新エリアと回復
新田での生活も、既に2週間になる。
畑付き一戸建ての生活は、思った以上の落ち着きと穏やかさを保っていた。
場所としては、鹿浜橋を越えた先のエリア。
この辺りは、幸いにもアカリによる爆砕被害は免れているようで、古さから多少傷んでいても、人が住んでも問題ないくらいには現存出来ていた。
余談だが、俺の認識では鹿浜橋を超えたら北区だろ、みたいなところがあって、橋越えの際には、ここも足立区なのかよ、と変に感心したものだ。
しかし、この微妙に陸地から離れたような場所は、思いの外穴場だったらしい。
少し前の兄の言葉を思い出す。
「あの魚型スライム。あれが、人もモンスターも通れなくしてたみたいだ」
まるでRPGのようだが、多少面倒なイベントを越えた事で、俺たちは新たなエリアへと足を踏み入れる事が出来ていたわけだ。
まほうのかぎを手に入れて、船をもらえる城に着いた、みたいなところだろうか。
どうあれ、こうして一時でも落ち着いた住居が手に入ったのは、放蕩者の3人組からすると大きな収穫だった。
ちょっと記憶を遡ってみる。
マルスオーガを単独撃破せしめた少年は、あの無茶な戦いぶりの後、唐突にその場で倒れた。
ああいや、別に大した事はない。
意識不明になる事も、傍らでオーガ娘が泣いているなんて絵面もない。
むしろ、あんなアホみたく全身に負担を掛ける動きっぷりを見れば、そりゃそうだ、って納得しようものでしかなかった。
まんま自業自得だ。
おかげで、移動に制限が出来てしまったし、戦力も分かりやすく減少。
とてもではないが、迂闊には舎人方面に動ける状態ではなくなっていた。
「ぎぃいいいやぁああああ!! やめてやめてやめてやめてええええ!?」
というわけで、今日も今日とてお仕置きタイムである。
その名も、筋肉痛弄り
お仕置きというには、まんまなネーミングだが、若いのに一向に治る気配のない頑固な筋肉痛には、とりあえず揉み解しがいいだろうとチマ兄が発案し、オーガ娘によって毎日3回ほど行われていた。
効果は、ご覧の通りである。
と言っても、マッサージというくらいなので、2人からすると一応は治療の意味合いが強い。
しかし、俺的には、丁度良い反省の機会と捉えているので、多少泣き叫ぶくらいがしっくりきている。
むしろ、進行速度が遅れている分くらいは、きっちりとダメージを受けていて欲しかった。
「ガマンせよタイヨー! これもタイヨーのためなのだ!」
「い゛でででででで! ギブギブギブギブ!」
治りの悪さからしたら、もはや骨折してるんでないか? とか思うのだが、一応は身体的損傷はないらしく、オーガ娘も遠慮なく弄り倒している。
いいぞ、もっとやれ。
「ノーギブ! これもイタミに強くなる良いキカイ!」
それって痛みに鈍くなってダメなんでないとも思うが、未来の嫁さんからの言い分なので文句など言わない。
ま、俺は言えねぇしな。
「あははははっ!」
我が意を得たり、みたいなタイミングで笑いながら現れたのは、ここ最近絶好調な兄である。
今日も今日とて、また獲物を狩ってきたらしく、お勤めご苦労様と言ったところ。
その顔にも晴れやかさがあり、以前まであった険がとれて、ようやく一皮剥けたような雰囲気が出てきていた。
「兄ちゃん笑ってねぇで止めてくれええええのおおおお!!」
「お〜、ヒカル。ブジ帰ったか」
「ああ、ただいまだ。外のあれが今日の分。早速頼めるか?」
そう言って、兄は外に置いてあるコカトリスの生け捕りを指差す。
ここ最近は、麻酔のような毒まで使って、一時的にモンスターを動作不良にして、進化させずに難なく持ち帰れるくらいになっていた。
腕前が上がっているようで何よりである。
ちなみに、弟の事は視界に入れながらも、敢えてスルーする方針らしい。
理由は、まぁその方が面白そうだから、なのだろう。
俺と同じだな。
「おお、仕事が早いの。今日はまだ昼ではないか」
「これくらい楽勝楽勝」
「フム、では仕上げをしようかの」
「ああ、頼むよ」
2人は、さっさと部屋を後にする。
コカトリスから魔力を吸い取って、普通の鳥肉に戻すためだ。
毎食ほぼ鳥肉とはいえ、貴重な栄養源。
