scene 30
「――とにかく、今は身体を休めることを優先しな。あんた、倒れてから二日も昏睡してたんだよ」
「二日、か……。ヒカリの力を使いすぎたんだろうな。一度、暴走したみたいだし……。ヒカリが暴走しちまったら、かなりの体力が消耗するからな」
「そうかい。……今も、そのヒカリは見えているんだね」
彩乃の問いにシャノンはゆっくりと、しかし強く肯定し「残念ながら」と僅かに俯く。
シャノンの周りには相変わらず、彼女にしか見えないヒカリが神秘的な弧を描いていた。その美しい凶器を恨めしげに見つめながら、シャノンは呆然としたように虚空を眺める。
「――ときにシャノン。あんた、これからどうするつもりだい?」
彩乃の唐突な問い。しかしシャノンは、そう問われることが分かっていたかのように、しっかりと返答する。
「ボクは、体調が良くなり次第また旅に出る。――奴から、逃げるためにも、な。でも……旅立つ前に、一言ユーフェミアに謝っておきたい……」
シャノンは顔に影を落とし、唇を僅かに震わせた。手のひらが、清潔すぎるイメージを与えるまっ白な布団の上で強く握りしめられる。
「……そうかい。それで、あんたは――」
彩乃の言いかけた言葉は、
「シャノン。彩乃。……入っても、構いませんか?」
線の細い、しかし凛とした響きは損なわれていない、ユーフェミアのくぐもった声に立ち切られた。声が低く籠って聞こえるのは、襖の向こうから響いているためだ。
「主様! 何故、おいでになられたのですか?」
彩乃は慌てて鷹が舞う襖に向き直り、そう問うた。しかしユーフェミアは答えず、黙って襖の向こうから姿を現した。
「っ……。ユー、フェミ、ア……?」
シャノンはそこに立っていた人物が、金髪美少女のユーフェミアと同一人物には見えなかった。
疲れ切り、光を失って濁りきっている金の瞳。長い髪はストレートに下ろされ、ユーフェミアの顔を半分ほど隠してしまっている。頬はこけ、よく見ると目元は泣き腫らしていた。
シャノンはその変わり果てた姿に呆然とし、言葉を失った。
「シャノン、よかったです。ご無事で」
ユーフェミア、疲れたような笑みをシャノンに向ける。そんなユーフェミアの笑みに、シャノンは顔を歪めるしかなかった。
彩乃は跪いたまま、心配げにユーフェミアを見上げる。
「主様、具合は大丈夫なのですか?」
「えぇ。もう、大丈夫です。彩乃、心配してくださってありがとう。そこで、あの、お願いがあるのですが……」
「はい。何なりと」
「では、私は少しシャノンと二人きりでお話がしたいのです。席をはずしてもらっても、いいですか?」
「しかし、それは――」
「いいですか?」
有無を言わせぬユーフェミアの強い口調と眼差しに、彩乃は躊躇いながらも襖から外へと出て行った。
「…………」
シャノンは口を閉ざし、何も言わない。ユーフェミアは静かに彩乃を見送った後、暗欝に俯いているシャノンに向き直り、ゆっくりと口を開く。
「あの秘宝――砂漠の薔薇は、私が瑞穂の国のお偉い方々から直々にお守りするよう頼まれたものなのです。この秘宝はこの国の平和を保っている大切な国宝だ、という言葉とともに。確かに、この国は他国と違ってもう何十年も平和主義を通し続け、戦争などと一切無縁の国となっています。ですから、この国の国民は全員、森の中に隠された秘宝が瑞穂の国の平和を守ってくれているのだと信じて疑いません。実際、私もそうと信じていましたしね。けれど――それは、間違いでした。この国の平和はこの国の人たちで、守ってきたのですね。聞こえは素晴らしいのですけれど……もし、この国の住人が、秘宝がなくなったと知れば……平和は保たれないとパニックを起こし、最悪他国が攻めてくる前にと、自ら戦争を、始めかねません……」
ユーフェミアは額に右手を当て、首を振った。その顔は、その表情は、その瞳は「もう限界だ」と切に訴えていた。
「ユーフェミア……。すまない。ボクは、本当に――」
シャノンは僅かにため息を落とし、苦しげに呻くような声を漏らした。その蒼い瞳は下を向いたままで、顔も憂いに歪められている。
ユーフェミアはふっと顔を上げ、ため息をこぼしたシャノンを静かに見据えた。
「シャノン。そんなに落ち込まないでください。どんなに残酷でどんなに悲しく辛いことでも、これは真実です。真実とは、どんなにあがいても逃げ切ることなどできないものなのです。貴女がもしあのようなことをしていなくとも、いつかは突きつけられていただろう物事です。それから、シャノン。ため息をついてはいけませんよ。ため息をつくと寿命も縮んでしまいますし、幸せが逃げてしまいますよ」
ユーフェミアの言葉に、シャノンははっと顔を上げ何故かパチパチと瞬きを繰り返した。