抱擁と告白
観念した馬鹿兄は、つらつらと暴露する。
少年とオーガ娘が出逢った日、馬鹿兄は区役所の屋上から周辺警戒を兼ねて、あちこちの状況を偵察していた。
父である歩がどこにいるか。
妹の空は無事か。
弟の太陽は無茶をしていないか。
など色々だ。
その他にも……というか、実際はこれがメインだろうが、アカリから頼まれている要注意人物や事件性のありそうな事象をつぶさに報告していたりもしたそうだ。
そんな時である。
弟の太陽が、謎のオーガと遭遇してしまった。
「俺は、すぐ婆ちゃんに連絡したよ。太陽が危ないって思ってな。したら、すぐ魔法師に召集をかけるって言ってくれてな。でも、いざとなったら、太陽のためにもお前を倒せってさ。俺なら出来るって……」
流石手回しがいい。
アイツは大抵の場合、幾つかの可能性を考えて、かつ傍目いやらしい形で指示を出す。
孫の事をよく見てるって事でもあるが、どうにも人身掌握術めいていて好かない。
となると、その時点から鏡亭への侵攻準備を整えていたとみて良いのかね。
にしちゃ、やたらと迅速だった気もするが。
とにかく、召集を掛けたなら、予想通り記憶見と予想屋は当然組み込まれている。
そして、未来のカケラを得たことで、息子夫妻との戦闘を想定しつつ必要戦力を抽出して包囲、しかし、結果的には取り逃した、と……
ふーむ。
やっぱり、まだ何かあるなこりゃ。
あのアカリにしては、甘さが目立つ。
ずっと思っていたが、未来のカケラを得ているのに、やけに簡単に切り抜けられた気がしたんだ。
後詰があってしかるべきなのに、実際にはなかったし。
まるで、お釈迦様の手の平である、みたいな気配が付き纏っている気がしてならない。
……いやまさか、本当に今のこの状況すら予定通りなのではあるまいな?
ちっ、嫌な感じだ。
「そんで、オフクロとレムちゃんが戦ってる時にさ。屋上にいた俺のとこに婆ちゃんの使いって人経由で改めて命令があったわけ」
「……それは、ドンなメイレイだ」
「あん? 分かんだろ? オーガレムナントの撃破さ。念押しで、毒も迷わず使えってさ」
撃破に、毒使用ね。
それにしちゃ随分のんびりしていたものだ。
幾らでも機会はあったろうに、最終的には、ご丁寧に舞台演出までしてよ。
「と言っても、最初は様子見くらいのつもりだったさ。俺自身がモンスターとのハーフだしな。見る限り、太陽のやつもお前を慕ってた。なら、弟の幸せのためだ。いっそ逃げるのを手助けしてもいいかな、くらいに思ってた」
「……ナラば、ナゼだ? ナゼ……」
オーガ娘は変に口籠る。
何故弟にまで毒をかけて、オーガ娘を討とうとしたのか、という言葉を飲み込んだように見えた。
「別に……俺がお前を……お前の力を認められなかったってだけだ」
続けて語られたのは、分からなくはない、と感じられる話だった。
馬鹿兄は、実に鏡家らしい人間だった。
祖父も父も英雄と呼ばれ、祖母は要職に就いているし、母も父と肩を並べられるくらいの強者である。
そんな家族の子供だ。
少年もそうだが、自分だって英雄になる、と思うのは至極自然な事だったろう。
そして、ついに魔法を会得するという段になる。
彼は、自分自身にとても期待していた。
これでようやく英雄への道が開ける。
幾千のモンスターを相手にしても負けない……ひいては足立区を解放に導くような英雄になってみせるのだ。
それだけの努力は、ずっと続けてきたのだから、と……
だが、英雄の道をくれるはずの霧の壁は、あっさり彼を嘲笑う。
彼が得たのは、毒魔法だった。
一般的に、或いは物語的に見ても、毒使いは嫌われる。
姑息、卑怯、ズルい、汚い、酷い、と罵られる事が多いし、信用もされない。
実際、毒を盛るためには、やはり相手の裏を欠く場合があるのだから、あながち間違いという訳でもない。
ここでいっそ、良い意味で開き直って、毒の使い方を極める方向に、頭を切り替えられたなら、俺は輝が英雄と称される事など簡単とさえ思っている。
今でも、まだ英雄になりたいのなら力を示して英雄になってみせろ、と切に願っているし、期待している。
けれど、この馬鹿兄は、毒なんて鏡家に籍を置くものが使って良いものではない、というこだわりを捨てる事が出来なかった。
英雄は英雄らしくあるべき、というステレオタイプから抜け出せなかった。
いや、それ自体が悪いとまでは言わない。
望まない力では、本領を発揮できはしないし、他の方法でも何でも使って目的を果たせるなら、それは紛れもない本人の実力であり、逆に当人の凄さに繋がる。
