夜空を覆う砂の海
……前のやつ、もたつき過ぎてたと感じる。
荒々しく、唸りを上げる砂の海は旅人の足を絡めとる。最も、空を一色に染め上げている時点で旅人は行き着く先に辿り着くことなどなく、旅人だけである限り同じ結末に落ち着く。
ばたり、と足から倒れた旅人に一つの影が差し掛かった。
◇
少女はむくりと起き上がった。知らない天井を見上げず、軽く周囲を見渡す。
「ここは何処だろう?」
部屋の壁は無骨ながら、装飾によって可愛らしい印象を受ける。勿論、砂嵐の中をただひたすらに歩いてきた少女の部屋ではない。
ふわり、ふわりと羽ばたく蝶が目の前を通り過ぎて、ぬいぐるみに留まる。不思議に思った少女が自然と手を蝶に伸ばすが、手を擦り抜けて部屋の出口に消えていった。
「付いて行こう」
少女は蝶を追いかけて、見知らぬ廊下を進んでいく。
暫く歩いていると、話し声が聞こえてきた。
「何度でも言うが、さっさとお前らは此処を去れ」
[何でよ! 次に向けて協力してくれたって良いじゃないっ]
老齢の男性の声と少し幼い少女の声が言い争っているようだ。
「では、食料はどうする? 多少なら手に入るが、自給自足するほどの環境はない」
[それは…………何とかするわよ。外から運んで貰ったりとか]
「他にも衣類、衛生品、包帯などの応急手当用のものも揃えて、やっと実戦に臨める。態々命を賭けるのだ、準備は怠れん。それに、出費はお前の負担ではないだろう」
[それでもっ! 私はお姉ちゃんの役に立ちたいの……]
「お前が戦いの前線に出ろとまでは言わん。しかし、あのガキの意思すら確かめず決めるのか?」
がちゃりと扉を開き、少女の目の前には細身の老人と瞳に宝石を嵌めた人形が睨み合っていた。
「ええっと…………お邪魔しました?」
理解出来ず立ち去ろうとする少女を人形が声を掛けて引き留める。
[やっと起きたのね、記憶の方は…………いや、それより私のこと覚えてる?]
滑らかに動く人形に驚いた様子の少女は油を差し忘れた機械みたいに首を横に振る。
[私は琥珀。今はこの姿だけど、あくまで依代だから]
「……どうやって動いてるんだろう」
ぼそりと琥珀にバレないくらいの声で呟き、視線を老人に向ける。
「……儂はお前を拾っただけだ。感謝はいらん、言うならそこのに向けて言え。ただ、お前がこうなった原因もそこのにあると思うがな」
「そうなんだ。でも、二人ともありがとう」
「ふん、楽天的だな。見知らぬ他人を不用意に信じるとは」
老人の呆れた物言いに少女は純粋に思ったことを返す。
「こんなに凝って騙すことなんて無いと思うし、それに貴方は悪い人じゃない気がする」
その理由に首を傾げても、それだけは間違いないと少女は自信満々に微笑む。
「……良い人か悪い人かがそこまで重要ではない、そもそもこやつのように悪意がなくても、お前が被害を受けてるだろう」
「何があったの? 確かに、私は何も思い出せないけど」
少女は胸に抱えた一番の疑問を尋ねる。すると、琥珀が徐ろに語り始めた。
[……君が記憶喪失になった原因について軽く説明するね。
この建物の外は数年間、砂が吹き荒んでいる。この砂は特殊なものでね、触れた相手の精神を蝕んでいくの。
君の状態はこの砂によって、自身がどんな存在か分からなくされてる]
今でも、外の音が轟々と聞こえて、その強さを物語っている。
「そんな場所にこのガキを放り込むとは、あの女も落ちぶれたりものだな」
[お姉ちゃんを酷く言わないでっ! 瑠璃葉姐はいつだって頑張ってる。今回だって……]
琥珀は悔しげに拳を握り、老人を睨み付ける。
「いい加減気付け、お前の姉はどんな存在かを。あれですら最早形振り構っていられないとしたら、次の戦いは相当険しいことは目に見えている。なら、お前はあれに頼ってる現状からどうにかせんといかん」
老人は琥珀に一通り言いたいことが終わったのか、次は少女の方を向いた。先程より眉間に皺が少ない気がする。
「…………お前も早く帰れ、此処はガキが遊びに来るような場所ではないからな。確かに今の状態はあれが作ったのかもしれんが、そもそもお前の意志が弱かったこともある。戦う意志がないのならば、無為に過ごす前に帰った方が良い。まあ、それを満足に出来る時間がこれから先あるかは知らんがな」
暫しの沈黙の後、考えを絞り出して少女は答えた。
「まだ頭がもやもやしてるけど、少し覚えてることがあってね。誰も見当たらない砂の上にいる記憶、辺りに目印のようなものもない。もしこれが記憶を失くす寸前のものだとしたら、私は琥珀に恩がある事になる。だから、手伝えることがあるなら手伝いたいなー、って」
老人はため息をつき、琥珀は驚いた様子で顔を上げる。
[どうして?]
そんな疑問に少女は笑って答える。
「本当によく分からないままだけど、琥珀は元々私と一緒にいたようだし。だから、琥珀がお爺さんを連れて来てくれたんじゃないかなって、思ったんだけど。違う?」
[だって、それは…………]
気まずそうに、目を逸らし、最後の言葉は漏れなかった。しかし、意を決したように向き直る。
[本当なら、私が対策すればよかった。いつもお姉ちゃんに甘えてたから……もっと私がしっかりしてれば、君をそんな状態にさせなかった。私も、君には恩ができちゃったね。見たい事しか見れない私の願いより、君が今後どうしたいのか考えるべきだよ。私の目的は別の形で叶えられるよう頑張るからさ]
答えになってない答え。でも、それは少女たちの間で伝わったのだろうか。
「それで、お前は結局どうするんだ?」
老人は再度尋ねる。その瞳は研磨された槍のように一点を、少女を凝視する。
「私は————」
記憶がない、この短時間で芽生えるほどの願いもない。だから、少女は心の奥底で沈んでいる自分を必死で汲み取る。
そこで見えた光景は何だったのだろうか。
「後悔をしたくない、失いたくない、ずっと穏やかな時を過ごしたい。だから、私はこの刀をを取らなければならない、と感じている」
少女は腰に手をやり、今まで気にしてなかった重みがはっきりと感じとる。
「そうか、…………少しの間だ。ほんの少し、力を貸してやる。だが、一つだけ覚えておけ。武器を手に取るときに優先するのは一つに絞った方が良い。あれもこれも手を伸ばしたら、全てを失うからな」
老人の実感が篭った言葉を少女は胸に刻む。
よし、もうこの話だけで前回の最新話手前辺りまで書けた気がする。前回、薄いなぁ。