩壊する。
エメラルドグリーンの瞳が輝きを増し、ついに煌めく涙の雫がほろりと頬を伝う。潤み輝くその瞳はとても美しく、とても懐かしかった。涙にぬれた彼女の瞳は、昔の純粋な輝きを放つ。
「本当は、行って、ほしくない! ずっと、ずっと貴女には、そばに、いてほしいよぉ……!」
彼女は喉から言葉を絞り出すように言い、声を上げて泣き出した。手の平で、後から後から流れて止まらない涙を必死に彼女は拭う。その姿は、幼い子供が転んで泣いているかのようだった。
ボクは泣き続ける彼女へ身体を寄せ、そっと抱きしめた。
「うん……。そうだよな。ごめんな……。でも、とりあえず今は、できるかぎり君のそばにいるから。だから、思い切り泣けばいい……」
彼女は泣きながらも、ボクの言葉に小さく頷いた。
しばらく彼女はその澄んだ瞳から、涙をこぼし続けた。ボクはずっと、彼女が泣き止むまで抱きしめていた。彼女はボクより僅かに身長は高かったけど、ボクよりとても細かった。本当に貧しい暮らしをしているんだということが、ヒシヒシと伝わってくる。思わずボクは、彼女を抱きしめたまま眉を寄せていた。
ボクのせいで、泥棒をしなければならないほどにまで堕落してしまった彼女。屋敷を飛び出したなどと簡単に言っていたが、言葉で言うほどそれは容易くないだろう。泥棒をすることだって、いつ捕まえられてしまうか分からない行いだ。彼女はこの数カ月の間に、凄まじく大変な思いをしてきただろう。
それなのに――ボクはまた、この不幸な少女をさらに独りにしてしまうのか。
「――ごめん。我儘だって分かってるけど、私、どうなってもいいから、貴女と一緒にいたい」
「…………」
ボクは何も言えなかった。彼女のその願いは、到底叶えられない。ボクは、彼女にだけは迷惑をかけたくない。彼女にだけは、これ以上何があってもボクのせいで堕ちてほしくはない。
そして――彼女にだけは、幸せになってほしい。ボクがいなくても、いつでも笑って過ごしてほしい。作り笑いなんか、浮かべなくていい日々を送ってほしい。
「――あ。砂漠の、薔薇」
強い願いの末、ボクはそんなものの存在をはっと思いだした。
砂漠の薔薇。それは、この世界を丸ごと吹き飛ばすことだって容易いほど、大きな力を持っている宝石。噂によると、瀕死状態の人を元気にすることだってできるらしい。願えば、若返りだって可能だと聞いた。
しかし、砂漠の薔薇には願ってはいけない願い事が二つある。一つは、自分の欲望のための願い。もう一つは、死者の蘇生。この二つのいずれかを願った時、砂漠の薔薇は砂のように砕け散ってしまうという。
この話は悔しいながらも、あのじじいに聞いたことだ。そして今――ボクはじじいに初めて感謝をした。
悔しいけど、もう方法はこれしかない。彼女を救い幸せにする唯一の方法。それは――
砂漠の薔薇を、手に入れること。
「え。何?」
彼女は疑問符をつけてボクに言うと、ボクから身体を離した。その目元は、赤みを帯びていた。
「――そうだよ。ボクは、砂漠の薔薇を探す。だから、君にはボクの帰りを待っていてほしい。絶対、ボクは砂漠の薔薇を手に入れて君のもとへ帰って来るから」
ボクは結局自分の手に持ったままだった彼女の布を、今度こそ返すためにそっと差し出した。
act 1終了まで、あと一話!