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砂漠の薔薇  作者: 望月満
act 1 春の宵、桜の都
52/110

scene 51

 ボクは深く腰を折って頭を下げ、彼女に謝った。

 謝るだけではこの空白の数ヶ月間を埋めることなどできないということは、十分すぎるくらい承知している。彼女は、ボクに自分は捨てられたのではないかと不安になっただろう。自分を捨てたボクを、恨んだだろう。

 ボクがしたことを許してくれなくたって、構わない。ただ、ボクは謝りたいんだ。たとえそれが、ただの自己満足であったとしても。

「え。どうして? ――何で、謝るの」

「…………。はい?」

 ボクは九十度以上の角度に折っていた腰を、驚きのあまりすばやく元の位置に戻していた。腰真っすぐにした刹那、視界に彼女の姿が入る。彼女は背を向けずこちらを向いていた。その顔は彼女の背中側から照っている夕日のせいで、影になって見えない。しかし声からすると、どうやら戸惑っているみたいだ。

「え? え? だって……ボクがいなくなって、それで君は怒って――」

「違うわ。私、貴女には全然怒りなんて感じてないのよ。むしろ……とても、心配した」

 彼女の聞いているだけで胸を締め付けられるような切ない声に、ボクの心は不安げに揺れた。

 けど、待てよ。怒ってないなら、さっきはどうして……?

「貴女、急にいなくなるんですもの。もう、言葉では言い尽くせないほど、とても心の底から心配したわ。心配で心配で、屋敷を飛び出して毎日北側と南側の街中貴女を捜して……。お金を持っていない私は、いつしか泥棒をして生きていた」

「じゃあ、さっき、もう、関わりたく、ないって……」

 戸惑う気持ちが表に出て、つっかえつっかえにしか話すことができない。

「今の私を、貴方にだけは見られたくなかったのよ」

 彼女の声は耳元でそっと囁くような、波の音で消されてしまいそうなほど小さいものだった。

 彼女はまるでボクから顔を反らすように、身体を回転させて背を向ける。ボクは砂を踏みしめる乾いた音を立てながら、数歩歩く。そしてすぐそばまで近づいた彼女の横に、一メートルほどの間隔をあけて並んだ。

 相変わらず桜は宙を舞い、海は一定の周期を保ったまま小さな波を作り上げている。

「謝らなければならないのは、私の方よ。私がさっきあんなことを言ったから、貴女は傷ついたのよね。……本当に、ごめんなさい」

 彼女は僅かに身体を曲げてボクを見、顔を歪めて丁寧に頭を下げた。洗練された、動きだった。

 ボクは歪められた彼女の顔を見たくなくて、慌てて大きめの声を上げた。

「いや。いいよ。何か……良かった。許してくれなくてもいい、なんて言ったけど正直君に嫌われるのは、嫌だから」

「それは、私もよ。……こんな私に貴女が関わってほしくは無いけれど、でも貴女が私の遠くに行ってしまうのも嫌。矛盾しているけれど、そう思ってしまうのだから仕様がないわよね……」

 彼女は下げていた頭を上げる。ボクは金糸のように美しい髪を揺らしながら顔を上げる彼女を見つめながら、柔らかく微笑んだ。それは、彼女の苦笑いにも相当しないほど不様で格好の悪いものだけれど、ボクの心からの微笑みだ。

 彼女の方は僅かに視線を下げていて、ボクの足元辺りを見ているようだった。その顔はやはり、憂いの色に染め上げられている。

「……本当に、変わってしまったのね。貴女も、私も。このたった数カ月で」

「あぁ」

「でも、私は貴女を嫌ったりしないわ。たとえ貴女に傷付けられ、厭われ、捨てられたとしても。それに、とても素敵よ。その口調の貴女も」

「……そうか?」

 〝素敵よ〟と何の躊躇いもなく彼女は言う。なんだか、言われたこちらがこっぱずかしい。

「それに、いくら口調が変わったって中身は優しくて明るくて、勇敢で思いやりのある貴女のままだもの」

「そんな。ボクはそんな大層な人物なんかじゃないさ。……あ。そうそう。これ、ボクが持ったままだった」

 あまりに彼女が恥ずかしくなるようなことを言うものだから、ボクは恥ずかしさを隠すために彼女へ近づいてそっと布を差し出した。ボクの手に握られたままだったそれは、色あせ汚れてしまっているが解れや破れは全くない。その布は、彼女が物を大切に扱っていることを証明していた。

 差し出された布を、彼女は見つめる。

「ありがとう。そっか。貴女が持ったままだったのね」

 彼女は、細く白い手で布をそっと掴む。

「それから。ボクはまた、行くから。当分、君に会うことはできない」

「――え?」

 彼女の手がピクリと小さく跳ねる。と同時にその動きも完全に止まり、彼女は受け取りかけていた布を取り落としそうになった。

 海岸から海へと吹く風に、布が大きくはためく。

「おっ! と」

 ボクは海へ飛んで行きそうになった布を、慌てて抑える。気がつけば、もう桜の可憐で優雅な舞いは終わっていた。残されたのは、海の上を漂ういくつもの小さな花弁。

「ね、ぇ……それ。――どういうこと? あ、貴女はまた、いなくなってしまうの……?」

 彼女は、躊躇いがちに、戸惑いがちにボクを見つめる。その瞳は、目を当てていられないほど悲しげに、不安げに揺れていた。

「……あぁ。ごめん。でも、ボクは、逃げなくちゃいけないんだ――」

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