旅の暇
影「追い詰められたときほど悪夢を見る。
幸福なときほど幸せな夢を見る。
さらに幸福になろうとするとき、
何が不満で、何故不満なのか、
一度、自分を見るのが良いかもしれない」
空気に飲まれ、つい聞き忘れていたことを思い出す。
「そう言えば、聞きたいことがあるんだけど」
「何でしょう? 知ってることであればお答えします」
お言葉に甘えて、懐に入れていた仮面を取り出し、彼女に見せた。
「この仮面。私の師匠のものなんだけど、何か知ってる?」
暫しの沈黙の後、彼女は知っていることを教えてくれた。
「その仮面を見たことはないので、断定はできません。ただある昔話で仮面を被り、衰退に向かっていたこの国の膿を断ち切った鬼の話があります。
ただ、かなり昔の話なので、確実性は乏しいですので、参考という事で。もしかしたら、古い本の中にそのような物語が残ってるかもしれません。魔族の場合、流石に国の予算をまとめた書類や法典に法を載せることはしますが、昔話は大抵周囲の者に聞けば分かるので……口伝のほうが多いのですが、聖王国ならそのような本があるかもしれません」
要するに聖王国に行った方が良いと言われてるだけなのだが、古い物語が書かれた本を探すという目標が見つかったので、今までよりましに感じていた。
「そう、ところで私はもう出発した方が良い?」
「そうですね、それが宜しいかと。…………娘を頼みます」
彼女は私が部屋を出るまで、いやもしかしたらその後も祈るような姿勢でいたのかもしれない。私はそこまで実直に、大切なもののために命を投げ打つことが出来るだろうか。…………一番尊敬しているのは師匠ということは揺るぎないが、彼女も私にとっては尊敬できる生き様なのだと思う。
◇
[それで、旅にその子を連れて行くの? かなりのお荷物……ごめん、ごめん。でも、その子の事も考慮しないと簡単に死んじゃう。だから、かなり移動速度も遅くなるし、その彼女の面倒ごとには巻き込まれているよね]
「うん、そうだね。私も独断で決めて悪かったよ」
互いが互いに遠慮してしまっていたので、今より空気は良くなかったが、余裕が生まれていたので以前よりは良かった。
[まあ、そのお陰で君が少しでも立ち直れたのなら、良かったよ]
そんな会話をしながら、私は赤ん坊をあやしていた。抱えているため、暖かくなる腕が心地良い。
「そういえば、ご飯は…………」
胸元に視線を下ろし、少しの葛藤があったが、すぐに断ち切る。
「いける?」
[いや、いけない! いけないよ! そもそも、君の体が依代ってこと忘れてないっ?! 無理無理、絶対に出来ないからっ!]
一応、哺乳瓶を琥珀に取り寄せてもらうと、大丈夫だったので私が人肌脱がずに済んだ。
◇
「この子の名前はどうしようか?」
[私に聞かないでよ、君に任されたのなら君が決めるべきだよ。そうでしょ、お母さん?]
琥珀の言葉に少女は少し目を伏せた。
「私はこの子の母親にはなれないよ。だって、私は彼女のように命を張って守れる自信はないもの」
母親が、全てあんな感じだとは思わない。でも、私は産むまでの苦痛を味わったことはない。それに、あんな偉大な母親がいるのなら、私はこの子を支える姉のような存在であれるのなら充分だと思っている。
[考えすぎだとおもうけどね。ん? じゃあ、私は何だろう、もしかして姑の役?]
「ああ、すみません。お義母さま、掃除が行き届いてなかったばっかりに」
[この埃、ふっ。実家に帰った方がよろしいんじゃなくて? って、何を言わせるのよ]
そんな他愛のない会話をしながら、名前を考えつつ、隠れ家にいるという老婆に預けるまでは私が保護者なのだと、この腕の温もりが離れることを少し寂しく思った。
◇
「えっ? これはどういう……」
[もしかしてだけど、その老婆って人族だったんじゃないかな。その彼女との約束を死ぬまで守ったけど、時間はかなり流れていたっていう]
目の前にはぼろぼろの扉が風に吹かれてキコキコと鳴る横穴式住居。洞穴に扉をつけたかのような家の中には骨が椅子に腰をかけて、項垂れていた。
「どうしよう、これじゃあ……」
この場所は聖王国と魔王国の境にある。だが、人が中々来ないような秘境でもある。だからこそ、隠れ家なのだが……
「この子を聖王国の町まで連れて行くのは危険だけど、他の人に任せるのは怖い」
手に収まる彼女の娘は、彼女に似て暗い髪と特徴的な紅い瞳を持っている。それが一般的なものであるのなら、彼女は私に託したりしなかった。
『王妃の亡骸が発見された、しかしその娘の姿は未だに見つからない。情報提供を求める』という情報が魔王国内に広がっていた。王妃の特徴は黒い髪に紅い瞳。
そう、これは次期魔王に就任するための後継者争い。その為、魔王国には戻れない。また、聖王国にも赤ん坊を連れてゆくことはできない。何故なら、向こうの国は君主がいなくても主教が聖王の代わりに権力を握ったからだ。そして、その主教は聖王と異なり魔族に敵対的な派閥。
私は悩んだ。どちらに行っても、戦乱に巻き込まれる。戦乱に巻き込まれるだけなら良い。相手を殺さず、捕縛もできるのだから。しかし、それが根本的な解決になる訳ではないのだと知っている。それに、これはこの世界の住人たちの問題。私がしゃしゃり出て良い話でもないと、思っている。
その時、くいっと赤ん坊に袖を引っ張られた。そして、私は決めたのだ。
「この子が自立するまで、ここで暮らそう」
それから三年ほど経った今、それまで抑止力として動いていた者たちは次々と淘汰され、戦争に向けて歯車が回り出した。
過去パート、恐らく終了!




