scene 19
「――誰?」
シャノンは首を傾げる。男性は小さく笑うと「まずは部屋に入らせてもらおうよ」と言って、何の遠慮もなく部屋の戸を大きく開けた。
「誰ですか?」
ノックもなしに戸が開いたので、中にいたユーフェミアは驚いて顔を上げた。同時に、彩乃の虚ろな視線も入口の方へ泳ぐ。とたんに、
「父上!!」
見ている方が驚くような素早さで、がばっと布団から飛び起きた。
「今日は。それから、久しぶり。彩乃、ユーフェミアちゃん」
男性――彩乃の父はにこにこと、いかにも無害な笑みを浮かべて、空いている左手を二人に向けてひらひらと振った。
彩乃の父はシャノンと同じような袴をはいていた、年齢は三十代後半なのだが、どう見ても二十代の前半にしか見えない。神と瞳は彩乃と同じ、黒色をしている。髪はとても長く、後ろで一つに束ねていた。漆黒の瞳には、フレームの薄い銀縁眼鏡がかかっている。
呆然とシャノンが彩乃の父である男性を見つめていると、ふいに彩乃の父はシャノンに木のプレートを無造作に渡した。
「――ととっ!」
シャノンは慌てて、プレートのバランスを取ろうと手を動かした。が、
「あ、れ……?」
プレートはシャノンがバランスを取らずとも、シャノンの手の高さで水平に浮いていた。
シャノンは眉をひそめて訝しみながらも、そっとプレートの取っ手を握った。すると、シャノンの手にずしりと重たい感覚が伝わる。レンゲがプレートの上で左右に揺れ、カタカタと小さな音を立てた。
突如として現れた彩乃の父は、ゆっくりとした足取りでユーフェミアと彩乃に近付く。
「お久しぶりです、蓬さん。お元気そうで、何よりです」
ユーフェミアは両手をぺったりと床につけ、深々と最も丁寧なお辞儀をした。蓬、と呼ばれた彩乃の父は、屈託のない子供の様な笑みを浮かべてユーフェミアを見つめる。
「私はいつだって元気だよ。この森と屋敷が広くて、ここへたどりつくのにはなかなか骨が折れたけどね」
「すみません。大変、お疲れでしょう?」
「いやいや。秘宝を守るための森と屋敷だ。これくらい広いのが、妥当だよ」
蓬の足取りはゆっくりだったが、彩乃が寝ていた布団は入口近くに敷いているため、彼はすでに布団の右側の枕元に着いていた。そこに蓬はあぐらをかき、彩乃を挟んだ向かいに座っている、ユーフェミアを見る。
「相変わらず、ユーフェミアちゃんは美人だねぇ。いや、三年前よりもっと美人になったかな?」
「父上」
彩乃が叱咤するような声音でいい、蓬を睨みつける。蓬はその眼がオッドアイなことに驚きもせず、まぁまぁと彩乃を制した。
「大丈夫だ。彩乃も美人になってるよ」
「そんなことを、あたしは聞きたいんじゃないよ。……父上は何故、ここに来たんだい?」
「いや。そんなことは後でいいから。ほら、そこのアシュリー人の女の子」
蓬は入口を振り返り、そこに立ちつくしているシャノンを見た。
「えっ? あ、ボク?」
「そうだよ。君以外に誰がいるんだい? 彩乃に、粥を持ってきたんだろ?」
「あっ」
シャノンは慌てて歩を進めた。カチカチとレンゲが鍋に当たる乾いた音を響かせながら、シャノンは彩乃のそばへ来た。自分の隣に座る蓬に、シャノンはペコリと小さく頭を下げた。
「彩乃。これはボクと白胡で作ったお粥だからな。ちゃんと残さず食えよ」
「はいはい。分かってるよ」
シャノンはかがんで膝立ちになり、お粥をプレートごと彩乃に渡した。作りたての頃はせわしなく上がっていた湯気も、今では元気をなくしたかのようにすっかり薄くなっている。
彩乃は小さな三つ葉がそえられたお粥を、嬉しそうに微笑みながら見つめた後、プレートを布団ごしに自分の足の上に置いてその前で「いただきます」と手を合わせた。その姿を真剣にシャノンは見つめ、蓬とユーフェミアは顔を少しほころばせて見つめる。四人とも、無言のままだ。
レンゲを手にした彩乃は、自分をじっと見つめる三人を一瞥し、「あのねぇ」と声を上げた。
「そんなに見られてちゃ、食べにくいんだけど……」
「あっ。ごめん」「すっ、すみません」「あぁ。そうか」
シャノンは少し顔をしかめ、ユーフェミアは頭を小さく下げ、蓬は問題がやっと解けたという風に右手で左手を打った。
「それじゃまずは、アシュリー人のこの子にあいさつしておいた方が、いいかな?」
蓬はあぐらを正座に直してシャノンの方を向き、シャノンも慌てて蓬に向き合った。その後、少々苦戦しながらも礼儀正しく正座をする。
「私は入江蓬。彩乃の父親だ。よろしく」
蓬はすっと、シャノンへ手を伸ばす。
「あ。はい。ボクは、シャノン・アンヴィルと申します」
シャノンは名乗った後、蓬の手をそっと握った。蓬は握った手を小さく上下に動かすと、そっと解いた。
「――で。あの。思ったんですけど……」
「うん? 何だい。シャノンちゃん」
「えっと……その、二つ聞きたいことがあるんです。一つは、どうしてこのお粥を置いた木のプレートを浮かばせることができたのか、ということです。もう一つは……どうしてボクが、こんな男みたいな格好をしているのに一目で女の子だと分かって、さらにアシュリー人だということも分かったのか、ということです。ボクのような茶髪碧眼なら、ユバーフィールド連合王国にもいるのに、あなたはボクをアシュリー人だと断定しましたよね?」
シャノンの問いに、蓬は苦笑する。
「一気に聞かれても答えられないよ。だけど、一つ一つ順を追って説明しようか。――まず、私が物を浮かせることができたのは何故か? それはね、シャノンちゃん。私が〝魔術師〟だからだよ」
今回も結構長めでしたよ~。
次回もできる限り頑張りたいです!!
※編集をして、蓬の容姿を足しました。