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砂漠の薔薇  作者: 望月満
act 1 春の宵、桜の都
40/110

scene 39

 何を考えているの、私は。どうだっていいじゃない。別に、あの男に恨みは無いんだし。家族も、殺したいほど恨んではいない。男を殺して逃げたっていいけど、逃げたところで帰る場所もないじゃない。

 ――それなら、私はこのままでいよう。このまま男とともに暮らす。一体何が目的で男は私を買ったのかは知らないけど、別にそんなことどうだっていいわ。たとえただのロリコンであろうと、もうどうにでもなってしまえばいい。


 もう、私の人生どうだっていいじゃない――。


「ごめん、ごめん。待たせたね。さぁ、行こうか」

 ボクがあれこれ思考している間に、かなりの時間が経っていたようだ。男がいつの間にか車へ帰って来、運転席に乗り込もうとしていた。

 男はキーを回し、静かなエンジン音とともに車が動き出す。上下に細かく振動する車の中。ボクはむっつりと黙りこむ。男の方も、無駄に話しかけては来なかった。

 車の振動音とタイヤが凹凸の激しい地面を転がる音だけが、盛大に音を発する。小さく揺れるボクは、窓の外へ視線を移動させた。窓ガラスは黒みがかり、外からは中が窺えないようになっている。景色は黒ずんで見えるが、中からはちゃんと外が見える。

 ふいに先ほどまでのことが嘘のように振動が収まり、滑らかにタイヤが回転し始めた。窓の外の景色も、瓦礫の町並みから小奇麗な家並木に変化している。いつの間にか、北側へ来ていたようだ。

 ボクは、シンプルだが高級そうなスーツやシックなドレスを着て歩く人々をぼんやりと眺めながら、ふいに首をかしげた。

 綺麗に整備され、清掃の行き届いた街並みは前からやってきたかと思えば、瞬く間に後ろへと流されてゆく。そんな目まぐるしい景色を見つめながら、あれと思う。


 景色の流れは普段より格段に速いが、ここは、この道は――


 そう思い、僅かに双眸を見開いた刹那、

「!」

 前方に、バーンズ家の豪華な屋敷の影が垣間見えた。同時に、視力だけには自信があるボクの碧眼が屋敷の庭で掃き掃除をする少女の姿も捉えた。見慣れた風になびく金髪。緑の目はさすがに見えないが、そこには生き生きとした美しい光をたたえるエメラルドグリーンの瞳が金糸の様な髪とともに煌めいているのだろう。

 女性でも見惚れてしまうほどの美貌を持った、名を持たない彼女。

 いつも作り笑いを悲しげに浮かべる、彼女。


「っ……!」


 ボクは必死になって、窓に手を付けた。が、車なんかに初めて乗ったボクが窓の開け方なんか知るはずもなく、窓に指紋をつけただけでボクはそれを開くことはできなかった。

 心臓が張り裂けそうなほど高く疼くように波打っているのに、窓を開けることができず彼女に声をかけることさえできない。まるでこの薄い窓ガラスは、ボクと彼女の間を阻み仲を引き裂こうとしているかのようであった。

 窓に張り付いたボクをよそに、車がバーンズ家の前を、彼女の前をあっさりと通過する。黒いガラス越しに、ボクはまるでその姿を目に焼き付けるようにして彼女を見つめた。

 深い海の色を思い起こさせる瞳、純白に輝く雪の様な肌、まるで太陽の色を写し取ったかのように一本一本煌めく、毛先が軽くウェーブした髪。

 ボクは彼女のすべてを食い入るように見つめる。が、彼女の方はボクになんて全く気付かず、せっせと掃き掃除をしていた。

 彼女の瞳がこちらを見ず、地面の方を向いていることを確認した瞬間、ボクの心はずたずたに引き裂かれるような、ひどく重いもので押しつぶされるような、何とも形容しがたい感覚で覆われてしまった。その痛みにも似た感覚に胸を壊されてしまいそうで、ボクは両手で胸を力いっぱい抑えた。


 ――彼女と、さよならの言葉も交わさずに別れてしまった。


 ボクは窓に乗り出していた身体をぼすんとシートに沈めた。反動で一度、シートから身体が上へと浮きあがる。

 後方へと消えてしまった彼女へと思いをはせながら、ボクは憂鬱に瞳を濁らせた。視線は自然と下へ動く。身体が空っぽになってしまったかのような喪失感に襲われながら、ボクは口の中に鉄の味が広がるほど強く唇を噛み締めた。

「……どうしたんだ?」

 バックミラー越しに運転席の男がボクを見、ふいに口を開いた。

「――別に、何でもないわ」

「何でも、はないだろ。とりあえず、その涙を拭きなさい」

 男に言われ、ボクは眉をひそめた。――涙?

 ボクは訝しく思いながらも、目の下へと右手を運んだ。右手は弾力のある頬に触れ、


「っ――」


 僅かに湿った。

 ボクは湿りを感じた手に困惑した。……気付かぬ間に、涙を流していたのだ。確かに瞼が熱く、鼻の奥がつんとしてはいたが。

「…………」

 ボクは黙ったまま、乱暴に手の甲で涙をぬぐった。

 彼女のいるバーンズ家は、すでに遥か後方へ消えていた。

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