毎日の食料があるだけでも、相当有難い事である。
というか、パッと見じゃ、兄とオーガ娘の方が嫁と旦那みたいな感じだ。
例えるなら、自営業の共働き夫婦のようなものか。
もし、今が平和な世であれば、ご近所さんからはオシドリ夫婦扱いされていたに違いない。
となれば、そこにいるのは、むしろ横恋慕って事になるのかね。ざまぁ。
「うぅ……俺の扱いがぁぁぁ……」
君の恨めしそうな目に乾杯。
まぁ、せいぜい反省するといい。
肉体的にも精神的にもな。
さて、このように俺の少年に対する心象が悪いのには理由がある。
それは、当然ながら先日の戦いの件が原因。
あんな人の指示を無視した傍若無人な戦い方など戦場に立つ者として許されないし、挙句は、強引に魔力展開した反動で体を動かせなくなっているのだから、色々洒落にならんし言語道断である。
もし、あの場面でマルスオーガを撃退出来ていなければ、ガキ一人など無抵抗に殺されていたわけだし、状況によっては、仲間が不必要な危険に晒されていだかもしれない。
幾ら戦いに、もしもはないとは言えど、今後の事を考えれば、下手な独断行動を許容するわけにはいくまい。
以前に、機を逃さないのが英雄と言ったが、俺は別に、勝ちさえすれば後は関係ない、なんて意味で言ったつもりはない。
負けない戦いは、負けないように戦えばいいのだ。
それを、単に良いところを見せたいがための無謀など片腹痛いこと甚だしいというもの。
というのが建前である。
俺にとっては……
俺にとってはなぁ!
何よりも……
何よりもコイツが俺の魔力をごっそり抜き取りやがったのが許せないのだ!
もう、プチ殺したいくらいに許せないんだああああああっ!
あん? それが怒ってる一番の理由かって?
んなもん、あったり前だろうが!
抜き取られた分だけで、俺の魔力5年分だぞ5年分!?
ただでさえ、この細長ボディじゃ魔力がちょびっとずつしか溜まらないのに、それを毎日毎日微々たる量をせせこましくみみっちくも溜め続けた5年分の魔力を、コイツはパァーッと使いやがったのだ。
これを怨みに思わないとかありえねぇわ!
おかげで、ギリギリ1回は人化出来るだけはあったはずなのに、もう出来なくなっとるわ!
あ〜、くそっ、思い出しただけでハラワタが煮え繰り返る。
俺が、人から刀になっての今まで、一体どんな気持ちだったか考えた事があるか?
子供や孫を守りながら、足立区の未来を考えて生き恥を晒してんだぞ?
ねぇのは分かってるけど、それくらい察しやがれよ無駄遣い野郎めが!
コイツらの妹じゃねぇが、いっぺん死んでみやがれって真剣に思っとるがな!
そんな切実な事情があり、俺はかなりひっ迫していた。
何しろ、おかげ様で満足に刃を維持する事さえ出来なくなっているのだ。
モンスターの血をすする事で力を増す『ナマクラ』は、魔力をごっそり吸われたせいで力の根源を失い、今や本当ただのなまくらに成り果てているのだ。
マジやってられん。
これが、戦力大幅減の根拠。
無駄遣い少年の行動低下より何より、攻撃力が足りないのだ。
こんな状態で、もしまたデカい戦力に攻められでもしたら、今度こそ詰んでしまうかもしれないのだ。
その事に、俺は多大なストレスを感じていた。
「太陽、お前まだ歩けないか?」
ある日の夕食に、またそんな話題が提供された。
これは兄としての心配もあるが、俺と同様に戦力として事足りていないのを危ぶんでのものになる。
「うっせぇ見ての通りだよ。今集中してんだから黙ってろよ」
少年は、ぷるぷると腕を震わせながら、何とか鳥肉を摘んだ箸を口に持って行こうとしている。
その隣では、オーガ娘が甲斐甲斐しくも、少年が持っている皿を少年の手ごと支えていたりする。
こうしていないと、ふっと少年の力が抜けた時に、貴重な食料を皿ごと落としてしまうかもしれないからだ。
そうやって、ようやく少年は焼いた鳥肉を口の中へ放り込む事に成功する。
「はぁぁぁ……」
「うむ、イイ調子だぞタイヨー。サァ、次だ」
「うん、俺頑張るよ」
「ああ、期待している」
「……こりゃ、本当やれやれだな」
あたかも茶番のような2人のやり取りに、兄はかぶりを振っている。
