少女アルテ
彼の返答を待たずに背を向ける少女。ヒイラギは、彼女のあとを追った。
少女に導かれて入ったその部屋は、彼も知る部屋であった。
何番目に訪れた部屋なのかは分からない。
ただそこは、確かに入ったことのある部屋だった。
何故こんなにも殺風景なのかと、不思議に思った部屋。
上下左右とも、コンクリートが剥き出しな状態の、あの部屋だった。
ヒイラギが中に入ったのを見て、少女が扉を閉めながら尋ねる。
「素敵でしょう?」
ヒイラギにはその素敵さが解らない。
「え、あ……。どこが……?」
「あなた、良いヒトね。――他人の言葉に、無責任に流されない……。好きよ、そういう自分を持ったヒト。でも、ここの素敵さは、あなたには解らないのね」
少女の褒め言葉を嬉しく思いながら、ヒイラギは無言で言葉を促す。
「外にある扉の1つ1つはね、ヒトの心なの。大きかったり、小さかったり、子どもだったり大人だったり――本当に色々。そしてこの部屋は、今から1時間と15分・8秒後に命として芽吹く、赤ちゃんのお部屋。壁紙も何もかも、彼が決めるべきこと。何モノにも染まってない無垢な部屋なのよ。……ね? 素敵でしょう?」
同意を求める少女に、ヒイラギが無表情で切り返す。
「そうか。君の部屋は狭かったな」
「大切なのは広さじゃなくて、深さなのよ。心ってのはね」
「随分とゴミが散乱しているように見えたが……?」
「誰しも心に闇はあるってわけね。私の場合はお菓子のゴミだけだし、まあ、明るい方だと思うわ」
「そういや、君の心の部屋はお婆ちゃんちのニオイがしたなぁ」
「そうね。実はあそこは、私の祖父母の心部屋だもの」
「でも不思議と、心の休まる良い部屋だった。きっと、あの部屋を心に持つ人物は、相当に偉大なヒトに違いない」
「なにを隠そう、あの心部屋の主人は私よ」
「前の言葉と一致していないが?」
「…………」
しばしの沈黙。
少女の眉毛が、ヤンキーの威嚇のソレと類似していたのは言うまでもない。
「さて、とりあえず――」
茶番はおしまい、とばかりに、少女が改まって言葉を切る。
「ようこそ、カノミナへ」
明るい口調で、少女はそう言った。
それじゃあ、本当に、ここはカノミナなのか……?」
実在……したのか。
確信はしていた。だが、心のどこかで存在するはずがないと否定していた。
「私の名前はアルテ。カノミナの女店主よ」
少女の回答は、遠まわしに「カノミナは実在する」という答えを帯びていた。
普通のヒトならば、まずその言葉の真偽を推し量っただろう。
だが、ヒイラギはそれをしなかった。
ここがカノミナであるか、カノミナではないのか。
そんなことは、俺に人助けを強いる発作があるかないか、それと同じ次元の話だ。
信じる他に道はない。
だからこそ、彼は「あり得ないモノ」の否定を続け、自分の発作という矛盾に、思考の糸を絡ませているのだ。
「俺の名前はヒイラギ。……高校生だ」
そう自己紹介をするヒイラギであったが、猛烈な勢いで、不意に「何故こんなことをしているのか」という、自己に対する疑問に襲われた。
そうだ。
俺は本来なら、とっくに人助けの痛みも感じることのない我が家で、ゴロゴロして漫画読んでゲームして、誰にも邪魔されない、自分だけの時間を満喫していたはずなんだ。
そう思うと、彼は1分1秒が惜しくなってきた。
「さて、カノミナに来たからには――」
「体は大丈夫か?」
少女の言葉に、無理矢理に割って入る。
「え? あ、うん」
なんかあったけ? そんな顔をしながら、アルテはキョトンとして返事を返した。
どうやらヘリウムガスによって起きた、事の重大さを解っていないらしい。
「えーごほん。それでね。えっと、お前の――」
「じゃあ俺、もう帰るから」
阻まれた言葉の続きを言おうとした少女に構わず、ヒイラギはそう言って、後ろを振り返る。
「な、なんで? カノミナに興味ないのっ?」
ヒイラギは腰をひねり、体を少しだけ傾けて、驚く少女に向かって淡々と語ってやった。