事実、扱いにくい『センペン』を、あれほどに使いこなせていたのだ。
努力は、着実に身を結びつつあったのは、家族の皆だって気付いていた。
悩みながらでも、苦しみながらでも、我が道を進んで欲しいと願っていた。
きっと、後何年か後に……大人になって視野が格段に広がれば、何かの形で一気に報われるはず、とみんな心中で応援していたのである。
だけど、ここでも彼は運命に遊ばれてしまう。
こんなにも中途半端なタイミングで、彼はオーガレムナントに出会ってしまったのだ。
彼女は、天才だった。
一人一種類しか使えないはずの魔法を、二種類三種類と使う事が出来た。
しかも、他で聞いた事もないような魔法を複数種類だ。
この時点で、オーガ娘は英雄にかなり近い存在だと分かってしまう。
「悔しかった……」
自分が思い悩んでいる事を簡単に乗り越えている事が。
「妬ましかった……」
誰も知らないような事を知っていて、思いもつかないような方法で、問題を解決出来る全てが。
「しかも、やれるものならやってみろって試しても、ちらっとも悩まないでクリアしやがるし、難癖つけたくて無理にやらせてみても窘められるんだぞ? 内心、俺がどんだけ惨めだったか……」
『育成促進』の魔法とキメラ人間の話だろう。
あのゴリ押しは、オーガ娘のような天才でも、決して何でもは出来ないのだ、という安心感が欲しかったという事だったか。
あ、もしかしてこいつ、オーガ娘が属性魔法は不得手なの知らないな?
追い詰められていたのかもしれないが、哀れなほどに視野が狭い。
「だから、嫌だったはずの毒すら迷わず使って、だけど、戦って勝たないと俺は俺を許せなくて、せめてって無い頭使って罠仕掛けて、でも、やっぱり届かなくて……」
勢いに任せた吐露は、少し滅裂気味。
毒を使ったのは確かだが、最初ペットボトルに仕込んでいたのは念のため。
戦って勝つためと言っているが、致死毒を使わなかったのは殺したくはなかったから。
罠を仕掛けるなんて、別に気に病む事ですらない
何が悪かったかと言えば、ただただお前は中途半端だったのが悪い。
お前は、酷さと優しさの間で揺れ過ぎたんだ。
「分かってる。俺はちいせぇ人間だ。自分で自分の首閉めて惨めになってんだから世話ねぇし、しかも、それで不貞腐れてる大馬鹿だ。トドメに、弟まで巻き込んで八つ当たりしようってんだぜ? 本当どうしようもねぇクズだって自分でも思ってる! だけど……今もこうしても懺悔してる風でも、お前の事が嫌で嫌で仕方ない! 自分はもっと出来るって信じたい。もっと上手くやりたい。本当……本当に、俺は、どうしてお前みたいじゃないんだよっ!!」
痛ましい独白。
馬鹿兄は……このバカは、どこまで自分を傷つけるつもりなのだろうか。
仮に、このまま放置し続けてしまえば、いつまで自分だけがダメなのだ、という思い違いを続けてしまうのか想像も出来ない。
口惜しい……
俺は何故、今人になれずにいるのか。
今だからこそ、この馬鹿に夢を語ってやるべきではないのか?
お前は特別だ、誇るべき孫だと抱きしめてやれれば、どれほど良かったことか。
すまない……輝……
俺は、それでも未来を作る方を選んでしまうのだ。
本当に、すまない……
助けてやれない爺を、許してくれ……
「ヒカル」
「……え?」
そこで、不意に俺はオーガ娘に落とされる。
刀を手放した彼女は、へたり込んでいる輝へとスッと手を伸ばし、その頭を自分の腕の中へと抱え込んでいた。
「お、おい……お前……急に、何を……」
慌てる輝だが、急な事に反応出来ない。
それに、家族ではない誰かに抱き締められるなんて経験自体が初めてだった。
「ずっと、つらかったな……」
それは、とても静かな言葉。
静かで、溶けてしまいそうな、優しい響き。
輝は、不思議と抗えなくなってしまう。
「自分をせめるしかできなくて、キツかったな……」
「なっ、ばっ……ちが……俺はっ……」
「1人で頑張るしか、なかったんだな……」
「ぐ……ちが……」
「……だって、タイヨーのこと、うらやましカッタんだろ?」
「っ!!」
それは、核心を突き刺す言葉。
輝の全身が、一瞬にして凍りつく。
知られたくなかった本心を言い当てられて、ずっと残していた逃げ場を失ってしまう。
「オ兄ちゃん、だモノな。負けたく、ナイよな?」
「ち、ちち、ちが、ちがっ……」
「おのこ、だからの。カッコ悪いのは、イヤ、だものな」
「うぐ……ちが、う……」
