scene 9
「――ッ!!」
ナユタは酷い悪夢から瞬間的に目覚めたかのように、勢いよく上半身を起こした。その素早さと唐突さに、ベンチのそばを歩いていた歩行者のうちの数人が、驚きの声や小さな悲鳴を上げながら、ぎょっとした目でナユタを見る。しかしその声や反応は、ナユタの耳にも目にも届いていないらしく、周りの様子に何の反応も示さなかった。
「……チッ。何であんな奴の顔が浮かぶんだよッ」
ナユタは己へ対する瞋恚の炎とともに苛立ち交じりのため息を零す。口から長く溢れたため息は、ナユタの表情を曇らせる。ナユタは鬱とした顔で自分を周りから隔離するかのように両膝を抱えてベンチに座る。
まるで、何か大切なものを失ってしまったかのように、ナユタは虚ろな眼差しを自分の膝頭に落とす。
「……そっか。オレは……リスカがいないと独りなのか……」
ともに住む家族も、心から信用できる親類もいない。気軽に話しができる友人も、リスカ一人しかいない。
「オレは、何て頼りないんだ……」
「なぁーに、一人でブツブツ言ってんの」
突然、明るい少女の声がナユタの頭上から降って来る。ナユタははっと顔を上げ、声の上がった方向を見る。そこには、
「――あ」
「〝あ〟じゃないわよ。それとその格好、周りから見たらかなり寂しい人に見えるわよ」
リスカ、その人がいた。
ほんのりと顔に微笑を浮かべている彼女は、両手を背中へ回し、僅かにナユタへと身体を傾けた状態で立っていた。右方向から降り注ぐ太陽の光を浴びて艶めく桃色の髪は風に柔らかくなびき、淡く光を帯びた同色の瞳はナユタの姿をしっかりと捉える。
ナユタは何の前触れもなく現れたリスカに戸惑いながらも、僅かに顔を赤らめてそっぽを向き、口を開く。
「わっ、悪かったな、寂しそうな人で」
「別に悪いとは言ってないじゃない。そんな格好されてちゃ、こっちが泣きたくなるのよ」
顔をそらしたまま、ナユタは眉をひそめる。
「何でリスカが泣かなきゃッ――!」
ふいに、ナユタの口がふさがれる。
〝泣かなきゃいけないんだよ〟と言おうとしたナユタは口がふさがれたことに対し、一瞬目を見開く。驚くのもつかの間、続いて口内に僅かな甘味が広がり、歯によって何か固く薄いものが砕かれた。
「ごたごた五月蠅く言うのはなし。まずはそれを食べなさい。あたしがおごってあげてるんだから、ちゃんと食べること」
リスカは口をとがらせる。彼女が突然口の中へ浅く入れて来たものへと、ナユタはそっと手を伸ばし、そこから伸びている細い棒を掴む。そのままそれを引き、口の中から何かを取り出す。
「あ」
その手に握られていたのは、紅い光沢を帯びた直径三センチほどの大きな飴――林檎飴だった。
不思議そうに自分を見上げてくるナユタの視線をにっこりと笑顔で受け止めながら、リスカはナユタの隣へ腰を下ろす。それとともにナユタは曲げていた膝を伸ばし、裸足の足を白い地へとつける。
「ほら、朝私が林檎を貰った時に、ナユタが林檎を食べたそうな顔してたから、そんなに食べたいならって思って買ってきたのよ」
「え、あ……ははは。そりゃ、どうも」
あえて本当の心境は言わず、ナユタは曖昧な作り笑いを浮かべる。
ナユタの手に握られる、光に反射して紅く煌めく丸いリスカが買ってくれた林檎飴は、とても甘美でそしてまるでそれが精密な飴細工であるかのように、食べるのがもったいないと思えるほど美しく見えた。口に入れた瞬間にナユタが飴の一部を噛み砕いたため、林檎飴の表面にはうっすらと蜘蛛の巣の様な細かいひびが入っていた。