scene 43
* * *
「――ボクの記憶は、ここで一旦途切れた」
「途切れた、ですか……?」
「あぁ。ボクの中のヒカリの力がボクの意識を乗っ取って暴走したんだと思う。それ以前も、憤りが限界に達したり、意識がヤバくなってきたりしたらヒカリが暴れたことはあったから予想はつく。……意識を失ったボクは、気が付いたら西部の北側の路地に倒れていたんだ――」
* * *
春の温かい風が、ボクを包む。風はボクの髪を揺らし、頬を優しく撫でてゆく。
「ん……」
ボクは小さく呻いた。瞼を上げようとしたけど、まるで瞼がそれを拒んでいるかのように上がってくれない。目を覆うだけの薄っぺらいただの皮膚なのに、それが今は何キロもの、何トンもの自重を持ち得ているかのようだった。
朧だった意識が、ゆっくりと正常化していく。まず身体の左側が冷たいことに気がついた。ボクは身体の左側を下にして、固い地面の上に倒れているようだ。
とりあえず、ゆっくりと四肢を動かしてみる。手の方は腕も思うように上がったし、指も五本すべてがちゃんと動いた。足も踝と膝の関節もしっかりと曲がったから、どうやら問題なさそうだ。あとは、この重たい瞼をどうにかするだけだ。
「う、ぐ……」
呻きながら、ゆっくりと少しだけ瞼を上げる。霞んではいるが頭は景色をしっかりと認識し、
「!」
認識した光景にボクは仰天し、中途半端にしか上がっていなかった瞼が一瞬で開ききった。
「そん、なっ……。どうして……? 嘘、だろ?」
ボクは唖然として呟く。
ボクが見る限り、ここはボクが数か月前まで彼女に会うために毎日通っていた北側の路地だ。
空は相変わらず、というか案の定というか分厚い雲が垂れこめる曇天だった。太陽の光なんて僅かも差し込んではいない。
驚きを隠せない表情のまま、ボクはゆっくりと立ち上がった。が、
「うわぁっ!」
足に上手く力が入らず、身体がバランスを崩してしまった。そのまま力の抜けた足じゃ抵抗もできず、固いコンクリートの地面の上に尻もちをついてしまった。
「っでぇ……」
ボクは、じんじんと骨にひびくような痛みに襲われるお尻を呻きながら抑える。本当に自分が情けない。
「くそっ……。くっ」
ボクは身体の後ろの地面に手をつけて、なんとか立ちあがった。立ち眩みに似た眩暈に一瞬身体が揺れたが、今度はしっかりと地面に立つことができた。
「やっぱり……。ここは――」
ここは、ボクが約六年間通った路地だ。
彼女がいる、街だ……。
どうしてここにいるかは分からない。けど、多分力が暴走したのだろう。というか、それしか考えられない。
そう思ったボクは、とりあえず自分の元家に向かうことにした。別にそこに戻ってまた住みたいわけじゃないけれど、ただ……なんとなく頭が家に戻ってみようと考え付いたのだ。
家族はボクを捨てた。けれど、やっぱり血は嫌でも繋がっているんだ。もしかしたらその血が、帰りたいと騒いだのかもしれない。
「っと。その前に」
ボクは身につけている灰色の長いTシャツについているフードを、すっぽりと顔まで覆うようにしてかぶった。これ以上、ボクの力でもめ事に巻き込まれたくない。だから、できるだけ顔は隠しておきたい。
でも――たとえ、どんな問題が起ころうとも彼女にだけは会いたい、と切に思った。
北側の街は、相変わらず華やいだにぎやかな場所だった。
目立ちたくはないボクは、フードをかぶったまま道の隅をこそこそと歩いた。周りは自分のことしか考えていない人ばかりで、ボクに目をくれる人なんて一人もいない。
ボクは道際に建ち並ぶ店に張り付くようにして、俯くように顔を下げたままゆっくりと進む。
このあたりの道は良く知っている。毎回彼女に会いに行くときは必ず通っていた道だから。この数カ月では、何も変わってはいないようだ。店も家も見覚えのあるものばかりだ。
ボクは石畳の地面を睨みつけるように見つめながら、足を前に運ぶ。視界ではブーツが地面をしっかりと踏みしめる。その時、
「――あとは、キャンディーショップに行ってクラリッサちゃんにお土産を買って行こうかしら? あの子は確かキャンディーが好きだったわよね」
ボクの横にそびえる洋服店の扉が外側へ開いた。扉はボクの行く手を阻むように開いたので、ボクはそれにぶつからないように足を止めるしかなかった。のだが、他にも足を止めた理由はある。それは、
「クラリッサ……?」
その名前に、聞き覚えがあった。
クラリッサはボクの姉の名前だ。姉とは別人かもしれないけど、その名に反応してしまった。
乾いて澄んだベルの音とともに、店の扉が閉まる。ボクは僅かに顔を上げ、そこに立つ人物の顔を確認した。そして――
「っ……」
思わず、息をのんでしまった。
今思うと、あれは偶然にしてはできすぎている出会いだったと思う。けれど、本当にあったのだからこれは神の悪戯としか思えない。もしくは、ヒカリがボクをあの路地で倒れさせた時から決まっていた、必然的な出会いだったのかもしれない。
何にしても、そこでボクは――ボクを売った母親に出会ったんだ。