「……ちがうのか?」
「ちがう……本当、それは、ちがう……」
「でも今は……ワタシだけ、だぞ?」
素直になっていいと、誰にも言わないと、輝の頭を抱きしめる力を強める。
温かく、力強く、優しく、抱きしめる。
嘘などつく必要など無いと、輝を諭している。
これは……この感覚は何なのだろうか……
聞いているだけの俺さえボンヤリして、思考がまとまらなくなっている。
「誰かが、ササえてやれたら、よかったのにな……」
「う……」
「本当、ひどいカゾクだ……」
「う……ううん、そうじゃ、そうじゃないんだ……」
「こんなに、ヒカルはないてるのにか……?」
「ないてない……ないてなんて、ない……ぞ?」
「やさしい、おのこだな。ヒカルは」
「……どこかだよ。俺は、太陽を……」
「やさしい。誰より、やさしい」
「……うそ、つけよ……俺の事なんて、何にも、しらない、くせに……」
「ああ、ソウだな……」
「まったく、だぜ……」
頭を撫でられて、輝はそっと目を閉じる。
随分と久しぶりの安心感なのだろう。
男なら誰でも、いつの頃からか母にはもう甘えられないと感じる時が来る。
巣立ちは必要だ。
でも、だからって甘えられないのは寂しくて、物足りないのだ。
人は結局、誰かに寄り添ってもらいたいと、心の内では願っているのかもしれない。
「あった、かいな……」
「ソウか?」
「ああ……なんか、久しぶりだ……落ち着く……」
「ふふっ、アマエンボだな。ヒカルは……」
「……うっせ」
輝の体から力が抜けて、その身を委ねたのが分かる。
そこには、安堵しかみえない。
つい今まで、燻って不安に晒されていたなんて嘘みたいな顔だ。
今まで、輝は、どれだけ無理をしてきたのだろうか。
どれだけ、孤独だったのだろうか。
俺たちは、過度に、期待し過ぎていたのだろうか。
だとしたら、本当にダメな家族だったよな……
「なんか、太陽に、悪いな……」
「気にスルな。タイヨーは、ウツワの大きいオノコ」
「はん……どうだかな……」
「ダイジョウブ」
「へん……アヤシいもんだ……」
「……ふむ。だったら、ナイショだ」
「くくっ……未来のダンナに、隠し事、か?」
「そうだな。ワタシとヒカルのヒミツだ」
「おっと……そりゃ、高くつくぞ?」
「ふふ……では、ドウすれば、いいのだ?」
「さぁてな……でもまぁ、少しだけ……このままで……」
「……そうか」
オーガ娘の優しい抱擁は続く。
嘘つきな兄は、何一つ認めてはいないけれど、その心がとても落ち着いていることに、自分で気づいていた。
そして、こんな簡単な事を求めていた事実に驚いてもいた。
こんなんだから、男は単純だと、よく女は言われるのかもしれない。
「う……れむ……?」
そこで、毒が抜けた少年が目を覚ます。
コイツはコイツで間がいいのか悪いのか。
それに気付いた兄は、バッとオーガ娘から身を離し、腕でごしごしと目の辺りを擦っている。
やれやれ、男の子。
「目をサマしたかタイヨー!」
それとすぐに、オーガ娘は少年の元へ走る。
その顔には安堵と嬉しさが混ざっていて、体を起こしたばかりの少年に、飛び付くように抱き締めていた。
「うわっレム! 何だどうした!? いきなり恐いぞ!? てか痛いぞ!?」
急に抱きつかれてあたふたする少年。
突然なことに、微妙に悪態を吐いているが、その顔は照れ照れでダラしない。
一方、そんな様子を見つめる兄は、どこか寂しげである。
さっきまでとは、ちょっと別の意味で鼻をすすっている気がしないでもない。
あ〜、うん。
頑張れ男の子。
「って、兄ちゃん!」
「……うっす。弟よ」
オーガ娘に懐かれながらも、少年はようやく兄がいる事に気付く。
そして、どうやら兄は無事であると理解して、ほぉっと息を吐いて安堵した。
「よかったよぉ……ホントよかった……」
「……心配、かけたな」
兄としては、そう簡単には割り切れてはいない。
弟に毒をかけたのは間違いないし、死ぬような毒ではなかったとはいえ、鬱憤晴らしの面が無いとは言えなかった。
納得した風を装っていたけれど、弟に次期当主筆頭の座を譲ったのは、ずっと内に燻っていたのだ。
今回の件の発端は毒魔法の取得になるが、その心を追い込んでいた要因は、兄としてのプライドだったのかもしれない。
「……ナァ、2人とも、少しワタシの話をキイテくれぬか?」
そこで何を思ったか、オーガ娘は不意に自分話を聞かせたがってくる。
その顔には真面目さしか感じられない。
少年からも身を離して、真剣そうに佇まいを正していた。