他人のイチャイチャなど一文にもならんと、俺も思うが、少年のこれはリハビリの一環であった。
マルスオーガとの戦闘以降、少年の体は狂いに狂っており、通常とは掛け離れたものとなっていた。
当初は、単に少年の体が過負荷に耐えられずに動けなくなったと思われたが、どんなにマッサージなどを続けても経過は良くないまま。
そんな一向に良くならない少年を鑑みて、改めて痛みの出所や、魔力の体内での巡り方を細かく確認したところ、思った以上に奇怪な状態である事が分かったのだ。
何と今の少年は、体を動かそうとすると、体内体外に関わらず、付近に存在している魔力を動かしてしまっていたのだ。
ぐちゃぐちゃと理屈めいた話は置いておくが、掻い摘んで説明するのなら、少年は、あろうことか、己が肉体の動かし方を忘れてしまったというわけなのだ。
何て突拍子もない話なのやら。
これは、マルスオーガ戦で見せた、魔力の流れに乗せて体を操り人形のように動かしたことによる弊害としか考えられない。
今の少年は、普通は難しい筈の魔力を操るのは造作ないくせに、自分の肉体を動かすのに難儀するとかいうチグハグな状態に陥っていたのであった。
「さぁ、タイヨー。コレはできるか?」
「う、魔力の実か……しかもこんな小ちゃい……」
「だからコソレンシュウになる。頑張れ!」
「お、おうともさ!」
で、どうすればいいかと考えた結果が、こういった日常動作を頑張る、という事だった。
幸いな事に、少年はかなり集中すれば、意識的に体を動かせるだけの余地があった。
元々、体自体には何の問題もないのだ。
脳と魔力とが線で繋がれているのを、元通り脳と体とに繋ぎ直すだけで、すぐにでも元通りになる筈なのである、そう考えた故の結論だった。
これが、仮に脳性麻痺でも起こしていたら、満足に動かすまで年単位の時間を要したはずだし、もはや戦士としての人生は終わりを迎えていたのは想像に難くない。
であれば、まだ出来る努力が残されているのは、充分に幸福な部類であろう。
「しかし、参ったな……」
兄は、唸りながら頭を悩ませる。
この調子じゃ、いつまでこの新田に逗留するのか不明なままだからだ。
今に関しては、ここの周辺に強いモンスターはいない。
食料も、江北の時と同じように、魔力草と魔力の実、それとコカトリスやキングトード……つまり鳥とカエルの肉があるから、当面の不安もない。
しかし、モンスターの数が少ない状態が、そう長く続くとは思えないし、いつかは足立警察からの追手が掛かるのも予想できるのだ。
あまり同じ場所に長居をするのには、危険性が高過ぎた。
「それに、せっかく使えそうな霧の壁のポイントを見つけたのに……」
「え、霧のかべゃう!? いっつぅぅぅ……」
ここぞとばかりに耳聡い少年。
しかし、そのせいで魔力の実を落としてしまい、スパーンと平手打ちでもってオーガ娘に頭を引っ叩かれていた。
「ヒカルよ。それはどういう意味なのだ?」
なので、痛がる少年の代わりに、オーガ娘が話に加わる。
慣れたもので、兄も今更気にした風ではなく、スムーズに少年をスルーしているのが、何だかよくありそうな家族っぽくておかしかった。
「いや、霧の壁にさ。魔力が充分に濃いポイントがあったんだ。多分あそこなら出来る」
「出来るというと……アレか?」
「そゆこと」
2人の視線が、一点に注がれる。
そこには、未だ頭を押さえている少年しかいない。
「ふむ、ヨいのではないか? アルいは、事態がコウテンするやもしれん」
「あ、やっぱレムちゃんもそう思うか?」
「然り。むしろテンケイですらあるやもしれん」
「天啓って大袈裟な。まぁ、でも実は俺もちょっとそう思ってたり」
「であろう?」
「然り然り、ってね。はははっ」
「うむうむ。ふふふふっ」
少年を置いといて2人は勝手に盛り上がる。
当の少年はと言えば、2人が2人だけで笑っているのが面白くないらしく、つーんと唇を尖らせていた。
けれど、話の流れは理解出来ている。
文句を言わないのも、話のその先に、少年自身の期待するものがあったからだ。
「って事で、太陽分かったな?」
「ああ。分かってるってよ」
「うむ、明日はタイヨーの」
「「「魔法記念日!」」」