「まず、俺がここに来たのは君を助けるためだ。もう体は大丈夫なんだろう? なら、俺がここに居る意味もなくなった。よって、俺がとるべき行動は、そう。帰ることだ」
んじゃ。
そう手を振って、カツカツと、彼の革靴がコンクリート床に音符を並べる。
「ま、ままままま――待ったぁ!」
アルテの声は、部屋いっぱいにぶちまけられた。
拡声器でも使ったのかと疑いをもつほどに反響したその声量は、ヒイラギの足を止めるのに、十分な大きさであった。
……呼び止まるのはこれで最後だからなと心で言いながら、ヒイラギは再び、今度は真正面から少女を見た。
「順を追って説明するわね」
ふぅ……やれやれ。と言わんばかりのため息をついてから、少女が口を開く。
「お前、もう家には帰れないわ」
「順に説明するんじゃなかったのか」
説明ではなくこれはで結論だ。
そう思いながら、彼はもう少しだけ少女の酔狂に付き合ってあげようと考えた。
そうでなければなかなか帰れない。
ウダウダしてるよりは、少女の言葉を適当に聞いて適当に切り上げた方が、結果的に早く帰れるはずだ……多分。
だが――1つの憶測が、彼の思考にトゲを刺す。
ここは……カノミナだ。
願いを叶えてくれるとか、死後の世界に繋がっているとか、そんなことは信じないが……。
噂までされるからには、それなりにすごい店なのだろう。
もっとも、ウソばかり言っているがために、悪名としてウワサが広がったということなら別だが……。
だがもし、良い意味で噂になるほどの店なら、その店主が、こんなくだらない嘘をつくだろうか……そんな、家に帰れないだなんて……?
「……家に帰れないって?」
もしかして、俺をここに閉じ込める気だろうか? 引き出しを開けたから?
そう考えるヒイラギに、少女がその質問に答えようとする。
「お前が開けた引き出――」
「中身は見てないってば」
アルテはキッとヒイラギを睨んで、そのまま、ツカツカと彼に詰め寄った。
そして彼の胸板に、人差し指を突きつける。
「そういう問題じゃないのよ!」
アルテは「いい?」と舌を波立たせた。
「カノミナは、形の無いモノを求めるヒトしか入れない、神聖なお店。商売道具は主にヒトの才能。――ヒトは本来、3つ以上の才能を授かっているわ。問題は、その才能に気づけるか・育てることができるか・その次元において、その才能を発揮できる存在が実在するか、というところにある。私はカノミナの店主。ヒトの才能を知り、奪い、与えることもできる。でもそれは、私の本当の才能じゃない。代償を払って得た、借り物のチカラ」
そこで少女は、ヒイラギの顔をジッと覗きこんだ。
俺の言葉を待っているのだろうか……そう考えるが、しかしなにも口にはしない。
ヒイラギは、アルテの言葉に確信していた。
俺が家に帰れないなんてのは、しょうもないデタラメだ。
ヒトの才能をどうだとか、次元がどうだとか、さすがにそんなものは信じられるものではない。きっとこの少女は、最近それ系の映画か本でも読んだのだろう。
第1、よくよく考えてみれば、俺と年も変わらなそうなこんな少女が、カノミナの主人であるはずもない。だから、これはきっとイタズラだ。
だが、まあ、話が終わらなければ帰ることもできない。
ヒイラギはそう考え、話の先を促してやった。
「それで? その代償ってのは?」
アルテがコクリと頷く。
「家……つまり、私がこのカノミナから出ないことよ」
「ふーん。なるほどな」
良し、
終わったな。
小さく声に出して呟いて、ヒイラギは再び後ろを向いた。
「ヒイラギとか言ったわね? お前の才能は、命を助ける才能よ。だけどお前のソレも、本当の才能じゃない。誰からかは知らないけれど、無理やりに押し付けられた別のヒトの才能。でもソレはお前の体に合わず、呪いとでも言うべき痛みが伴うようね?」
だが、アルテのその言葉で、動こうとしていたヒイラギの足が空中でひたと止まった。
やり場のなくなった右足は、さきほどまで立っていた場所へと戻される。
「どうして痛みのことを知ってるんだ」
アルテは両手を腰に置いて、自信たっぷりにこう言った。
「私が、カノミナの店主だからよ」