「何だよレム、急にそんな……」
少年は、その空気の重さに、瞬間的に苦手意識を覚える。
元々重い話が嫌いなやつではあるが、オーガ娘の発する不穏さに忌避感が出ていた。
もしかしたら、パスを通じてオーガ娘からの妙な覚悟のようなものを感じ取ったのかもしれない。
「アンズるなタイヨー。別に、お前の元からハナレようとか、そういう話ではない」
「……本当か?」
「嘘などツカぬよ」
そこまで言われて、少年はやっと安心する。
とはいえ、相当大事な話なのは変わらない。
その顔には、多少の強張りが見て取れた。
「それは、俺にも、なのか?」
「うむ、ヒカルにも聞いて貰いたい」
弟とは別の意味合いで、兄もまた居心地の悪さを感じている。
弟への罪悪感や、オーガ娘への気恥ずかしさやらあって、出来れば一旦時間を開けたいくらいだったが、オーガ娘からの真剣な申し出に、その場を後にする事が躊躇われてしまう。
結果、少し悩みながらも、兄はオーガ娘の話を聞こうと決めて頷いた。
「何となくオモったのだ。ワタシのことをツタえないママでイイのかと。イツマでもショウタイフメイのモンスターでは、いつか、何かがコワレてシマうのでは、とな」
それは、2人を見ての思ったのだろう。
少年と兄は家族だ。
多分きっと、一番自分の事を分かっていてくれるはずの人であり、相手の事をちゃんと思いやってやれるはずの関係性がある……あって欲しいと思っている間柄だ。
それなのに、今回のように食い違い1人孤独に思い悩んでしまう場合もある。
距離が近いが故話せない事もあるだろうし、勘違いから仲違いする時もあるだろう。
でも、それはやっぱりお互いの事を知らない、知ろうとしない、自分を優先する、自分さえ大丈夫なら周りは気にしない、そういったどこか利己的な頭が強いからこそ、決定的にズレてしまうのではないか。
きっとオーガ娘は、そんな事を思ったのだろう。
そして、いつか自分にも同じ事が起こり得ると不安になったのかもしれない。
モンスターなのに、孤独を恐れているのかもしれない。
……何だよ。むしろ俺こそ自分でそう思っているのかね。
「では、ソウだの。今から3ネン前のコトになる。これは、ワタシがワタシであるというイシキをハジめてモッた時からの話だ」
オーガ娘の3年前の昔話。
……なるほど。
言われてみれば、俺も誰も、彼女の生い立ちを知らない。
というか、モンスターの自己の確立になど頭が回らないままだったか。
彼女はオーガレムナント。
単にそこまでで思考を完結していた事を恥じ入るべきか。
「……ワタシは、気がついたらダイガクにいてな。ソコは、ワカラないことでイッパいだった。
大学?
北千住のだろうか?
もしかして東京電気大学か?
「スウジ、コウシキ、カガク、ジッケンキグ、レポート。ソレらは、ワタシのムガクをキュウダンした。モンスターのワタシは、ニンゲンにコトゴとくハイボクしていた」
それは、オーガレムナントになる、更に以前の彼女の歴史。
当時はまだ、ただのオーガでしかなかった彼女は、大学で己のバカさ加減に呆れていたのだそうだ。
「カンタンはコトバはシッテいた。いつシッタかはシラない。デモ、ワカッた。ナノに、ダイガクにあったタイハンのコトバもスウシキも、ワタシはわからなかった」
驚愕の事実。
モンスターは、元々日本語を理解しているのか?
それとも、このオーガ娘が特別なのだろうか?
いやまさか、彼女の素体となった誰かの記憶が紛れている、とでも言うのだろうか。
最悪、どのモンスターにも教養の基礎がある、なんて事であれば、教えようによっては全てのモンスターが、こんな常識外れのモンスターばかりになってしまうのではないだろうか?
いや、こんなの検証しようもないけれども……
何にせよ、多少の言葉を理解できる程度では、大学のレポートだのは理解出来まい。
数式なんて、俺だって分からん。
むしろ、分かられた方が恐ろしくて堪らない。
「ワカラないモノにカコマれたまいにちは、クルしかったが、タノシかった」
あー、うん。
悪い。
俺にその感覚は分からん。
俺ってば、高校の頃に異世界に飛ばされて、勉強らしい勉強しないまま大人になったのよ。
魔法については試行錯誤したけど、学問的勉強なんて全く興味がない。
でも、そんなでも一時的にだけど、社会で働いてたのよ? 本当よ?
「そんなときだ。ワタシは、フウサされていたヘヤを見つけた。そこでだ。ワタシは、マホウケンキュウのレポートをハッケンした」




